よそよそしくなったはずの同級生女子から、体育館裏に呼び出されたら/#拡散希望【全文公開③】
公開日:2022/7/3
ミステリ界注目の作家・結城真一郎氏の『#真相をお話しします』(新潮社)は、YouTubeやマッチングアプリ、リモート飲み会など、現代日本の今とどんでん返しミステリが融合した、全5篇からなる1冊。本連載では、第74回日本推理作家協会賞を受賞した1篇「#拡散希望」を5回に分けて全文公開! あなたも作者の仕掛けた罠にハマってみませんか?
8:18
小学六年生の三月。卒業を控え、砂鉄とルーは携帯を持つようになった。とはいえ機能は最低限―電話とメールができるだけで、ネットは見られない仕様のやつだ。あくまで隣の佃島(つくだじま)へ船通学が始まる中学生活を見越した備えなので、それだけあれば事足りるという判断だろう。凜子も同じスマホ― iPhone7 を使い続けており、いよいよ何も持っていないのは僕だけになってしまったが、文句を言っても無駄だ。みんなが持ってるとか関係ないでしょ。うちはうち、よそはよそ。そう返ってくるのは目に見えている。
凜子とは相変わらずぎくしゃくしたままだった。険悪な仲になったわけじゃない。互いに無視することもない。学校にいる間も放課後も、基本的には以前と変わらず行動を共にしていた。だけど、ふとしたときに感じてしまうのだ。距離を、垣根を。何故かあれ以来、僕らの前ではiPhoneを弄らなくなったし、自分から発言することも減った。時折思いつめたように口をつぐみ、訴えかけるように大きな瞳で見つめてくるばかり。
―俺らが“余所者”だからだよ。
砂鉄がぼやくのを耳にする度、彼のランドセルに揺れるストラップへと目を向けてしまう。去年だったか、凜子がくれたのだ。僕が緑、砂鉄が青、ルーが赤で、凜子は黄。色は異なっているものの、形はお揃いの星形だった。
僕は知っていた。凜子が今もスマホカバーに“黄色の星”をぶら下げていることを。それだけが拠り所だった。僕らは決してバラバラになったわけじゃないと信じるための。
でも、残念ながらそれはとんだ間違いだったんだ。
「―お邪魔しまーす」
今から十日前、ルーが僕の家にやって来た。
陽も暮れかけた夕方のことだった。
「何だよ、こんな時間に」
「まあまあ、いいじゃん」
両親は急遽ルーの家にお呼ばれしたとかで留守だったため、このままだと一つ屋根の下に二人きり。幼馴染とはいえ、短いスカートから健康的な太腿を覗かせ、身体のラインも女性らしくなってきた少女を前に意識するなというのも無理な話だろう。自室に案内するが、目のやり場に困って「適当にかけろよ」と勉強机に向かう。
「ねえ、お茶くらい出したら?」
「あ、そうか」
気を回せなかったことを反省しつつ、引っかかることが二つあった。一つは、彼女が一瞬だけ僕の手首を凝視していたこと。もう一つは、訪問の目的―小学校低学年の頃は頻繁に互いの家を行き来していたけれど、最近はそうでもない。何か裏がある気がした。
麦茶のグラスを両手に部屋へ戻ると、彼女は大胆にもベッドに俯せの体勢で寝そべっていた。腰まである長い黒髪、無防備に投げ出された両脚。ただ、それ以上に僕の目を引いたのは彼女の手に握られていたスマホの端末だった。
「じゃーん、見て。ママのをこっそり持ち出してきたの」
銀色に光るiPhone8―思わず「おお」と唸ってしまう。
「色々試してみようよ」
そう言われて、並んでベッドに腰かける。微かな甘い香りと、息遣い。それらを振り払い、彼女の手元に集中する。見るとホームボタンに親指をあてがい、ちょうど指紋認証によりロックを解除したところだった。
「すごーい、初めて触ったけど、こんな簡単なんだ」
彼女は慣れた手つきで画面に触れては、きゃっきゃっと無邪気に笑う。
「持ち出したのバレたら怒られるんじゃないの」
「大丈夫、大丈夫。え、見て。なにこれウケる」
写真加工アプリだった。なんでもそれを使って写真を撮ると、宇宙人のように目が大きくなったり、猫耳が生えたりするらしい。
「やってみよっか」
