「“何者にもなれない”私たち」につながる物語――運命に抗うアニメ『輪るピングドラム』が2022年に描き出すものとは
更新日:2022/7/3
※この記事は作品の内容を含みます。未見の方はご了承の上お読みください。
「僕は運命って言葉が嫌いだ」。
もし生まれたときから、自分の人生やたどるべき未来が決まってしまっているのだとしたら、それはどんなにやるせないことだろう。だが、少なからず、人は生を受けた瞬間から、絶対的に決まってしまっているものがある。その「あらかじめ決まっている条件」を「運命」というならば、多くの人々は「運命」に縛られているのではないか。「運命」の奴隷である、僕らには「なれる者」も「できる事」もたかが知れているんじゃないだろうか。
「きっと何者にもなれないお前達に告げる」
そんな現実を突き付けるような、切れ味の鋭い刃のようなセリフ。そのセリフは多くの人々の心に突き刺さった。約10年前に放送されたTVアニメ『輪るピングドラム』は、何者にもなれない者たち――私たちに贈る物語だった。
この物語はつつましくも幸せなお茶の間から始まる。3人のきょうだい・双子の兄の冠葉(かんば)と弟の晶馬(しょうま)、そして妹の陽毬(ひまり)は東京荻窪にある自宅で楽しく暮らしている。両親はいないものの、子どもたち3人は自分たちの力で料理を作り、小さな家族のかたちをつむごうとしていた。だが、そのささやかな幸せは脆くはかなかった。双子の最愛の妹・陽毬は不治の病におかされており、余命は長くないと言われていたのだ。3人は父母と過ごした思い出のある水族館へ出かけ、晶馬はペンギンのかたちをした帽子を陽毬にプレゼントする。だがその直後、陽毬は倒れ、運ばれた病院で息を引きとってしまうのだった。双子の兄弟が絶望に沈んでいると、陽毬はペンギンの帽子をかぶってよみがえる。変貌した彼女はプリンセス・オブ・ザ・クリスタルと名乗り、兄弟に命令を下す。――「陽毬を助けたければ、ピングドラムを手に入れろ」。謎に満ちた「ピングドラム」をめぐり、3人のきょうだいたちの「運命」を決定づけた過去の事件がひもとかれていく。
画面のあちこちにペンギンのアイコンがちりばめられ、メインのキャラクター以外の人々はペラペラのピクトグラムで描かれる。物語が場面転換をするたびに電車の路線図が挿入される(しかも、あらすじがに表示されるという親切設計!)。そして、「イマージーン!」とプリンセス・オブ・ザ・クリスタルが叫ぶと不思議な異空間が広がり、70年代に活躍したロックバンドARBのカバー曲(トリプルHというアイドルグループが歌っているという仕立て)が流れる。イマジネーションたっぷりのビジュアル表現と研ぎ澄ましたキャラクター描写。アバンギャルドな表現があちこちに挿入されるが、キャラクター(とくに晶馬)の心情を追いかけていけば、ぐいぐいとストーリーに引き込まれていくことだろう。
この壮大な物語を手がけたのは幾原邦彦監督。本作は、彼が1997年に放送された『少女革命ウテナ』から、14年ぶりに手がけたオリジナルアニメ作品となる。新作を長年待ち望んでいたファンは、14年前と変わらぬスタンスと作風にくわえ、アップデートされたアニメーション表現を大歓迎して受け入れた。
彼は「運命」とともに生きる少年少女を描いてきたクリエイターだ。
たとえば、初の映画監督作である劇場版『美少女戦士セーラームーンR』では、正義のヒロイン・セーラームーンに変身する主人公の月野うさぎが、セーラームーンに与えられた使命(運命)に抗おうとする。また、自身初のオリジナルTVアニメ『少女革命ウテナ』では、主人公・天上ウテナが幼いころから憧れていた王子様と向き合う姿が描かれた。彼女が戦うときに流れる音楽は、寺山修司率いる「天井桟敷」で音楽を担当していたJ・A・シーザーによる挿入歌「絶対運命黙示録」。まさに文字通り、少女が向き合う運命を描いていたのだ。
そして、本作においても、冠葉と晶馬は己の運命に向き合おうとする。ふたりは妹の陽毬の命を助けるためにプリンセス・オブ・ザ・クリスタルの無理難題を懸命にこなしていく。やがて、彼らが探している「ピングドラム」が、彼らの背負っている罪につながっていることが明らかになっていくのだ。小さな家族の物語が、大きな喪失の物語へ。きょうだいは生まれながらに罪を背負っており、「何者にもなれない運命」を背負っていることが明らかになる。彼らは親に定められた環境(運命)や遺伝子(命)に翻弄されていくのだ。
これまで「運命」を描いてきた幾原監督が、本作で試みている仕掛けは「アニメ」と「現実社会」を接続することだ。本作の舞台は杉並区・荻窪。北口のタウンセブン、南口駅前の商店街のすずらん通り、商店街を抜けた先にある杉並区立中央図書館が、名称やロゴがアレンジされたかたちで作中に登場する。
本作の登場人物たちは荻窪から地下鉄(劇中ではTokyo Sky Metroと名づけられている)に乗り、場所を移動し、時間を移動し、時空間を乗り換えていく。この地下鉄で、事件は起きる。
この作品はアニメである。だけど、実在する場所や建物が出ることで現実との接点が生まれる。アニメでしか描けない切り口で、現実が切り裂かれていく。私たちの世界とつながっているアニメ。『輪るピングドラム』は、きっと何者にもなれない私たちの物語だった。
あれから約10年。本作『輪るピングドラム』をリブートするプロジェクトが動き出した。クラウドファンディングで10年前にこの作品に魅せられたファンから出資を募り、本作は劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』として生まれ変わることになった。
前後編の二部作で公開される本劇場版は『輪るピングドラム』のその後を描き、冠葉と晶馬が物語を振り返るという構成になっている。前編ではTVシリーズ『輪るピングドラム』の第12話までをぎゅっと圧縮して見せており、少年少女が運命にからめ取られていく姿が再現されていく。そこでつむがれている物語は、2011年に放送されたころよりも鋭く突き刺さる。
2010年代よりも閉塞感が強まっているように感じる現代では「運命に決められた未来」を背負い、「きっと何者にもなれない」と言われてしまう少年少女たちの絶望感はよりリアルに伝わってくるはずだ。
4月29日に公開された劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編] 君の列車は生存戦略』では、現在の荻窪の街並みが実写映像で織り込まれていく。写真で撮られた荻窪の2020年代の街並み。冠葉と晶馬、そして陽毬がまるで水にたゆたうクラゲのように、荻窪の街中をたゆたう。少年少女たちは今もなお、そこに生きているのだ。
「俺は運命って言葉が嫌いだ」。
何者かになろうとして、なれない私たち。何者になろうとしても、なれるという可能性を数えるよりも、なれないと思える数を数えるほうがたやすい。そういう時代に劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』が抗おうとしているものとは何か。7月22日に公開が予定されている劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる』も含めて、この作品が2022年にどんな物語を導き出してくれるか。期待せずにはいられない。
文=志田英邦