町田そのこ『星を掬う』×永井みみ『ミシンと金魚』。ともに認知症を描いた2人の作家に聞く、認知症と家族、小説のお話《対談》
公開日:2022/7/7
「どんなふうに終わるかというのは、どんなふうに生きるかということに繋がっている」(町田さん)
永井 町田さんの作品は、母と娘の関係にスポットがあてられることが多いですが、もう一代前、おばあさまの世代から……もしかしたらもっと前から連綿と紡がれているものなのだということも描かれていますよね。負のスパイラル、という言葉も作中に出てきましたが、型にはまった親子関係や「普通」という価値観の呪縛を、必ず意識をもって断ち切ろうとするところが私はとても好きですし、今の時代に大事なことなんじゃないかと思います。娘なんだから、孫なんだから、介護をしなくてはいけない、という思い込みを断ち切ることも、そのひとつですよね。
町田 そうですね……人はどうしても、誰かのために自分というものを歪めてしまったり、正義心や道徳観から、自分だけでなく他者に我慢を強いて傷つけてしまったりしてしまいがちだと思うんですけど、そういう人たちが少しでもラクになれる、ほっと息をつけるような物語であればいいなと思いながら書いています。
永井 とくに女性は、祖母の時代、母の時代、そして自分の時代と、正しいとされる価値観が変わっているはずなのに、受け継いでしまっているものがたくさんある。介護に限らず、その根本的な思い込みを断ち切ることで生まれる救いが素晴らしいなと思いますし、私自身、救われた部分がたくさんありました。
町田 うれしいです……。私が作中に人との別れや死を書いてしまいがちなのは、どんなふうに終わるかというのは、どんなふうに生きるかということに繋がっているからだと思うんです。それが自分にとって、向き合い続けなくてはならない命題なんだろうな、と。『ミシンと金魚』は、そんな私に「死ぬ間際まで生きよう」と思わせてくれる作品でした。死に対するネガティブな感情が反転して、死ぬ間際にどんな花を咲かせられるのか、それをちゃんと見届ける日まではがんばって生きよう、と。それは、この物語に明日を生きるための希望が力強く描かれていたからだと思います。カケイさんの人生には、つらくて苦しいこともたくさんあったけれど、幸せだと思える瞬間も確かに存在していた。彼女の人生は素晴らしいものだったのだ。そう感じることで、読者も、背中をそっと押されるんじゃないでしょうか。
永井 生きるって……やっぱり、すごく、大変なことなんですよね。私自身、3日に一度くらいは死にたいなと思ってしまうくらい、しんどいこともあります。でも、ヘルパーの仕事をするなかで、生き切った方々のお顔を拝見すると、みなさんものすごく穏やかなんですよ。もちろん、褥瘡の苦しみなど、最期まで痛みを抱えていらっしゃる方もいます。それでも、みずから死を選ぶのではなく、天寿をまっとうされた方というのは、最期の瞬間にふうっと穏やかな呼吸をされる。もしかしたらその瞬間は、瞼の裏で、優しくて美しいものを見ていらっしゃるのかもしれないな……というのは、想像でしかありませんけど、思ったりもします。仕事をはじめた当初は、かわいそうな人たちの助けになりたい、みたいな思いあがった上から目線もあったんですけれど、その人を救えるのはその人自身でしかないのだと思うような場面にもたくさん立ち会いました。その姿を通じて、むしろ救われているのは私のほうだったりもして。今は、いろんなものを乗り越えて長く生きてきた方々はそれだけで素晴らしいのだと思うに至りました。
町田 いろんな方の人生に触れてきた永井さんにしか書けない文章がたくさんありましたよね。カケイさんと同じ施設にいて、過去にもかかわりをもっている、広瀬のばーさんという人が登場しますけど、2人の関係もすごく素敵でした。お互いのことを知りすぎているがゆえに、複雑な感情を抱いてはいるんだけど、湿っぽさはあまりない。傷跡は残っているけど、生傷ではないから、お互いに見せあって、理解しあうこともできる。その空気感がすごくよかったです。私が書くともうちょっとジメジメしちゃうと思う(笑)。
永井 それは、町田さんの描く登場人物が、みんな自分の負った傷から逃げないからじゃないでしょうか。一つひとつ検証するように、ちゃんと言葉にして、向き合っていく。なんとなく傷がふさがっていく、のではなくて、自分でちゃんとふさごうともがくからこそ、感情も溢れ出てしまうというか。
町田 カケイさんと広瀬のばーさんのような、言わなくても伝わる、理解するという阿吽の関係は、さまざまなものを抱えこんで生き抜いてきた世代だからこそ醸し出せるものかもしれませんね。何かが解決したわけじゃない。だけど、もう水に流そう、と思える。言える。それは、私がまだ触れたことのない空気だったので、読みながら感じ入ってしまいました。あと、カケイさんが「あい」って返事するの、すごくかわいかった。年配の方々の、口がちょっと緩慢になるがゆえの、もごもごしゃべっちゃう感じとか。一時期、家族に対して「あい」って返事してたら「やめろ」って怒られました(笑)。
永井 (笑)。総入れ歯だったりするとね、なんかうまくしゃべれなかったりするんですよね。
町田 「かあさん、だーいしゅき」ってところもいいですよね……。今日ここにくるための飛行機のなかで読み返してぐすぐす泣いてしまいました。あと、カケイさんの兄貴がすごく好きです。めちゃくちゃカッコいいですよね。
