秀吉の光秀討伐までの判断力が、現代のビジネスにも活かせる! 戦国武将たちの処世術を学ぶ
公開日:2022/6/20
すべてのビジネスに競争はつきものだ。競合他社に負ければ仕事は減るし、事業撤退の可能性も。一方、勝てば仕事は増え、事業拡大が現実味を帯びてくる。
こうした生き残りをかけた競争は、いつの時代も繰り広げられてきた気がする。1467年の「応仁の乱」のはじまりから1615年の「大坂夏の陣」までを表す戦国時代が好事例だろう。
『戦国武将の現場感覚 戦略・外交・天下取り…乱世のリアルとは』(西股総生/河出書房新社)は、そんな群雄割拠の時代を生き残ってきた武将たちの行動、思考、真意がわかる1冊。著者は、大河ドラマ『真田丸』『鎌倉殿の13人』で戦国軍事考証を担当した、西股総生氏だ。
書中で紹介される戦国武将たちの行動や思考は、現代のビジネスにも通じることが多い。例えば、1582年の山崎の合戦。羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の軍が、織田信長を討った明智光秀の軍を破る戦である。
いわゆる秀吉の敵討ち的な戦になるが、驚くべきは信長の死を知ってから光秀討伐にいたるまでの彼の機転の速さと判断力だ。書中にある本能寺の変から光秀討伐までの経緯をまとめると以下のようになる。
6月2日 本能寺の変
6月3日 備中高松城にて水攻めを行っていた秀吉が、信長の死を知る
6月6日 毛利方と停戦協定を結び、備前まで退却
6月8日 居城の姫路城まで帰還
6月11日 大坂に入り織田方諸将を糾合
6月13日 山崎の合戦にて明智光秀軍を破る
彼は変事の第一報を聞いてからわずか10日ほどで光秀の天下統一を退けたのだ。しかも、直前まで争っていた毛利方とも、わずかな時間で停戦に持ち込んでいる。毛利軍に納得してもらえるような、それ相応の妥協案を提示する必要があるだろうし、短期間で考えるのは、相当難しいことだったはずだ。
そもそもなぜ、秀吉は信長の死が本当だと確信したのか。書中には「秀吉は、本能寺の変直後に光秀が毛利方に送った密使を捕らえ、信長の死を知る」と書かれている。ただ、この時代に情報の真偽をすぐに確かめる術はないに等しい。誰かを京都に向かわせるにしても時間がかかりすぎてしまうだろう。その間にも戦況は刻一刻と変わっていく。
自軍が不利にならないように現状を見極めつつ、突如舞い込んできた変事にもすぐさま対応しなければいけない。ただ情報の真偽を確かめる時間や術はない……。現代のビジネスシーンにおきかえると、「今まさにライバル会社との争いに雌雄を決する瀬戸際なのに、突然今後の営業に支障をきたすような事態が勃発。いますぐ対応したいけど事実確認がとれていない」といった感じか。まさに緊急事態である。
ただ秀吉は、それをすべて乗り越え、天下統一まで果たした。毛利方にどんな案を提示して停戦に持ち込んだのか。「信長の死」という情報をどのような形で判断し、10日間で光秀討伐にまで至ったのか。その答えは書中で解説されている。きっと彼の思考の柔軟さと判断力、行動力を知ることで、ビジネスにおける競争を生き抜くために必要な情報への接し方がアップデートされるはずだ。
本書には他にも、信長や今川義元が敷いた「院政」の真意についてや、戦国武将の危機管理術といったさまざまな現場感覚が解説されている。ぜひ、本書に自身のビジネスに活かせる要素はないか、探しながら読み進めることをおすすめする。単に歴史の真意を学ぶために読むよりも2倍楽しめるだろう。
文=トヤカン