「ついに見つけた!」と言って近づいてきた男――この日から歯車が狂い始めた/#拡散希望【全文公開②】
公開日:2022/7/2
ミステリ界注目の作家・結城真一郎氏の『#真相をお話しします』(新潮社)は、YouTubeやマッチングアプリ、リモート飲み会など、現代日本の今とどんでん返しミステリが融合した、全5篇からなる1冊。本連載では、第74回日本推理作家協会賞を受賞した「#拡散希望」を5回に分けて全文公開! あなたも作者の仕掛けた罠にハマってみませんか?
僕らの住む匁島は、長崎市の西の沖合八十キロに位置する小さな島だった。一周巡っても十キロ程度。やや起伏はあるものの、自転車で一時間あれば回れてしまう広さだ。南北に細長い卵形をしており、北端に港が一つ。そこを中心に形成された集落には、島民が百五十人ほど。そのほとんどが漁業か山間地での農業で生計を立てていた。島に一つだけの小学校は全校生徒四人。無論、僕らだ。島には“後輩”もおらず、卒業したら廃校となってしまうだろう。テレビもねぇ、ラジオもねぇ、ということはないけれど、車はほぼ走ってないし、暇そうな巡査は巡回を名目に島民と雑談するだけ。なるほど凜子の言う通り、都会の人たちにとっては島の生活そのものが一大コンテンツだろう。
「―で、その『ふるはうす☆デイズ』の動画は、やっぱめっちゃ面白いの?」
頬を撫でる汐風、時折キィと軋む自転車。トコトコ走るトラクターを抜き去り、遠くの飛行機雲を追いかける。午後四時過ぎ、帰路につく僕ら。額の汗を拭いながら、僕は先頭を行く凜子の背に問いかける。島の南端から集落のある北端まで飛ばすと三十分、ゆっくりこいでも四十分強なので、門限の五時には余裕で間に合うだろう。
「それがさ、年齢制限のせいで観られないんだよね」
「エッチなやつだからかな?」すかさず口を挟むのは砂鉄だ。
「知らないよ」
「エッチで思い出したけど」砂鉄がこちらを向く。「結局、あの部屋はなんだったの?」
どんなきっかけで思い出してくれてんだと、僕は苦笑する。
彼が言っているのは「報告の時間」と並ぶ、我が家の奇妙な“掟”のことだった。
―危ないから、この部屋には入っちゃダメよ。
二階の廊下の奥、向かって右手側にある閉ざされた扉。物心ついたときからそこは立ち入ってはならない場所だったが、先日、夜中に目を醒ました僕はついに好奇心を抑えきれなくなってしまった。抜き足で忍び寄り、息を殺して取手を捻る。開く気配はない。耳を澄ますと両親の気配―もぞもぞと動き、何かを囁き合っている。そうこうしているうちに扉が開き、寝間着姿の母親が顔を覗かせたのだ。
―何してるの! さっさと寝なさい!
顔を真っ赤に上気させ、見たこともない剣幕だった。瞬時に部屋の中へ視線を走らせてみたものの、暗くてよく見えなかった。
翌日この話をすると、意味ありげに顔を見合わせる女子二人―だがそれも束の間、すぐに凜子が訊いてきた。
―最近、パパかママに弟か妹が欲しいって言った?
