過去の女を忘れられない男の未練を、バブル期の幻影とともに描いた新境地!『晩秋行』大沢在昌氏インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2022/6/22

「新宿鮫」シリーズを筆頭に、ハードボイルド小説を通して男の生きざまを描いてきた大沢在昌さん。新作『晩秋行』(双葉社)では、過去の女を忘れられない男の姿を、バブル期の幻影とともに描き出している。

 空前の好景気に浮かれていた時代、「土地ころがしの神様」と呼ばれた二見のもとで働いていた円堂。だが、やがてバブルは弾け、二見は多額の負債を抱えたまま行方をくらませてしまう。しかも、クラシックカー「フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダー」に、円堂の恋人だった君香を乗せて。

晩秋行
晩秋行』(大沢在昌/双葉社)

 それから約30年後、居酒屋店主へと転身した円堂のもとに、かつての盟友・中村から電話が入る。「赤のスパイダーを見た奴がいる」──サングラスの女が運転していたというその車は、二見のカリフォルニア・スパイダーか。そして、女の正体はかつての恋人・君香なのか。円堂は、目撃情報を頼りに那須に向かうが……。

 20億円のクラシックカーをめぐる追走劇を描きつつ、女の面影を追う男の老境を描いた本作は、まさに大沢ハードボイルドの新境地。男の未練がましさ、情けなさをも描き切ったこの作品に込めた思いとは。

(取材・文=野本由起 撮影=中 惠美子)

昔の女を忘れられない男の情けなさ、前に進む女のたくましさ

──『晩秋行』は、60代に差し掛かった男が、バブル崩壊とともに消えたクラシックカーと愛した女を追う物語です。この作品はどのようにして生まれたのでしょうか。

大沢在昌さん(以下、大沢):『週刊大衆』での連載だったのですが、前回の連載は激しいアクションシーンが多い小説だったので、今回はちょっと静かな話に。男性誌ということもあって、中年男性の悲哀を描こうと思いました。これまで僕の小説を読んできた人にとっては物足りないかもしれないけれど、「たまにはこういう小説もどうですか?」という思いでしたね。

 主人公は、刑事でもなければ元傭兵でもない、ただの居酒屋のオヤジです。いつまでたっても昔の女を忘れられない男の情けなさと、「次に行くわよ」という女性のたくましさを、銀座のスナック「マザー」のママ・委津子に赤裸々に語らせました。ふたりの会話は、書いていて楽しかったし、一番読んでほしいところです。

──円堂は、30年経った今も、自分のもとを去っていった君香という女性に未練があります。円堂をどのような人物と捉えていますか?

大沢:男なんて、みんなあんなものでしょう(笑)。自分を捨てていなくなった女性だろうが、自分が捨てた女性だろうが、時が経てばみんないい女に思えてくる。しかも自分から逃げておいて、「いや、いい女だったな。今だったら別れなかっただろうな」なんて都合よく考えるわけです。でも、向こうはとっくにお前のことなんか忘れてるから(笑)。66歳にして、やっとたどりつけた男女の真実ですね。

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──以前の大沢さんだったら、こうは書かなかったのでは?

大沢:そうでしょうね。もっとロマンチックに書いていたと思う。でも、そろそろ現実を見ないといけない。「目を覚ませ。お前のことなんか、向こうはこれっぽっちも覚えてないぞ」と、自戒も込めて書きました。同年代の男性が読んだら、胸をかきむしられるんじゃないかな(笑)。

──失礼ながら、大沢さんも痛い目を見たことがあるのでしょうか……。

大沢:僕の人生、痛い目しか見てきてないから(笑)。集大成だと思ってくれていいですよ。委津子との会話は、ほぼ自分の経験から出てきた言葉。でも、いい思いもしたわけだし、もう満足しろってことですよ。

 あとは、若い女性から「わたしとの未来も考えて下さい」と言い寄られる場面では、「恋愛したとしても、それが何年つづく?」「10年も20年もはつづかない」と返しますよね。こんな冷静なことも、5年前の僕だったら言えなかっただろうね。「10年後の僕たち」なんてことは考えなかったから。それが60も半ばを過ぎると、「10年後なんてないね、君と僕は」となる。「付き合うことはできないけど、それ以外の関係でよければいいよ」っていう感じだね(笑)。

──いくつを境にそういう心境になったのでしょう。

大沢:60歳だろうね。僕は今、66歳。背広を着てネクタイして歩いている人は、僕より若いと考えていい。ひとつの角を曲がったなと思いますね。死まで秒読みだとは思わないけれど、サラリーマンなら第二の人生を迎えて「さあ、どうする?」という年齢。幸い、僕は小説家という職業柄、今でも世の中と関わり合っていられるけれどね。ただ、遊ぶにしたって限度があるし、体力の限界もあります。人より体力はあるけれど、それでも4、50代の頃に比べれば明らかに落ちている。そうは言っても、抗いたい自分、認めたくない自分がいるのも事実です。

