すべてはあの日から始まった。小3の夏休み、同級生からYouTuberに誘われて/#拡散希望【全文公開①】
更新日:2023/2/2
ミステリ界注目の作家・結城真一郎氏の『#真相をお話しします』(新潮社)は、YouTubeやマッチングアプリ、リモート飲み会など、現代日本の今とどんでん返しミステリが融合した、全5篇からなる1冊。本連載では、第74回日本推理作家協会賞を受賞した1篇「#拡散希望」を5回に分けて全文公開! あなたも作者の仕掛けた罠にハマってみませんか?
「#拡散希望」
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どんよりと曇った夜空を見上げ、僕は唇を噛んだ。
言われてみればすべてがおかしかったじゃないか。家族も、友人も、島での暮らしそのものも。それなのに僕は気付かなかった。気付きようがなかった。僕が知っている“世界”はこの島だけだったから。
海鳴りが聞こえる。ゴロゴロと水平線の果てが震えるかのように。
―違う。
震えているのは僕の両拳だ。
どこにぶつければいい? この怒り、憎しみ、衝動を。わからない。見当もつかない。どうしたらいいのか。どうすべきなのか。だけど不思議と迷いはなかった。もう後戻りはできないし、する気もない。これはある種の“宣戦布告”なのだから。
海鳴りが止んだ。
それを合図に撮影を開始する。
「やあどうも、ごきげんよう。皆さんご存知、渡辺(わたなべ)珠穆朗瑪(ちょもらんま)です。いまから僕は、ある殺人事件の“真実”を白日の下に晒そうと思っています。でも、その前に―」
例の事件に触れないわけにはいかないだろう。
いまから三年前、小学三年生の夏休み。
すべてはあの日から始まったのだ。
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その日、夕食を終えた僕はソファに埋まりながら流行りのアニメを観ていた。
「そろそろ三十分経つんじゃない?」
「あと三分あるよ」
背後を盗み見ると、エプロン姿の母親と目が合う。しょうがないわね、と呆れつつもおおらかな視線。ルールでは「テレビは一日三十分」のはずだったが、なんだかんだ数分の延長は黙認してもらえる。
「いつもそう言って十分くらい観てるでしょ」
「今日は本当に三分だから」
「どうかしら、見物(みもの)ね」
僕の両親は、たぶん世間一般よりもかなり教育熱心だった。テレビの他にも、ゲームは一切禁止、スマホや携帯の所持など言語道断。でも、それを窮屈だと思ったことはない。そもそも暮らしの中で困る場面はなかったし、鷹揚な両親から押しつけを感じたこともなかったから。
―パパもママも、忙しない生活にちょっぴり疲れちゃってね。
―だから「子育ては絶対に田舎で」って決めてたの。
そんな両親がここ匁島(もんめじま)に移住を決めたのは、僕が生まれてすぐのことだったという。
―まさにうってつけの環境だったのよ。
ウェブ系のデザイナーだかクリエイターだか、詳しくは知らなかったけれど、とにかくそんな類いの仕事をしていたので、パソコン一つあれば暮らす場所はどこでもよかったらしい。稼ぎは割とあったようだが特に贅沢するでもなく、むしろ重きを置くのは金で買えない“経験”―つくづくおかしな両親だ。まあ、世界一の子に育って欲しいという理由で「チョモランマ」と名付ける時点でお察しではあるが。
《続いてニュースです。今日午後七時過ぎ、長崎駅前の路上で二十代の男性が腹部を刺され死亡した事件で、警察は現場近くに住む無職の男を現行犯逮捕しました。調べに対し、男は『誰かがやらなきゃならなかった』などと供述し―》
「えっ」と思わず声を上げてしまう。
映し出された被害者の顔写真には、間違いなく見覚えがあった。
「この人、今日会ったよ」
なんですって、と眉を顰める母親の視線が画面へと向く。
《調べによると田所(たどころ)容疑者は、被害者が動画共有サービスYouTubeでライブ配信した動画の内容に腹を立てたとのことで、犯行当時強い殺意を―》
そこで映像は途切れた。