意味が分からず首を傾げていると、すぐに砂鉄が解説してくれた。
―なあ、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるってのは嘘らしいぜ。
「そんなことより、次は成功させたいね」
居心地の悪さとむず痒さを振り払うべく、僕は話題を変えた。
「そうだね」背後から同意してくれたのはルーだ。「次こそは、ね」
失敗に終わったイカダ造りの件だった。重さに耐えかねたのか、波に打ち負けたのか、僕らの夢を載せたイカダは出航後十秒も経たないうちに崩壊してしまったのだ。
「次こそはってルーは見てただけだろ」とすかさず文句を垂れる砂鉄。
「女の子に力仕事なんかさせないでよ」
「でた、それ逆差別って言うらしいぜ」
いつも通りのやりとりを繰り返しながら、まもなく集落に入ろうかというときだった。
「ねえ、君たち! ちょっと、ちょっと!」
反対側からやって来た男が、興奮気味に声をかけてきた。痩せ型で、モヒカンの髪をピンクに染めている。一目見て島外の人間だとわかった。
「やった、ついに見つけた!」
まともじゃない。直感的にそう思ったが、男の異様な熱量に圧倒され、知らず知らずのうちにブレーキをかけてしまう。
「ねえ、よかったら一緒に映らない?」
記念にさ、と男は手にしたスマホをインカメラモードにし、顔の前に掲げた。
僕は、さしあたり隣の砂鉄と顔を見合わせる。
「まあ、いいよな」
一瞬戸惑いはあったようだが、そう言うと砂鉄は男の脇に並び、ピースサインをカメラに向ける。なんだか知らないけど、まあいいか。危険があるわけでもなさそうだし。思い直して、僕も画面に映り込もうとした時だった。
「みんな、ダメ!」突如としてルーが叫ぶ。「逃げよう!」
言うなり彼女は自転車を急発進させた。「待って」とすぐさま凜子が後を追う。
あっけにとられて再び砂鉄と顔を見合わせるが、ただならぬ気配を感じ取ったのはお互い様だったようで、「そんじゃ」と言い残しそそくさと立ち去ることにする。
「おい、コラ。待てって」
男の気配をいつまでも背後に感じながら、僕は必死でペダルをこぎ続けた―
「―で、ニュース番組にその人が映ったんだ。絶対、別人なんかじゃないよ。あのピンク髪とモヒカンを見間違えるわけないもん」
そう「報告の時間」を締め括る。エッチの件は意図的に省いたが、問題ないだろう。
聞き終えても、何故か眉間に皺を寄せ黙りこんだままの母親―悩んでいる、という風ではない。むしろ言うべきことは決まっていて、それをどう言葉にするか吟味しているだけといった感じ。どうしたんだろう。不安だけが募る。
やがて沈黙を破った母親の口から飛び出したのは、思いも寄らない一言だった。
「凜子ちゃんと仲良くするのは、考え直した方が良いと思うな」
「え、なんで」
「ママもルーちゃんと同じ意見だから。せっかくこの島に来たのに、くだらない動画なんて見せられたら台無しなのよね。凜子ちゃんのママにも言っておこうかしら」
何かがおかしいと思った。今までただの一度もこんなふうに言われたことはない。どんなときも友達は大切にしなさいね、島での仲間は一生モノだから。それが母親の口癖だったはず。それなのに、たかがYouTubeを流しただけでこの変わり様―
だが、もっとおかしなことはその先に待ち受けていた。
この日を境に島の人たちが揃いも揃って僕らによそよそしくなったのだ。いつも野菜をくれた柴田のおっちゃんも、駄菓子屋の“鶴ばあ”も。蔑みの目で見られるわけでも、罵声を浴びせられるわけでもない。だけど明らかに変わってしまった。それだけは幼心にも察知できた。普段通りを装いつつ、腹の底では「この子たちに関わっちゃいけない」と思っているのが見え見えだったから。ただ、何より信じられなかったのはその中に凜子も含まれていたこと―他の島民たちと同じく、彼女もまた僕らから離れていってしまったのだ。
すべて、この日からだった。
何かの歯車が狂い、僕らの日常が変調をきたし始めたのは。
6:46
「とにかく、その日から変わっちゃったんだ。不思議でしょ?」
僕はカメラに向かって語り続ける。
あの日、長崎駅前で殺された男は「キンダンショウジョウ」という名前で炎上系のネタ動画を投稿するそれなりに名の知れた YouTuber だった。事件は午後七時過ぎ―匁島から長崎港への最終便は午後五時なので、僕らと遭遇した後すぐ市内へとんぼ返りし、そこで刺殺されたことになる。
「それにしても、YouTuber ってのは困った人種だよね」
殺人事件にまで発展するのは稀有な例だが、器物損壊や名誉毀損で訴えられた者は数知れず。法に触れないまでも「不適切な言動」による炎上は日常茶飯事だし、ガチのドッキリを銘打ちながらヤラセが発覚、そのまま人気失墜なんてこともよくある。
それでも、僕は彼らのことが大好きだった。
―ねえ、一緒に YouTuber にならない?
あの日、彼女が見せてくれた動画の数々―自分なら思いつきもしないし、思いついたとしてもとても実行になんか移せない、そんな無茶をしてくれる彼らがかっこよくて堪らなかった。母親が聞いたら発狂しそうだが、なれるものなら YouTuber になってみたかった。自分も彼らのように、画面の向こうの視聴者を笑顔にさせてみたかったから。
「だけど、その夢を叶える前にあいつは―」