 そんな中で、自分と同世代の主人公にほぼ初めて向き合ったわけです。小説を書く作業は自分の内側を覗き込むことだから、一体何が出てくるだろうと思ったら、男女の話が出てきた。それも面白かったですね。ついに僕も諦めの境地に達したのか、と。もうモテないってことを認めろよ、と。そういう気分でしたね。

日本中が狂騒に沸いたバブル時代を描く

──作中では、30年前のバブル期についても語られます。当時の狂騒も、興味深く拝読しました。

大沢:僕にとって、バブル時代はついこの間のように感じられるけれど、よく考えたらバブル期を生きてきた人たちももう定年。この時代を書くことで、関心を持ってくれる人もいるのかなと思いました。

──円堂はバブル時代を振り返り、「夢を見ていたようだ」と語ります。大沢さんにとって、バブル期とはどんな時代だったのでしょうか。

大沢:面白い時代だなと思っていました。当時は土地が異常に値上がりしたでしょう。だから、こんな話を聞いたことがあります。高校時代から優秀で、名門大学に入り銀行に就職した人がいたそうです。普通に考えれば、勝ち組ですよね。でも、高校を中退して、暴走族の先輩に誘われて不動産屋に入った人が、銀行員よりはるかに稼げたのがあの時代。元暴走族の同級生から「この間、俺、1億円のマンション買ったんだよ」なんて言われて、銀行員が「俺はローンを組んでも、山手線の内側に家なんて買えないのに」と悔しがった、なんて。そういう価値観の逆転がバブルの頃にはあったので、これはこれで面白いなと思いました。

 僕自身は、バブル時代は鳴かず飛ばず。『新宿鮫』でブレイクしたのが1990年だから、口の悪い船戸与一に「平成の逆バブル」なんて言われましたよ。「みんなはお金がない時期に、お前だけ儲かってる」って(笑)。

──過去のインタビューで、「六本木聖者伝説」シリーズはバブル時代の六本木を嫌悪して書いたとお話しされていました。てっきりバブルに対して嫌悪感を抱いていたのかと思いました。

大沢:あの小説は、バブル時代の六本木が気に入らなくて「潰れちまえ」と思って書きました。豊かさや豪華さを求めること自体は、けして悪いことではないと思う。ただ、ひと皮めくればカネカネカネの時代だから。やっぱりいやらしいし、いい時代ではなかったね。

 まぁ、みんなどうかしていたんでしょうね。僕の周りにも、バブルの頃は外車を乗り回していたけれど、バブルが弾けた瞬間に落ちぶれて、一家離散になった人が何人もいましたから。

──作中に登場する二見も、何十億円という負債を抱えて飛んでしまった人物です。

大沢:そういう人はたくさんいましたし、同情に値しないという雰囲気でした。僕はバブルが弾けてから売れるようになったから、「カネを貸してくれ」と泣きつかれたことも何度もあります。貸したはいいけれど、結局会社は潰れ、奥さんとは別れ、行方不明になってしまった人も。風の便りで孤独死したらしい、とかね。そういう話はたくさんありました。

ただ、恨んでも仕方がないし、そういう時代だったんですよね。あの頃の価値観のいびつさは、バブル時代を知らない人には理解できないと思う。当時はまだ身内以外にも保険金をかけられたから、借金を背負った人をフィリピンに連れて行って殺すなんてこともありましたから。

──聞けば聞くほど、凄まじい時代ですね。

大沢:そりゃ、ひと晩で億という金が転がり込んでくるわけですから。夕方に売りに出したものが、銀座で飲んでいる間に億の値段がついた、なんてこともあります。それで「シャンパン持ってこい」と言って、アイスペールにドンペリを入れて回し飲みするような時代ですよ。この小説にも書いたけれど、ホステスが家に帰って着物を脱ぐと万札がポタポタ落ちてきたって話です。

 ただ、そういう金がどこへ行ったのかというと、綺麗さっぱり残っていません。明日も明後日もずっとこの状態が続くと思っているから、みんな宵越しの金を持たずに使ってしまうわけです。うまく逃げきった連中も1%くらいはいるはずだけど、そういう人間は口を拭って認めません。「俺も大変だったんだよ」なんて言って、こっそり生きてるんでしょうね。いや、不思議な時代でしたよ。

──二見は20億円もするクラシックカーとともに逃げたものの、処分すれば足がつくため、売ることもできません。カリフォルニア・スパイダーというこの車を、どのような存在として描きましたか?

