「野村野球」を継承する、ヤクルト髙津監督が目指す「絶対大丈夫」なチームの作り方とは

スポーツ・科学

更新日:2022/6/27

一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい
一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』(髙津臣吾/光文社)

 今、東京ヤクルトスワローズが強い。この交流戦で優勝を収めると、リーグ戦もトップを独走(6月23日現在)。昨季の“日本一”から続く勢いに、「黄金時代の到来だ」の声も大きくなっている。しかし日本一になる前は、2年連続でリーグ最下位だったチームである。この生まれ変わったかのような強さの源はどこにあるのか。

 キーマンは他でもない、チームを日本一に導き、先日さらに2年の一軍監督続投で基本合意した髙津臣吾氏。同監督がこの春、『一軍監督の仕事 育った彼らを勝たせたい』(光文社)を上梓した。本書には、髙津監督が振り返る昨季の日本一までの道のりだけでなく、ヤクルトという組織が日本一に向けて、また中長期で常勝チームとなるために、どう取り組んでいるかが詳らかにされている。

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「絶対大丈夫」が生まれた経緯、選手をその気にさせるマインドセット

 髙津監督は、ポジティブな言葉で選手たちの能力を引き出すと評判だ。そのことを有名にしたのは、やはり「絶対大丈夫」のフレーズだろう。「絶対大丈夫」とは、昨季のヤクルト快進撃で、髙津監督が選手たちの背中を押すように、繰り返していたことで知られるが、この言葉が生まれた経緯を、髙津監督は同書で次のように明かす。

本来、「絶対大丈夫」という言葉は自分自身にかけるものであって、人に言ったり言われたりする性質のものではない。
野球選手の場合、「絶対大丈夫」という言葉は、試合前、あるいは打席に立つ前などに、自分に言い聞かせるワードなのだ。つまりは、自分の内面に語りかける場合に用いる。だとしたら、発想を変え、「外からこの言葉を投げかけたら、かえって響くんじゃないか?」と気づいた。

 加えて、自身がヤクルトの選手だった現役時代に野村克也監督(当時)から、かけられた言葉のように選手に響かせたかったという。93年の西武ライオンズとの日本シリーズ最終戦でのこと。野村監督は最善の準備をしたのだから全力で戦えればいいと髙津選手を勇気づけた。いわば「人事を尽くして天命を待つ」。いつだって、自分をその気にさせてくれた野村監督に救われてきたという。「絶対大丈夫」に込められた思いだ。

「野村野球」とデータは「気づきの宝庫」、考えすぎて不眠症に!?

 一体そこに至るまで、チームはどれほど準備をしてきたことか。実際、「野球技術と心理学を融合した」野村野球の緻密さは、データ全盛と呼ばれる現代でも到達できないレベルにあると髙津氏は説く。例えば、野村監督は「ランナー1塁、2バウンドでショートがゲッツーを取れる配球を考えてみい」と宿題を出していた。次第にバッテリーは「この打者に対してはここを狙い、この球種でコントロールをして、特定の場所に打たせる」と配球するようになっていった。

 どうすればひとつのアウトを奪えるか、勝てるのか、強くなれるのか。髙津監督は、選手たちを育て、引き出しや新しい発見を見出していくことに余念がない。ヤクルトを中長期で強くすることに夢中なのだ。監督になってからは、野球のことを考えすぎて毎夜、ぐっすり眠れなくなってしまったほどに。だが同時に、考えることが楽しくてたまらないとも明かす。膨大なデータは、「気づきの宝庫」という髙津氏。野村野球を継承する気概と飽くなき探究心が伝わってくる。

 野村氏も「野球は考えれば、考えるほど面白い」と語っていた。その薫陶を受けた髙津監督が今、緻密に、そして楽しげにチームを勝利に導いている。同書は、ヤクルトファンにはたまらない1冊だが、野球が好きな人にとっても大いに興味深く、より深く考えることへの学びと気づきの書だ。なお同書は、2018年に出版された『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』の続編でもあるので、併せて読めばさらに奥行きが増すはずだ。

文=松山ようこ