文筆家・蒼井ブルーとアニメーター・新井陽次郎が綴る、かけがえのない「きみ」との日々

文芸・カルチャー

公開日:2022/6/17

こんな日のきみには花が似合う
こんな日のきみには花が似合う』(蒼井ブルー、新井陽次郎/NHK出版)

 恋愛を描くドラマや映画、小説は、予想外の展開や恋の障壁など、ドキドキさせる仕掛けで私たちを楽しませてくれる。純粋なふたりの物語を味わったり、疑似体験したりするのも面白いが、一方で現実とは距離があるため、自分自身の物語と重ねるのは難しいのではないだろうか。

 映画のようなエンタメ体験と同時に、恋をしている人、恋をしたことがある人が、自分が経験した日々に思いを寄せることができるのが、『こんな日のきみには花が似合う』(蒼井ブルー、新井陽次郎/NHK出版)だ。本書は、文筆家・写真家の蒼井ブルー氏と、スタジオジブリ作品などで活躍するアニメーターの新井陽次郎氏が、1組の社会人カップルの1年を60のエピソードで紡いだ1冊。告白して付き合い始めてから、初めて手をつないだり、デート中にちょっとモヤモヤしたり、ふと見た横顔に幸せを感じたり、相手の気持ちがわからなくて悩んだりする日々が、男性目線の文章とイラストで綴られる。

こんな日のきみには花が似合う P2-3

 SNSで発信する言葉が広く共感を呼び、『僕の隣で勝手に幸せになってください』『もう会えないとわかってから』などの書籍でも、何気ない日々の尊い瞬間を文章で伝えてきた蒼井ブルー氏。日常すぎて忘れてしまいそうだけど、その中にある大切な感情を、読者の現実と同じ温度感で綴る蒼井氏のテキストは、隣にいる人と過ごす毎日の大切さを私たちに伝えてきた。

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 本書の物語は、そんな蒼井氏の文章と新井氏のスケッチ風のイラストで、日記のように綴られる。男目線の「かわいい」ポイントや、彼には理解しづらい彼女の怒りのツボなど、男女間の意識の差も含め、共感度が高いエピソードが並ぶ。一方で、「関係が変わると言葉も変わる」「恋が理屈じゃないというのは、恋をしているときにしかわからない」など、恋の真理をつくような言葉にドキッとさせられる。新井氏によるイラストは、手書き風のゆるい線と目に優しいカラーリングで描かれていて温かい。夏の花火や秋のキンモクセイ、落ち葉、冬の雪など、季節が移ろうさまも見事。彼女の前髪がちょっと変わったり、髪の毛が少し伸びたりする微妙な変化も、少しずつ、しかし着実に進んでいく時間の重みを感じさせてリアルだ。

こんな日のきみには花が似合う P54-55

 そんな蒼井氏と新井氏による鮮やかで繊細な描写の重なりが、お互いと過ごす日々を大切に生きるふたりの体温をも感じさせて、心を大きく揺さぶる。読者は、映画のような抒情性で描かれるリアルな世界で、1組のカップルと共に1年を生きたような不思議な経験を通して、ふたりのクリエイターのコラボレーションの必然性と、両者の出会いに対する喜びを噛みしめるだろう。

こんな日のきみには花が似合う P8-9

 手ごわい恋敵の出現も、突然の海外転勤も、生死にかかわる事故もない。ドラマティックなことは滅多に起こらないのも、些細な誤解が大きな心の溝を生んでしまうことも、私たちが生きる現実と同じだ。だからこそこの物語は、隣を歩く大切な人の横顔や、あの日、居酒屋やカフェで見た相手の気のゆるんだ表情が、こんなに眩しいものだと改めて気付かせてくれる。

 幸せは、フィクションの中にも、まだ手にしていない未来にあるわけでもない。本書は、そんなシンプルなメッセージを発していると思う。恋をしている人も、したことがある人も、そうではない人も、隣にいる「きみ」の体温を確かめて、幸福について問い直したくなる1冊だ。

文=川辺美希