文字数に制約のある歌詞だから、小説とは違う表現が生まれる──『茜さす日に嘘を隠して』『青く滲んだ月の行方』座談会②

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/1

茜さす日に嘘を隠して
茜さす日に嘘を隠して
(真下みこと/講談社)
青く滲んだ月の行方
青く滲んだ月の行方
(青羽悠/講談社)

 物語を生み出す小説家と、楽曲に乗せて物語を届ける歌い手。それぞれが才能を発揮し、“聴く小説”と“読む音楽”を届けるプロジェクト「いろはにほへと」がスタートした。

 第一弾として、小説家・真下みこととシンガー・みさきによる女性デュオ「茜さす日に嘘を隠して」(以下アカウソ)、小説家・青羽悠とシンガー・Shunによる男性デュオ「青く滲んだ月の行方」(以下アオニジ)が、それぞれ5話&5曲を発表。7月1日には、ユニットと同名の単行本『青く滲んだ月の行方』(青羽悠/講談社)、『茜さす日に嘘を隠して』(真下みこと/講談社)が刊行されることとなった。

 どちらのユニットも10代後半~20代前半のクリエイターで構成されているとあって、各話で描かれるのも就活、恋愛などZ世代が抱える等身大の悩みや葛藤。しかも、ふたつの作品は登場人物や舞台を共有しており、密接にリンクしているのも面白い。両方読むと「この人とこの人がつながっていたのか」という驚きを得られるだけでなく、人は相互に影響を及ぼし合って生きているという当たり前の事実も突き付けられる。

 単行本発売を記念して、プロジェクトに携わった4名による座談会を実施。その模様を全3回にわたってお届けする。第2回は、小説と歌詞の表現方法の違い、完成した楽曲について話を伺った。

取材・文=野本由起

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「歌詞は、一瞬であふれ出した感情をスーパースローカメラみたいに数分かけて表現できる」(真下)

──今回のプロジェクトは、小説を書いた作家が作詞も手掛けているのが特徴のひとつだと思いました。青羽さんと真下さんは、もともと趣味で作詞をしていたそうですが、小説と歌詞では作り方や表現にどのような違いがあると感じましたか?

青羽:小説は、ひとつのことを多面的に書けるのが特徴だと思っています。物語に乗せて感情を表現するので、いろいろな言葉が使えるし、いろいろな描き方ができます。一方、歌で感情や物事を描く時には、言葉を絞らなければなりません。ピンポイントで端的な言葉を引っ張り出す必要があるんですよね。そこが難しいところでしたが、逆に楽曲に助けられることも。小説だと、心の中にある実態のわからない感情を、言葉を尽くして説明しますが、楽曲であれば音楽に乗せてその気配が伝わればいい。伝え方がまったく違うので、面白かったです。

真下:歌詞は、一瞬であふれ出した感情をスーパースローカメラみたいに数分かけて表現できるんですよね。カメラのスピードが等倍じゃなくてもいい、みたいな。小説は、時間がリアルタイムもしくは2、3倍で流れていきます。というのも、小説でスーパースローのシーンを多用すると話が全然進まなくなってしまうんです。そこが歌詞と大きく違うなと思いました。

 あとは、メロディがある種の制約になってくれるんです。例えば第1話の「さんざんな朝」で言うと、「いつもの駅の改札にICカードをかざしたら、残高が足りなくて止められた」という出来事を、楽曲では18文字の歌詞で伝えなければならなくて。そういう制約があると、「この文章の中でいらない情報はどれだろう」と精査する作業が発生します。普段小説を書く時にはそういうことはないので、大きな違いを感じました。小説でも、「好き」って言葉を使うのをやめると「会いたい」になるし、「会いたい」をやめると別の表現になります。制約があることで生まれるものもあると思うので、結果として表現の幅が広がったように思います。

──おふたりとも難しさを感じながらも、楽しんで作詞をされた感じがしますね。

真下:改めて、小説って本当に自由なんだなと思いました。と言っても、作詞や共作が自由じゃないからダメというわけではなくて。ひとりで小説を書いているだけでは出てこなかった言葉が、たくさんありました。

青羽:本当にそうですよね。今回の小説も楽曲も、いろいろな方々の想像力を借りて作れたものだなと実感しています。「こういうのをやりたかった!」って思いましたね。

「音楽、小説、映像それぞれの魅力が合わさることで新しい体験が生まれる」(Shun)

──小説の世界観を音楽で表現したり、作家とミュージシャンがコラボレーションしたりと、物語と音楽は親和性が高く、近年はさらにその距離が近づいているように感じます。近年は、ボカロやYOASOBIの活躍をきっかけに、物語・音楽・映像の3メディアの融合が進んでいるようにも思います。みなさんは、現状をどうご覧になっていますか?

