夏は落下するロケットのように/小林私「私事ですが、」

エンタメ

公開日:2022/7/23

美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。

小林私
イラスト:小林私

 「ひゅーすとん、と落ちてくるのがヒューストンと覚えましょう」

 例えば僕が窓際の席に座っていたら、校庭を見下ろして、他のクラスの誰がしか汗まみれで走っているのを眺めていただろう。
 廊下側の席なら、時折パタパタという足音を聞いて、どなたか鼻血でも出したのかしらなんて考えていただろうし、
 そうでなくとも、後ろの方の席なら、何者の目にも留まらないような全能感を堪能しつつ、教科書につまらない落書きの一つはかいていただろうけど。
 ただ、まったく面白くないことに僕の座る席ないし机は果敢に教卓に立ち向かっているから、これまたまったく面白くない駄洒落た講義だけがしっかり聞こえてくる。その机は最も強い机なんだから、それは勇気というより無謀というものだ。

 ひゅー、すとん。大気圏を超えられなかったロケットがすっかり意気を失くしてしまって落ちて来るように突然、でも想定の範疇でチャイムが鳴る。夏休みに入る直前の午前授業の終わりを報せる音だ。秋なら釣瓶落としだけれど、落ちるロケットは夏の季語かな。なんとなく雲ひとつ無い青空に打ち上がっていてほしいような感じだ。

 教科書、ノート、筆箱をかばんに突っ込んで肩に掛けて、教室の扉を開けるやいなや廊下からムッと空気の層が体にぶつかってきた。その熱にぎょっとしながら、反面、心では見えなくても在るモノの存在を冷静に感じ取っていた。

 昼ごはんは食堂で済ませる人たちはたくさんいるし僕も時折そうするのだけれど、今日は祖母が素麺を茹でているらしい。

 上履きから靴に履き替えて正門を出る頃にはもう、空気の固さは忘れていた。今はその代わりに、肌をじりじりと焼く紫外線の存在を感じながら長たらしいだけの道を次へ次へと踏んでいる。始めはじっとりと、シャツに吸わせていた汗がポタポタと地面に落ちていく。こんなとき自分が小さな雨雲になったような気がする。

 不意に首の根っこあたりがひんやりとした。こういう時はいくら暑くても足を止めなければならない。そう聞かされて育っているし、守らなかった人の結末も今は身近に知っている。

 ひゅー、すとん。

 どうせ動けないのだから、目の前で起きていることに効果音をつけてみる。本当はドサッとかグチャッとかあらわすべき音が鳴っているのだけれど、見慣れた光景をあえてものものしくする必要もないだろう。ぷうんと鼻につく臭いがする。腐った肉のような、みずみずしい西瓜のような、醤油樽に飛び込んだような、臭いだ。この臭いがしたらもう動いていい。汗は少し引いていた。

 風鈴の音が聞こえる。もう少し歩けば家に着いて、それからもう少しすれば夏休みが始まる。
 今年の夏もきっと、僕は外には出ないだろう。

 

当連載のご愛読、まことにありがとうございます。
次回更新分より、KADOKAWAが運営するWEBメディア「WEBザテレビジョン」での掲載となります。
8月6日(土)の更新予定です。
引き続き、小林私「私事ですが、」をお楽しみいただけますよう、よろしくお願い致します。

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。

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