228万の借金!? 金策に走る怒涛の日々…夫の実家もあてにならない!/財布は踊る④

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/30

専業主婦の葉月みづほは、夫と息子の3人暮らし。ある夢のため、生活費を切り詰めながら月2万円を貯金し、ついに実現! …したはずだったが、なんと夫の借金が発覚し…。

大ヒット作『三千円の使いかた』の著者・原田ひ香氏が、「今よりすこし、お金がほしい」人々の切実な想いを描く長編小説!

※本稿は原田ひ香著の小説『財布は踊る 』(新潮社)から一部抜粋・編集しました。

財布は踊る
財布は踊る』(原田ひ香/新潮社)

 そこからは怒濤の日々だった。

 まず、次の休日に、みづほと雄太は圭太を連れてクレジットカード会社に行き、「リボ取引明細書」というものを出してもらった。

 電話で話した時に聞いた通り、リボ払いの手数料という名の金利は十五%だった。

「二百二十八万の十五%は三十四万二千円になります。それを十二ヶ月で割りますと、二万八千五百円になりますので……」

「二万八千五百円ということはつまり」

「つまり、毎月お支払いいただいている三万円は、手数料分が二万八千五百円で、元金のお支払いは千五百円ということになります。ざっくりとですが」

 では、借金の元金はほんの少ししか減っていないということになる。さらに、毎月使う金額があるのだから手数料分はどんどん増えているはずだ。

「手数料を抑えたいということでしたら、早めに全額支払っていただいた方がいいですよ」

 救いなのは、担当者が優しい雰囲気の中年女性で、親身になって相談に乗ってくれたことだった。

「今のままでは、一日に千円くらいも利息……手数料を支払っているということになりますから」

 どこを探してもそんなお金はない。

 思いつめて雄太の実家に相談してみた。大学時代、仕送りが足りない時にカードを使ったこともあったらしい。決して、雄太の親が悪いというわけではないが、理由を話してお金を貸して欲しいと頭を下げてみた。

 しかし、あっさり断られた。

「もう二人は立派な大人なんだから、自分たちでなんとかしなさい」

 義母がにこりともせずに言った。

「でも……」

「ない袖は振れない。うちだってお金があるわけじゃないし、老後のこともあるんだから」

「本当にすみません。でも、今の状態だと毎月利息だけを払っているような状態なんです。必ず返済しますので」

「だから、お金がないって言ってるのよ」

 ずっと下を向いていた雄太が「その、老後のお金っていうのを一時的に貸してもらえないか」とぽつんと言った。

 隣にいた雄太の父親が「退職金から少し」と言いかけた。

「退職金? もうないわよ!」

「え?」

「だから、それがないって言っているの! 老後は老後であんたたちに助けてもらうつもりだから、しっかりしてよ」

 いつも上品にしている義母が筋の通らぬことを叫んだ。みづほはこの時の義母の引きつった顔を死ぬまで忘れないだろうと思った。

 シングルマザーで自分を育ててくれた母親に、お金の相談をしても無駄だとわかっていた。でも、誰かに聞いて欲しくて、実家に息子と二人で帰った。

「これ、使いな」

 話し終わると、母親は通帳をぽん、と出してきた。手に取って開いてみると、百三十万ほどの残高があった。

「使えないよ。これ、お母さんが貯めたお金でしょ」

「でも、しょうがないじゃないの。そのままにしておけないでしょ」

 通帳を見ればすぐにわかる。母が毎月、一万、二万と貯めている金だった。

「どうしてもつらかったら、この家で一緒に住む? 雄太さんは気詰まりかもしれないけど、新宿まで通えない距離じゃないし、あたしが圭太の面倒をみて、みづほが働くこともできるでしょ。家賃もかからないし」

 この家を売るわけにもいかないから、そのくらいしかできないけどね、と母はつぶやいた。実家は両親が結婚している時に買った中古の一軒家で、離婚後は母が一人で苦労してローンを払ってきた。言わば、母の最後の砦だった。

 実母から借りた百三十万とボーナスの残り四十万、みづほの預金の残りなど家からかき集めた十万を持って、またカード会社に行った。残りは分割で払うことになった。

 ヴィトンの財布は一度も使うことなく、メルカリで売った。もったいなくてまだ箱からも出していなかったのだ。十万の財布だったけれど、「M・H」とイニシャルを入れていたことが仇となって、なかなかよい値段がつかなかった。

 出品する時、商品の写真を撮るために財布を箱から出した。箱、内袋、紙袋が全部そろっていた。捨てたり失くしたりしなくてよかった、と心から思った。それらがあるのとないのとでは値段が違うのだ。さらに、ハワイの店で買った時のレシートも個人情報のところをマジックで消して画像をアップすることにした。正規店でちゃんと購入したことの証になる。

 写真に撮るためにそれらをテーブルに並べていたら、胸が押し潰されそうになった。長財布を手に取り、「このくらいはいいよね」と言いながら、すっぴんの頬に押し当てた。大きく息を吸い込んで匂いを嗅ぐ。革とビニールの混じったような匂いがした。

 これを使いたかった。一緒に時を過ごし、一緒に笑い、一緒に歳を取りたかった。この財布は未来の幸せに寄り添ってくれるもののはずだったのに。

 九万九千円で売り出したが、出品して一分も経たないうちに「六万円で即決できませんか?」という値下げ交渉のコメントが来た。

「まだ新品ですし、出したばかりなので六万はつらいです」

 屈辱の気持ちを抑えて、返事をした。

「でも、イニシャル入りですよね? なかなか買い手が付かないと思うんですけど」

「九万円以下では無理です」

「では、六万二千円ではいかがですか?」

 返事をするのもいやだった。

 次の日には、「五万五千円になりませんか? よろしくお願いします!」「六万五千円でお願いできないですか」「六万三千円で、月末までお取り置きできませんか」と次々とコメントが来た。

 どれも図々しい話ばかりで、身を削られる思いだった。

 三日ほど、そんなやりとりを続けて精神的にも疲れ果て、「七万で即決お願いします」という一文に「わかりました。では七万でお譲りします」と答えてしまった。すると「やっぱり、六万八千円にしてください。今月苦しいんで」と畳み掛けられた。

 なんだか、新品のヴィトンの財布がどんどん汚されていくようだった。ヴィトンを買いたい人種はこんなに厚顔無恥なのだろうか。

 返事を躊躇しているところに、「自分、ちょうどイニシャルが同じなんで、大切にします。よろしくお願いします!」とコメントされた。何か背中を押されたように、「わかりました」と返事をしてしまった。

 値下げをすると、あっという間に「売却済」のマークがついた。

 それを見た時、みづほにこみ上げてきたのは、悲しみ以上にどこかほっとした気持ちだった。

 メルカリのコメント欄を改めて読んだ。数日の間に多くの人がこの財布に群がった証が残っていた。新品の財布を一円でも安く手に入れようとして懇願するもの、恫喝するもの、自らを卑下するもの……中には自分の思い通りにならないとわかったとたん、こちらを馬鹿にしてくるものもいた。

 まるで、漫才やコントのようで、思わず小さく笑ってしまった。

「結局、自分にはふさわしくなかったのかもしれない」

 清々しい気持ちで財布を梱包した。

 とたんにいつか必ず、見返してやりたいという気持ちがわいてきた。それは何に対してだろう。財布に群がった人々なのか、この財布そのものなのか、お金なのか、カード会社なのか。夫なのか、夫の親なのか、あるいは自分自身なのか。

 みづほにはまだわからなかった。

<第5回に続く>