それからひとしきり二人で写真を撮った。それ自体は純粋に楽しかった。でも、得体のしれない薄気味悪さがあったのも事実だ。真意が見えない。こんなことをするために彼女はやって来たのだろうか―
しばらくすると彼女はスマホをベッドに放り、居ずまいを正した。
「っていうか、今日、凜子と何を話してたの」
なるほど、それが訊きたかったわけか。
瞬間、凜子に体育館裏へと呼び出された放課後のことを思い出す。
―ごめんね、急に。
行ってみると、既に彼女は待っていた。軽い調子で「よっ」と声をかけるが、ふと考えてしまう。いつぶりだろう、こうして彼女と二人きりになるのは、と。
しばらくたわいのない会話が続いた。中学で入りたい部活に流行りのテレビドラマ、最近のイチオシYouTuber。聞けば、「ふるはうす☆デイズ」はややネタ切れの感もあり失速気味で、次々と新星が台頭しているのだとか。久しぶりに二人で話すのは新鮮で楽しかったが、どれも本題じゃないことはなんとなくわかった。
―ずっと、悩んでたんだ。言うべきかどうか。
やがて唇を噛みしめると、彼女は地面に視線を落とした。
―私たち、もうすぐ中学生になるよね。
―その前に、チョモには伝えておきたいことがあるんだ。
告白されるんだと思った。
体育館裏に呼び出す用事なんて、それ以外だと決闘くらいしか知らない。
―これを観てもらったほうがいいかな。
彼女が差し出したのはiPhone7だった。意味が分からず首を傾げる。
―チョモはあの日から、ずっとYouTuberになりたがってたよね?
そう思われても無理はないし、間違ってもない。凜子が僕らと距離を置くようになっても、しばらく「別の動画を見せてよ」と迫り続けたくらいだ。それに対して彼女は困ったように微笑むだけで、頑なに見せてはくれなかったけれど。
―だからこそ、チョモに言っておかないといけないの。
そう言って、彼女がiPhoneのロックを解除しようとしたときだった。
―何してるの?
体育館の陰から現れたのはルーだった。僕らを交互に見やると、何かを察したようにふふっと彼女は笑みを浮かべる。
―え、そういうこと? ごめん、邪魔しちゃった?
そう言いつつ、彼女は何故かその場を立ち去らない。見張っているようにすら見える。
しばらく口を引き結んで黙っていた凜子は、やがて弱々しく笑った。
―やっぱり今日はいいや、また今度ね。
小走りに駆けていく後ろ姿を、僕はぼんやりと見送ることしかできなかった。
「―別に、何も」
「誤魔化しても、お見通しだからね」
おどけた調子の彼女だったが、向けてくる視線は射るように鋭い。
「本当だって。ルーが来たから、結局何も聞けてない」
「え、私のせい? だって、二人が体育館裏に行くのが見えたから―」
瞬間、ベッドの上のiPhone8が「ブー」と震えだした。
「やばい! パパからだ」
二人して息を殺していると、すぐに着信のバイブレーションは収まった。
「ってか、もうこんな時間なんだ。そろそろ帰らないと」
「着信1件」という表示の上に、大きく 18:12 と出ていた。何とはなしに枕もとの目覚まし時計にも目をやるが、確かに短針はほぼ「6」、長針は「2」の少し先にある。
玄関まで見送りに出て、「じゃあまた」と手を挙げる。
「え、家まで送ってくれないの? 女の子を夜道に放り出すわけ?」
「そっちが勝手に来たんだろうが」
と言いつつ、彼女の言い分もわからないでもない。
めんどくせーな、とぼやきながらスニーカーをつっかける。
それと同時に、彼女は「あっ」と何かに気付いた。
「いけない、麦茶のグラス置きっぱなしだ」
「いいよ、別に」
「ダメだよ、私が出せって言ったんだから」
一度履いた靴を脱ぎ、ルーはパタパタと僕の部屋に駆けて行く。こういうところは意外と真面目なんだな、と苦笑していると、しばらくして彼女は二つのグラスを手に戻ってきた。やけに時間がかかると思ったが、グラスの片方が空になっている。律儀に飲み干していたのだろう。その辺に適当に置いておいて、と僕は顎をしゃくる。
「ごめん、お待たせ」
「んじゃ、行こうか」
凜子が死んだという一報を受けたのは、それからしばらくしてのことだった。