大沢:バブルの象徴ですよね。とはいえ、別にこの車をテーマにしたわけではなくて。クラシックカーに乗っていなくなった話にしようと思い、何がいいかと担当編集に相談したところ、世界で数百台しか作られなかったカリフォルニア・スパイダーという名車があると知ったんです。最近も古い車体がヨーロッパで見つかり、オークションで20億円の値がついたと知り、「これだな」と。ただ、実はその後、日本国内でも死蔵されていたカリフォルニア・スパイダーが見つかったらしいんです。まったくの偶然だったので、驚きました。

──カリフォルニア・スパイダーが、過去の亡霊のように円堂の前に現れるのも面白いですね。

大沢:そう。まさに亡霊のように現れては消え、現れては消える。そういうものは、小説の材料としては楽しいと思うんですよ。それから、情けない男の未練。これも小説の材料としてぴったりです。未練心とクラシックカーをセットにしたのが、この小説なんです。

趣味を生かした居酒屋料理の描写

──主人公の円堂は、居酒屋の店主です。この設定も、大沢作品には珍しいのではないかと思いました。

大沢:手に職のない男に何ができるかと考えたら、やっぱり飲食業だろうな、と。かと言って、スナックのオヤジみたいにごまをすることもできません。そうなれば、料理人しかないだろうと思いました。

──大沢さんも、料理がお好きだそうですね。それもあって、円堂が作る料理はどれもおいしそうですね。大根の皮に塩して柚子とあえたものなんて、なんてことのない家庭料理なのに食べてみたくなりました。

大沢:作中に登場する料理は、ほとんど僕が作るメニューです。別荘では、いつも20人分の料理を作っていますから。中華も作ればイタリアンも和食も作る。魚もおろすし、ぬか漬けも自分でつけます。やっぱり好きなんです。みんなまずいとは言えないから、出したものは泣きながら「おいしい」と言って食べてますよ(笑)。

──料理を作るようになったのは、何がきっかけだったのでしょう。

大沢:うちはひとりっ子なのに、夜食も自分で作るような方針でした。食事の時も、僕が「おかわり」とおふくろに茶碗をつき出すと、オヤジが「この家にお前の女中はいない」と言う。だから、自分でご飯をよそって、食べ終わったら食器は自分で流しに持っていく。夜中に腹が減ったら、自分でおにぎりを握って、ぬかみそをかき混ぜて古漬けを出したりしてね。それが原点でしょうね。大学に入って上京してからは、好きで作るようになりました。料理ができると、圧倒的に女子にモテるんですよ。

──料理を作ることと小説を書くことは、どちらもクリエイティブな行為です。どこか似ているところもあるのでしょうか。

大沢:本職の料理人に対して失礼だから、同じ土俵では語れないな。それに、料理を作ってる時は、基本的には料理のことしか考えないんです。釣りもゴルフもゲームもそうだけど、小説から離れさせてくれて、没頭できる遊びが好き。映画なんかは、観ていると「自分だったらこうするのに」と考えてしまうけど、料理やゴルフはそれだけに集中できる。そこがいいんです。

 ただ、近いのはどちらも人を喜ばせられることですね。料理は、おいしく作れば食べてくれた人を喜ばせられる。小説も、面白ければ読んでくれた人を喜ばせられる。しかも、小説は反応をもらうまでに時間がかかるけれど、料理は食べてもらった瞬間にわかるでしょう。1時間かけて作ったものを、ほんの10分でワーッと平らげてもらえる。それを見ると、作ってよかったなという気持ちになりますね。

常に目の前だけを見て、ベストを尽くしてきた四十数年

大沢在昌

──『晩秋行』は、これまでにない作風でした。大沢さんが、これからチャレンジしたいテーマは?

大沢:先々のテーマなんて考えていませんよ(笑)。ありがたいことに、仕事の注文は数年先まであるから、そこに応えてはいきたいのですが。長い階段を上る時に、階段の先のほうまで見るとうんざりするでしょう? だから、目の前だけを見て一歩一歩上っていきたい。30年ぐらい前から同じことを言い続けていますが、今のベストを尽くすだけ。そうやって一生階段を上り続けていければ、それで幸せじゃないですか。それはそれで、夏休みの宿題がずっと終わらないような気分ではあるけれど(笑)。

──新作は『晩秋行』ですが、大沢さんの夏は終わらないわけですね。

大沢:そう。僕に、8月31日はやってきません(笑)。先のことは考えないし、来月始まる連載だってまだタイトルすら決まっていません。いつも直前になって、机の前に座って考え始める。締切が来たら書いて、すべての締切が過ぎたら本ができている。その繰り返しで、四十数年かけて100冊以上書いてきました。いつかは書けなくなるかもしれないけれど、今のところまだ書き続けていられるから、考えたってしょうがない。今がよければそれでいいんです。刹那的でしょう? 書いて稼いで遊べりゃいい。それが本音です。