永井 実は、兄貴のモデルになった方は、料理人なんですよ。テーブルに着くと、何も言わなくとも、その日食べられる分量のごはんを出してくれる。実は、町田さんの『宙ごはん』(小学館)を読んだとき、登場する料理人のやっちゃんと兄貴が重なるなあと思いました。
町田 うれしい! でも私、やっちゃんはあんまり私の好みじゃないんですよ。一家にひとりいてくれたらいいなあという理想ではあるんですけど、夫や彼氏にしたいタイプじゃない(笑)。というのも、彼は清廉すぎる気がして……。兄貴は、道を踏み外したものの、一度は善人に戻ろうと一生懸命にがんばったのに、あることをきっかけにまた堕ちていってしまうじゃないですか。その弱さに私はグッと来てしまうんです。最初から悪人だったわけじゃない、むしろ一本気でとても熱いものがある人なのに、ボタンの掛け違いで正道から外れてしまう、人の哀れさというんでしょうか。単純な善悪でわりきれない、血肉の通った人間像が描かれているのも『ミシンと金魚』の好きなところです。
「どんなに貧しい場所にいても、自分を投げ出さない人には、とても力強い美しさがある」(永井さん)
永井 それでいうと『星を掬う』で千鶴に暴力をふるっていた元夫の弥一さん、彼はもともと、とてもかっこよくて素敵な人だったんだろうなあと思います。あんなふうになってしまうとは、本人も思っていなかったんじゃないかと。
町田 弥一は、たぶん10代を順風満帆に過ごしすぎて、自分はもっとやれるはずだ、という万能感をこじらせてしまったんだと思います。自分に対する理想ばかりが大きくなる一方、過去の華々しかった自分を追い越すことができず、いつまでもすがってしまう。40過ぎても高校時代にモテた話をする人っているじゃないですか。そういうイメージです(笑)。
永井 兄貴も弥一さんもそうですけど……足元を踏み外してしまうことって、誰にでもあることですよね。そういうとき、自分が自分を見捨てないというのが、いちばん大事なのかなと思います。どんなに貧しい場所にいても、自分を投げ出さない人には、とても力強い美しさがあると思うので、そういうところは私自身も意識していたいと思っています。
町田 自分を投げ出さない、って大事ですよね。他人に対する思いやりをもとう、って話はよくされますけど、まずは自分のことを信じて、自分をいちばん大事にしてあげないと、立ち上がれるものも立ち上がれないし、誰かに優しくすることもできないと思うんです。自分が安定しないうちは、他人にまで目が行き届かないし、余裕がなければ手を差し伸べることもできない。誰かのために自分を犠牲にするということを、あまりにみんながやりすぎているので、男性も女性も関係なく、まずは自分という芯をしっかりもつことが、生きていくうえでいちばん必要なんじゃないかと思います。
永井 町田さんの小説は、主人公が自分の芯をとりもどす過程がしっかり描かれているので、読んでいる私たちも一緒に救われ、立ち上がろうという気持ちになれるのだと思います。
町田 ありがとうございます。永井さんは、もう次の作品のご予定はあるんですか?
永井 いちおうは。そこでもやっぱり、家族というものがひとつのテーマになるのかなと思っています。今、ケアマネージャーの研修を受けているんですけれど、そこで講義される家族の定義というのが、「夫婦の配偶者関係や、親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた、親族関係を基礎にして、成立する小集団。社会構成の基本単位」なんですね。そこに「家族の繋がりは、今もなお代替困難な、特別な存在」と続くんですが、本当かな? と思って(笑)。
町田 いま、小学生に「家族ってなんですか」と聞いてもそんな答えは出てきませんよね。
永井 そうなんですよ。役所というか、国が考える家族の定義と、現実の実態はかなりずれてきている。もう何年かしたらこの部分は削除されるんじゃないかと思っているんですが、そういうことはたぶん、これからも考えていくのだろうなあと思います。まだ、全然わかりませんけどね。作家になったという実感も、あまりないので。
町田 わかります。私もいまだにゲラチェックとかしていると「あ、私、作家なんだ」とびっくりしちゃう(笑)。
永井 町田さんほどになっても! 私はひとりっこで、あまり友達もいなかったので、今生きているのとは違う世界を自分でつくって、その空想のなかで暮らすのが好きだったんです。常に、自分の書いた世界の中で生きていたくて、物心ついたときには作家になりたいと思っていた。その思いをまっとうしない限り、「作家になりたい」という気持ちが怨念みたいになってこの世に残ってしまうかも、その願いを誰かに押し付けて背負わせてしまうかもしれない、と応募した原稿がこうして賞をいただけて、作家としてデビューすることもできたので、できる限り書いていきたいなとは思います。
町田 それもすごくわかります。私も、(憧れだった、作家の)氷室冴子さんが亡くなったとき「このまま作家になりたいって言い続けて、結局何もできなかったと悔みながら死ぬのはいやだ」と思ったのがきっかけでした。どうせだめでも、めざしたけどだめだった、と納得して死のう、って。だから作家になれた今、書くことがとにかく嬉しくて楽しくてたまらない。まだまだ書き続けよう! と思ってます。
永井 町田さんの新作も楽しみにしております。
町田 こちらこそ。今日はありがとうございました。