真下:私の場合、作詞作曲は趣味でやっていたことなので、偉そうなことは言えないのですが……。でも、頭の中にしかないイメージを、誰かに伝わる形で描くという点は、音楽も小説も共通しているなと思います。あとは、今回のプロジェクトに挑戦して、楽曲は小説よりも関わる人数が多いんだなって。

青羽:うん、本当にそう。

真下:関わる方が多いということは、それだけ自分とは考え方が違う人が多くなるということ。だからこそ、私が軸を持たずに「あ、それでいいです」と相手に合わせすぎてしまうと、どんどん自分のやりたかったことから離れていってしまうんですよね。「そっちじゃないな」と思ったら、ちゃんとそう言わなければならない。常に全体像を把握しておかないと、思っていたものからズレていってしまいます。そういった怖さは、音楽のほうが強いように感じました。その反面、関わる方が多い分、より規模の大きいものを作れるんですよね。そこはすごく面白いなと思いました。

青羽:僕も似たような感想ですね。小説と音楽、映像の風向きがそろえば強固な表現になりますが、パワーバランスが崩れるとよくないな、と。特に意識したのは、音楽のポピュラーさ。油断すると音楽に持っていかれるというか、音楽に合わせちゃうんですね。

 小説はひとりで書くものなので、その分アクが強くなります。楽曲があるからといって、小説のアクを薄めると、作品としてだいぶ弱いものになってしまう。だからこそ、僕は僕のやりたいことを貫かせていただきました。一切妥協せず、全員で協力しながらも小説家、作曲家、歌う人それぞれのエゴが同じ力でぶつかり合えば、絶対いいものができる。結果的には、力強い小説と楽曲になったと思います。

──歌い手のおふたりは、いかがでしょう。

Shun:自分自身にとってもオーディエンスにとっても、音楽、小説、映像それぞれの魅力が合わさることで新しい体験が生まれると思っています。僕は普段、木を眺めるのが好きなんですけど、例えば大学のキャンパスで木を見ながら音楽を聴くのと、ただ音楽だけを聴く時とで感じるものが全然違うんです。今回、小説や映像というコネクションが背後にある中で歌うのは、自分にとっても新しい感覚でした。

みさき:聴く側の感想になっちゃうんですけど、私の場合、歌詞の意味を知らずに曲を聴く時は、ただ曲の雰囲気を自分のイメージで楽しんでいる感じなんです。それだけでも十分楽しめるんですけど、そこにMVが加わると、歌詞の意味やストーリーが映像からスッと入ってくるんですよね。さらに、そこに小説が加わると細かい感情まで伝わってくるので、より一層ストーリーに入り込めます。

 『アカウソ』も、小説を読まずにただ曲だけを聴いた時と、小説を読んだあとに聴いた時とでまったく聴こえ方が違って。小説を読むことによって自分のイメージが細かいところまで明確になって、聴いたあとの満足感がすごく深くなりました。

「『街の地球人たち』は、小説の中で広げた混沌をきれいに楽曲に落とし込めました」(青羽)

──『アカウソ』『アオニジ』どちらも、各5話の連作短編集になっています。まず小説家のおふたりにお聞きしたいのですが、楽曲がついたことで、さらにイメージが拡張された作品はどれでしょう。特に思い入れの深い作品があれば、教えてください。

青羽:僕は「街の地球人たち」(第2話)、「途方」(第3話)の楽曲が印象的でした。「街の地球人たち」は小説の中で広げた混沌、混乱を、きれいに楽曲に落とし込めたなと思います。小説とはまったく違ったやり方で、楽曲の世界が広がったな、と。「途方」は、物語の雰囲気に合わせた歌詞を書いたら、ドンピシャな楽曲を作っていただけた。小説の世界を大きく広げてもらえる、とても気持ちのいい楽曲に仕上がりました。楽曲を聴きながらこの小説を読んでもらったら、僕だけでは絶対に表現できなかった感覚を味わってもらえるだろうなと思います。

Shun:僕も3曲目の「途方」が一番好きです。あとは5曲目の「逆三日月」。理由はシンプルで、自分の声のいいところが一番きれいに楽曲に反映されているから。「途方」は、自分を振り返って時を過ごす歌なのですが、僕自身も普段からそういうことをするので、コンセプトもしっくり来ました。5曲目に関しては、やっぱりラストなので思い入れもあったし、上がってきたデモが好みのサウンドだったんですよね。モチベーションも高まったし、完成した曲もいいものになりました。

青羽:確かに5曲目も良かったよね。デモが届いた時に驚きました。3曲目は、Shunの一番歌いやすい音域だったし、僕も肩の力を抜いて作詞できました。全部がハマった感じがしたよね。

──『アカウソ』のおふたりは?

