妻、母、主婦という役割に縛られている主人公が、年下男性に出会い揺れる…『シュガーレス・シュガー』
公開日:2022/6/23
〈女の一生を乗りこなす事は容易い 女性というパッケージに 妻というパッケージ 親というパッケージ それさえ用意出来れば主体性などなくても乗りこなしてゆける〉。そんな独白からはじまるマンガ『シュガーレス・シュガー』(木村イマ/双葉社)。主人公の柴田業(ごう)は、元小説家志望で、今は幼い娘を育てる専業主婦。凡庸な日々にどこかむなしさを感じながら、家族との幸せに波風を立てない無難な選択を重ねている。いわゆる“ふつう”の女性である。
自分が望んでその道を選んだという自覚は十二分にある。妻や親というパッケージは業を窮屈にするだけでなく、安定した幸せの保証だということも、その保証に自分が甘えているのだということも。それなのに何かが物足らず、“自分”がどんどん失われていく気がしてしまう。そんな苦しさに押しつぶされそうになっていたとき、出会ったのが若きSF小説家の弦巻融だ。喫茶店でしばしば隣り合わせる縁から、雑談をする仲になった彼に、業はふと自分の境遇について漏らす。
ただ優しいだけでなく〈でも役割って必要だからなぁ〉〈業ちゃんにその役割があるって事はその役割につくまでの道筋もあるはずだよ〉と言う融に業が救われていくのは、容赦なくても、厳しくても、彼が業自身を見つめてくれるからだ。妻でも親でもない業自身の言葉を聞いて、真剣に答え、解決策を考えてくれる。そしてまっすぐ、業の名前を呼んでくれる。それは愛する夫や娘からは得られない充足感であり、心の穴が埋まる瞬間だった。
そうして“自分”をとりもどすため、久しぶりに小説を書き始めた業を、夫は軽んじる。馬鹿にしているわけじゃない。ただ、日中に若い男と話すのは不適切だと怒り、夫婦ふたりの時間は娘が育ったあとでいいと本気で言う彼は、業に業自身であることよりも、妻や母であることを求めている。夫から見れば、小説を書くなんてことは、今の現実において優先順位の低い些事なのだ。長い時間をかけていつのまにか固定されてしまった役割から夫は動こうとしないし、業をあたりまえのように静かに縛り付けようとする。いくら自分で選んだ道だからって、それは、つらい。求められる自分を演じるのではなく、ありのままの、自分が求める自分でいたいと、業はしだいに追い詰められていく。
そんな業の葛藤ごと、融は惹かれ、恋をする。けれどやっぱり、甘いだけではないのが彼の魅力だ。作家になれず、妻や親のパッケージで守られ、平凡な主婦として暮らしていることは、業のまぎれもない現実なのだと、“本当の自分”なんて虚像はどこにもないのだと突きつけてくる。
〈本当の自分になりたいなら自分を生きる覚悟を持つんだ〉という融に、〈そんな大ゲサな事?〉と業は泣く。けれど、そんな大ゲサな事なのだと、読みながら思う。誰もが手を取り合いながら、支え合いながら暮らしているこの社会で、自分らしくありたいと願うことは、甘えを捨て覚悟をもつということを、本作は読者にも突きつけてくる。
シュガーレスな現実。でも、それでも誰かをいとおしいと思わずにいられない甘さが加わるのもまた現実。揺れる融との関係以上に、業がどんな道を切り開いていくのか、その一歩一歩から目が離せない。
文=立花もも