凋落した老舗呉服店は再建できるのか!? 英国帰りの青年と自信が持てない女性店員たちが奮闘する、明治末期の「百貨店誕生の物語」
公開日:2022/7/25
〈服を着る時に大切なことは“自分”を知ること〉。これはマンガ『日に流れて橋に行く』(日高ショーコ/集英社)の4巻にあるセリフだ。〈その装いに見合う自分であれば最高ね 自己満足ってとても大事〉と続く。その心意気を発したのは、日本に住んで20年、横浜で洋品店を営むイネスという女性だ。物語の舞台である明治末期、18歳の卯ノ原時子は、イネスの手で着飾られてドレスをまとった。その時初めて、自分には洋装が似合うのだということを知る。
本作の核ともいえるこの場面で描かれるのは、文化を身にまとうことの美しさだ。洋服は装飾であると同時に実用品である。着物とドレス、そのどちらも生まれた国の文化や社会で求められるものを反映した結果、発展したもの。たまたまその国に生まれたというだけで、個性と文化が合致しないこともあるだろう。であるならば、自分の個性にぴったり合うものを他の場所で探せばいい。そのためには自分が何を欲しているのか、何なら活かせるのか、どんな自分になりたいのかを知らなくてはならない。装いを美しく着こなすということは、いかに生きるのかということにも繋がるのだと教えてくれるこのエピソードに、自分は果たして本当に自分に必要な服を、見合う服をまとえているだろうかと、タンスのなかを吟味し直した読者も多いのではないだろうか。
時子は自分に洋装が似合うことに新鮮な驚きを覚えるが、だからといって、簡単に着物を捨てることはしない、というのも本作の魅力。……と、時子中心に本作を紹介しているが、実は彼女は主人公のひとりで、メインとなるのは星乃虎三郎という若き青年だ。実家の呉服店「三つ星」を継いだ兄の力になるため、英国留学から意気揚々と帰ってきた虎三郎。しかし、兄の浪費により経営が火の車になっていることに衝撃を受ける。さらに、老舗とは名ばかりの凋落した店を残して、兄は失踪。かわりに店を再建することになった虎三郎が、初の女性店員として雇った人物こそ、時子だったのである。
流行とは何か、と面接で虎三郎に問われた時子は、〈ひとそれぞれ違う顔と身体をしているように着方ももっと多様になっていいと思います〉と答える。誰かの作り出した流れに乗るのではなく、その流れに追いつけないからといって諦めるのではなく、古い価値観を捨てて新しい波を自分で興すのだという虎三郎の想いに、時子は感銘を受け、自信がないあまりに丸まっていた背中をしゃんと伸ばすことを覚えていく。とはいえ、客商売。斬新なことばかりやっていては、客は減る一方。虎三郎は、思考停止に繋がる古さは捨て、人の心を守る伝統は尊重し、世間の流行を無視するのではなく、利用することで自分たちの目的を果たそうとする。そんな彼のもとで時子も、和装と洋装をマリアージュさせたり、旧来とは違う小物の使い方を提案したりしながら、自分の殻を打ち破っていく。そんなふたりに影響されて、頭の固かった昔ながらの奉公人たちも、そしてお客や世間も変わっていく姿は、読んでいて実に痛快だ。
誰もが“働く”ことで誇りを取り戻していく本作。三つ星に巨額の出資をし、虎三郎を支える謎の男・鷹頭のたくらみや、三越がモデルとおぼしき日越百貨店との攻防、さらに兄の行方など、注目すべき点はもりだくさん。新刊が出るたび物語が加速し「続きは!?」とないはずのページをめくりたくなるこの興奮を、ひとりでも多くの人と共有したい。
文=立花もも