真下:一番楽曲に助けられたのが、3曲目の「手紙」です。というのも、「手紙」だけ他の4曲と違って作中曲なんですね。小説に作中曲が出てくることはありますが、文章で描写するだけで実際に楽曲を制作・公開することはほとんどありません。「これってどんな曲なんだろう」と想像しながら読んだことって、誰しもあるのではないかと思います。

 今回は、それを実際に曲にしていただけたので単純にうれしかったです。しかも、第3話「手紙」の主人公・文は、シンガーソングライターなんですね。上がってきた曲に合わせて歌詞を変えていくうちに、「あ、彼女はこういうことを思っていたんだ」というのがわかってくる感覚がありました。曲調もアップテンポで、みさきさんの弾き語りにはあまりないタイプ。新たな一面を見せていただけましたし、お気に入りの曲になりました。

みさき:実は、私も「手紙」がお気に入りなんです。自分も主人公の文みたいに曲作りをする立場なので、共感する部分が多くて。小説と音楽の両方から、音楽の自由さを学ぶことができました。真下さんのおっしゃるとおり、私が普段歌わないような曲でしたが、歌うのがすごく楽しくて。歌っていて一番気持ちよかったのが、この曲でした。

真下:小説を書くにあたって、みさきさんに取材もしましたよね。ギターのメンテナンス方法や、曲を歌う前に必ず行うルーティンは、みさきさんにチャットで質問事項をいきなり送り付けて、取材してから書きました。

──小説の「手紙」では、文が楽曲を作るうえでの気持ち、例えば「歌詞を否定されると自分が否定されたような気持ちになってしまう」という思いも語られます。そういった文の気持ちについても、みさきさんに取材したのでしょうか。

真下:みさきさんに取材はしていますが、たとえば歌を歌うことで生じる感情を聞き出して、それをそのまま小説にするのはみさきさんに悪いなと思いました。それはみさきさんの物語だから、いつかみさきさんが書きたくなった時に書けばいい。私が奪ってはいけないと思いました。なので、感情面よりもチューニングのやり方など実務的なお話をうかがって、小説に反映させました。

──文=みさきさんではない、ということですね。

真下:そうですね。でも、結果として、みさきさんが読んで近い部分があると感じてくださったのなら、ちゃんと書けたってことなのかなと思います。

──みさきさんは、文という人物をどうご覧になりましたか?

みさき:私も文と同じように、曲作りをする時は実体験しか書かないんです。だから、歌詞を否定されると自分を否定されたような気持ちになるっていうのは、すごくわかるなって思いました。文に自分を重ねて読んじゃいました。

「『自分の人生、これでいいんだよ』って肯定してくれる、『逆三日月』のShunさんの歌声が好きでした」(みさき)

──お互いのユニットで、好きな曲や小説はどれでしょう。

青羽:かぶっちゃうんですけど、僕も「手紙」です。ストーリーも面白かったし、「こういう曲調で来るんだ!」という意外性もあって。でも、話の内容にも合っているんですよね。あと、第1話と第5話は『アカウソ』と『アオニジ』でリンクしているので、別の意味で思い入れはあります。

真下:私は「αを待ちながら」(第4話)の曲調が好きでした。もう少し暗い曲になるのかなと思ったら、すごくカッコよくて。この小説は登場人物の名前がA、B、αなど記号で表現されているんですけど、それが歌詞に生かされているのも面白かったです。

青羽:うれしい!

真下:あとは、青羽さんと同じく第1話と第5話には思い入れがあります。『アオニジ』の第5話「逆三日月」は晴れやかで素敵ですよね。なにか吹っ切った感じがして。

青羽:編集さんとも話したんですけど、最初と最後の章で同じ人物が登場する短編集って実は少ないんじゃないかと思うんです。『アカウソ』の皐月も、『アオニジ』の隼人も、お互い成長できてよかったです。

Shun:僕は『アカウソ』の最初の曲「さんざんな朝」が一番好きですね。単純に、サビのメロディが好みだったので。カン!と来る感じが好きです。

みさき:私は『アオニジ』の5曲目「逆三日月」が好きでした。小説を読んで、自分の生き方を考えさせられたし、一番入り込めました。「小説を読んでこんな感覚をもらったことはない」って感じで。しかもShunさんの歌声が「自分の人生、これでいいんだよ」って肯定してくれる雰囲気で、めっちゃ好きでした。

Shun:あざっす!

第3回に続く 第3回は7月8日公開予定です。

「アカウソとアオニジ」座談会 第1回はこちら