「ねえ、まだ観てるのに!」
「あと三分って約束でしょ」
「知ってる人が殺されたんだよ?」
「たまたま似てただけじゃないの?」
そんなバカな。あの特徴的な風体―見間違えるはずがない。そう思ったけれど、それ以上文句は言わないでおく。リモコンを構える母親の表情に、そこはかとない怯えを垣間見た気がしたからだ。
「でも、どうして殺されちゃったんだろう」
「余計なこと考える暇があったら宿題でもしなさい。『報告の時間』を始めるわよ」
報告の時間―それは、母親へ向けた“一日の振り返り”だった。
―あなたがどんな素敵な一日を過ごしたかを訊くのが、毎日一番の楽しみなの。
毎晩、決まってリビングで行われる我が家の奇妙な“習わし”―初めのうちこそ「めんどくせー」と思っていたが、さすがにもう慣れてしまった。
エプロンを外した母親が隣に座り、「さあ」と目顔で促してくる。
「えーっと、まず―」
僕は天井を見上げると、一日の顛末を思い出し始めた。
「ねえ、一緒にYouTuberにならない?」
立花凜子(たちばなりんこ)がそんなことを言い出したのは、昼下がりのことだった。小麦色の肌に長い手足、ぎょろりと大きな瞳。僕らの中で彼女だけが純粋な島生まれ島育ちだったので、言われた瞬間、初めて聞く島言葉の類いだと思ってしまった。
「え、何? ちゅーば?」
大きな身体を揺すりながら間抜けな声を漏らすのは桑島砂鉄(くわじまさてつ)―僕の言えたことではないが変な名前だ。白のタンクトップに青の短パン、ゴムの伸びきった麦わら帽子。今でこそ島の景色に馴染む彼だが、僕やルーと同じく東京生まれの“余所者(よそもの)”―つまり、僕らが移住してこなければ凜子は島で唯一の小学生になるところだったわけだ。その甲斐あってか、島の人たちはずいぶんと僕ら四人を可愛がってくれた。柴田のおっちゃんは道で会うと採れたての野菜を山ほどお裾分けしてくれるし、駄菓子屋の“鶴ばあ”から「ママに内緒だかんな」とアイスやガムをもらったのは一度や二度ではない。友達が増えて嬉しいね、凜ちゃん。子供は多いのがええ、島の宝さ。それが島の人たちの口癖だ。
「これ、見て」
差し出されたのは iPhone7 だった。メタリックに輝く黒のボディ、色鮮やかなアイコンが並ぶ画面。何世代か前の機種ではあるが、スマホも携帯も持っていなかった当時の僕らにとって、それは日常に紛れ込んできた突然の“未来”だった。
「すっげえ!」うやうやしく受け取った砂鉄が溜息を漏らす。「かっちょいいなあ」
「実は先月買ってもらってたんだけどさ、パパもママも『壊すといけないから』って、なかなか持ち出すのを許してくれなくて」
僕らは島南端の断崖絶壁に並んで腰をおろしていた。閉鎖された灯台のすぐ近く、駐車場に向かって右手奥の茂みの一角。そこを抜けると辿りつける秘密の場所。高さ三十メートルはあろうかという崖の上からは東シナ海が一望できた。
「ほら、チョモも見てみろよ」
砂鉄の手から“未来”が回ってくる。持ってみると意外にずっしりくるが、特に重いわけではない。聞くところによれば、電話が出来たり、写真を撮れたり、映画だって観ることができるらしい。こんな薄っぺらくて小さいのに? ありえない! 僕は必死にこの“未来”と自分の接点を見つけようと試みたが、馴染みがあるのは画面に表示されているデジタル時計だけだった。
「時間は自分で合わせるの?」
「は、そんなわけないじゃん」ぷっと凜子が噴き出す。
「自分でも変えられるけど、電波で勝手に合うんだよ」
そりゃそうか。いまどき手動でしか合わせられない時計なんて、僕の部屋の旧式目覚まし時計くらいだろう。あまりに時代遅れな質問を恥じつつ、僕の手元を覗き込む砂鉄が「電卓っぽいマークもあるね」と指摘するのを耳にして安心する。よかった、こいつのレベルも自分とそう大差なさそうだ。
あのさあ、と凜子が苦笑する。最先端の機器を前にして時計や電卓の話ばかりなのに耐え切れなかったのだろう。彼女はその恐るべき機能を誇らしげに教えてくれた。ほら、カメラだよ。すげえ! Siri っていうのがあってね。尻? それから―
