Utopia/小林私「私事ですが、」
公開日:2022/7/9
美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。
「お前、ユートピアの意味、知ってるか」
「…理想郷じゃないのか」
「実は違うらしい。元々はどこにもない場所って意味だったはずだ。それが時を経て、俺らの想像する理想郷って意味になったんだ」
「ふぅん…じゃあここはどっちの意味のユートピアだ?」
ふうふうと風が吹いた。綿菓子のような甘ったるさを感じた直後、鰻屋の前を通った時のような香ばしさが鼻腔をくすぐる。この変な風も、もう何度目だろうか。
さっきまで石畳の地べたに座っていたつもりだったが、気付くと革張りのソファに腰掛けているようだ。冷たい革の感触が、だんだんと自分の体温でぬるくなっていくのが分かるから、まさに今腰掛けたんだろう。
目は、一時間前か、それより長くか、もうずっとつむっている。ぼんやりと景色を眺めていた頃がもはや懐かしい。牧場に生える草がずんずんと高層ビルに育ち、羊がむくむくと屋台に変わり、風車小屋がくるくる回りながら滝になる間に、ビルが小さく縮んでネズミになる。はじめこそ面白がって見ていたが、だんだん激しい乗り物酔いのような感覚に見舞われ、それからはずっと、まぶたを閉じている。
「……どっちだろうな。お、飛行機がキリンになったぞ」
隣に座るコイツはまだ目を開けているようだ。親しげに話してはいたが誰だったか。会社の同僚だった気がするが兄弟だった気もするし、恋人だったようなペットだったような。そういえば性別もよく分からない。声は男にしては高いような気がするし、女にしてはハスキーだ。今更顔を見る気にもなれないし、手を伸ばして体にでも触れば分かるのだろうか。いや、きっと女にしては骨ばっていて、男にしては華奢なのだ。
「いちいち報告しなくていい。いまさら、森がサーファーになっても驚きゃしないんだ。」
「その組み合わせはまだ見てないな。あ……今、惜しかったな」
「どうした?」
「りんごがゴリラになってラッパになってパセリになったから、次はどうなるかと思ったら湖になった」
「くだらないなあ」
「そう言うな。何か規則性を見つけ出せば、ここから帰る糸口になるかもしれないんだから」
帰る。確かに帰らなければならないような気がする。しかし帰る道理が思い付かない。忘れてしまったのか、そんなものはなかったのか。いずれにせよ帰らなければならないし、帰る気も起きないのだ。矛盾しているがそう思う、とそのまま隣人に伝えてみた。
「そうだなあ。腹は減らないし体も疲れないし眠くもならない。俺って目が悪かったんだけどさ、今コンタクトしてないんだ、もちろん眼鏡も。…でも遠くまでハッキリと見える、変だよな」
「変だな。でも悪い気はしない」
「俺は気持ち悪いぜ。お前が目を開けたらそうなるように、同じくらい気持ちが悪い」
「景色に酔ってるんだろ、お前も目を閉じるといい」
「なんか、見逃しそうな気がするんだ。だからずっとまばたきもしてない。でも乾かないから不快じゃない。風はずっと吹いてるのによ。あっ」
「……どうした?」
「……俺は目を開けられないんだ、何かあったなら教えてくれよ」
しばらく待っても返事はなかった。隣人は隣人であっただけで今はもう鈴や小鳥になっているのかもしれない。目を開ければ解決するのだろうか、それでもおかしな景色を見る気にはなれない。
この現状を絶望と呼ぶ気になれないのにもかかわらず、俺には不定形な光の像を確かめる気持ちが湧いてこなかった。それどころか、革張りのソファがいつの間にか畳のようない草の感触に変わっていることに気を取られ始めていた。
それでも隣人が何に声を出したのかはやはり気がかりに感じる。そもそも何故ずっと座っていたのだろうか。彼ないし彼女が楽しい楽しいお喋りを唐突に辞めた理由はもうぐにゃぐにゃになって蛙にでも変わっているかもしれないが、いい加減動き出しても良い頃合いだろう。(隣人が見たのが蛙である可能性は否定出来ないが、それならお喋りを続行したっていいんじゃないか)
暗闇のなか立ち上がって歩き出すのにあまり恐怖はなかった。仮に何かにぶつかったとして、それらはすぐに何かでない何かに変わってしまうからだ。今踏み締めている絨毯のような床も、次の瞬間には立派なクスノキになって、直後にワラジムシになって、俺はそのまま落っこちてしまうことだってある。今までそうならなかったのが奇跡なくらいで、だから恐ろしく思う事は、今頃になってはバカバカしい考えなのだ。そう考えつくと陽気になってきた。ワハハ、むしろズンズン歩いていこうではないか
そう勇んだ次の瞬間もう何かにぶつかって倒れた。というより倒れそうになった。とっさに地面につこうとした手のひらの感触からするに蜂蜜のかかったホットケーキだ。ベタベタとして気持ちが悪い、しかしこのくすぐったいのは……そうかお好み焼きだ!いやいやそんなことはどうでもいい、けれど目の前に手を伸ばすとそこにはもう何もなくなってた。風がソースで濡れた手を涼しくさせていて不快だ。
風? この風はずっと一定の方向から吹いている!
風上にいけば何かあるんじゃないか。たといそれが巨大なドライヤーでも、この世界で変わらないことはそれだけ素晴らしいことだ。点が絶えず点ですらなくなってしまうのにどうして線を引けるだろうか。一つ目の点はずっと決まっていた。この思考だ。今俺の体が亀や兎になっていたとしても、俺のこの思考は消えてない、消えない。我思う故に、とかいうやつだ、多分。
痛い! どうやら地面が健康サンダルになっている。痛い痛い、この世界がまるで風上の方に行くなとでも言っているようじゃないか。待っていろ、俺は諦めない。この世界を解き明かして見せる!
そういえばトキの学名ってニッポニア・ニッポンだっけ。もっとこう、多少捻ってもいいような気がするのに。
バットに発電機を仕込んで、一試合ごとにどのくらい電力が生まれるかな
大きい本を印刷する為の大きい印刷機が必要なら、世界最大の本よりも印刷機が称えられるべきだ
若いドラゴンの間でカッコいい火の吹き方が大流行!
正月専門のアサシン「餅を使うのは邪道」
投資信託なら任せて、叔母はカーペットを縫うのが得意なんだ
こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。
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