中でも男子二人の心を掴んで離さなかったのは「指紋認証」だった。事前登録しておけば、表面にある丸いボタンに指を触れるだけで端末を起動できるという。
「僕の指紋も登録してよ」
「え、なんで?」
「やってみたい」
難色を示した彼女だったが、懇願に懇願を重ねた結果、しぶしぶ承諾してくれた。
すごいな、スパイみたい。でしょ? もう一回やらせて。別にいいけど。そんなやり取りを繰り返しているうちに、ふと左が気になった。いつもお喋りなルーがまったく会話に入ってこないからだ。iPhone7 を砂鉄に押し付け、「ねえ」と声をかけてみる。
「なに?」
水平線の先を睨む彼女は、こちらも見ずにぶっきらぼうな返事を寄越しただけだった。高い鼻にシャープな顎、陶器のような白い肌。つんと澄ました横顔は不機嫌そのもの。おそらく主役の座を凜子に奪われたのが気に食わないのだ。
ルーの愛称で親しまれる彼女は安西(あんざい)口紅―こう書いて「ルージュ」と読む。聞くところによると家は相当なお金持ちとのことだが、彼女もそれを鼻にかけていたので本当だろう。事実、城と見紛う自宅のガレージには、いつだってスポーツカーが並んでいた。それも一台や二台じゃない。島で乗る機会があるかは甚だ疑問だが、わざわざ本土から輸送したのだとか。それなのに、ルー本人は僕や砂鉄と同じくスマホや携帯の類いを持っていないのが面白い。甘やかされていそうで、意外と教育方針は我が家と似ているのだろうか。
そんな貴族なのか庶民なのかわからない彼女だが、その立ち振る舞いにはいつもどこか気取ったところがあった。演じているというか、外からの目を意識しているというか。上手く言えないけどそんな感じ。
中でも目に余るのは、頻繁に行われる“撮影会”だ。
本人曰く「島での私を一秒でも長く記録しておきたいんだって」とのことだったが、その言葉通り、彼女は常に両親から GoPro を持たされていた。「あれだよ、金持ちのドーラクってやつ」と毎回したり顔で呟く砂鉄―彼自身の語彙とは思えないので親が言っているのだろう。ただ、その「ドーラク」とやらに付き合わされるこちらとしては堪ったもんじゃない。何をするかって? 彼女の望むように撮ってやるのだ。特に、ここぞという場面ではことさら「かわいく撮って」と甘えてきた。それこそ、今日の午前中もそうだ。外海に繰り出すべく僕らがイカダ造りに勤しむ間、彼女は日陰からその様子を撮っていただけなのに、完成と見るや「それと私のツーショットをお願い」とはしゃぎ出したのだから。
「あんまり変な動画ばっかり観てるとバカになるんだよ」
午前中のはしゃぎようが嘘のように、ルーが嫌悪感丸出しで吐き捨てる。
「えー、面白いのに」
凜子は何やら画面に触れると、横向きにして僕らの方へ向けた。
流れ始めたのは、同い年くらいの少年が最新のおもちゃを開封する動画だった。
みんな見て、すごくない? わー、どうやって操縦するんだろ。これが説明書かな? というわけで、公園にやってきました―
「面白い動画で視聴者を楽しませる人たち。それがYouTuberなの」
箱の中から現れるラジコン(ドローンって言うらしい)、ポップで愉快なBGMとアニメチックな映像エフェクト、そしてドローンからの空撮によるエンディングシーン。あっという間に魅せられてしまった。
「なにこれ、すごい」
その後も凜子は嬉々として教えてくれた。ソロだけじゃなく、グループの場合もあること。先程の少年は「ぼくちゃんTV」と言って、三十万人程のファンがいる中堅どころだということ。動画のジャンルも色々で、絶妙な掛け合いによるゲームの実況プレイが魅力の「脱力ブラザーズ」や、法令違反ギリギリの迷惑行為を繰り返す「無礼野郎(ブレーメン)」が彼女のお気に入りだということ。そんな数多(あまた)のYouTuberのトップに君臨する結成十年目の六人組「ふるはうす☆デイズ」にもなると、二千万人もの視聴者がチャンネル登録しており、広告収入だけで年間数億円になること。
説明を終えた凜子は、企みに満ちた笑顔を寄越した。
「島育ちの男女四人組なんて、ウケそうじゃない?」