舞台は架空の老舗呉服店! 日本橋の呉服店同士の攻防、若き経営者や初の女性店員たちの奮闘…明治末期の活気あふれる『日に流れて橋に行く』《著者・日高ショーコさんインタビュー》
公開日:2022/7/30
時は明治末期。経営危機に瀕する日本橋の老舗呉服店「三つ星」を立て直すため、英国帰りの三男・星乃虎三郎(ほしのとらさぶろう)が、謎の男・鷹頭の財力を後ろ盾に奔走するマンガ『日に流れて橋に行く』(日高ショーコ/集英社)。三越と白木屋がモデルとおぼしき日越と黒木屋の隆盛に押されながらも、負けじとくらいつく、どころか常識を覆す発想で、百貨店の在り方を変えていく虎三郎の姿を描いた本作。7巻の刊行を記念して、著者の日高ショーコさんにお話をうかがった。
(取材・文=立花もも)
――日高さんはBLマンガ『憂鬱な朝』(徳間書店)でも明治時代を舞台に描かれていましたが、今回はなぜ呉服店に焦点をあてようと思われたのですか?
日高ショーコさん(以下、日高) 最初は、10年ほど前に描いた「水玉パズル」というマンガの続編をとお話をいただいたんですが、あまり男女の恋愛モノを描くのに向いていないなあという実感がありまして。違うもので何が描けるだろうと考えていたとき、森鴎外記念館で「流行をつくる―三越と鴎外―」という展示を観たんです。そのとき、鴎外が三越のPR誌に「流行」という短編を寄せていたことを知りました。着ればどんな洋服も流行らせてしまうという男の話なのですが、おもしろいなと思ったんですよね。流行を作り上げていく男たちの物語を私も描いてみたい、と。
――ああ、それで……。第1巻で、三つ星呉服店を立て直すため、虎三郎は初の女性店員を募集しますよね。面接で虎三郎が聞いた「“流行”とは何だと思う?」という問いが、非常に印象的でした。
日高 ただ、史実にそって流行を作ろうとする人たちを描こうとすると、どうしても三越の物語になってしまうんですよ。それよりは、その対抗馬となるスタートアップ企業を描きたいなと思いました。もちろん三越のように、流行を作って人を呼び込み、それを文化として育てていく姿も興味深いのですが、今は企業ではなく個人が流行を発信していく時代ですよね。むしろ企業やメディアが流行をキャッチするのはいちばん最後。だから、主人公サイドには、誰かが提案したものにただ乗っかるのではなく、自分たちの好きな形を貫いていけばそれが流行りになっていくのだという、今の私たちに近い感覚を抱かせようと決めました。そのほうが読んでいる方も共感しやすいでしょうし、架空の呉服店を設定したからこその自由さかな、と。
――三つ星の当主となった長男の力になるため英国留学で力を養い、帰国した虎三郎ですが、蓋をあけてみれば兄の散財で経営は火の車。老舗呉服店とは名ばかりの凋落ぶり。さらに兄が失踪して……と冒頭から怒涛の展開が続きますが、この架空の呉服店をつくりあげるのがまず大変だったのでは。
日高 そうですね……。まあ、最初から今にいたるまで調べることばっかりではあります。史実にとらわれず描こう、と言いつつもやはり当時はどのようなファッションが流行していたのか、どんな社会的・文化的背景があったのかを知らなければ、壁を打ち破っていく人たちの姿は描けないので。ただ、三越の創始者である日比翁助などをモデルに主人公を描こうとすると、年齢層があがってしまうんですよね。どんなに頑張っても、大正時代に入るころには年配と言われる年になってしまう。でも、呉服店に元々関わる気のなかった放蕩者の三男坊、という設定ならば、若くても説得力がある。ということで、虎三郎は生まれました。絵的にも性格的にも、いちばん動かしやすいタイプですが、それゆえに史実ともどんどんズレていくところがあります。
――第2の主人公ともいえる鷹頭玲司(たかとうれいじ)は、虎三郎が英国で出会った謎の男。三つ星に巨額の出資をし、経営にも口を出すのは、虎三郎への信頼なのか、何か裏があるのか。あやしさ満載ではありますが……。
日高 相棒はお金持ちにしないと、経営が回らないので(笑)。家業という、ある意味で枷のある虎三郎と違って、自由に動き回れる人がいいから、家柄もそんないいわけじゃないことにしよう、と、若干都合のよさはあります。ただ、彼にだけはモデルがいて。当時、ニューヨークやロンドンで成功をおさめていた古美術商なのですが、名前が残っていないんですよね。その古美術商以外にも、明治時代には財団や財閥と取引するくらい幅をきかせていた商売人たちが、その後の戦争や震災によって姿を消してしまった、ということはあったようです。だとしたら、かつて隆盛を誇っていたけれど今は誰も知らない男、というのが虎三郎を支えることは、ありえない話じゃないのではないか、と。
――今の世の中をつくりあげたのは、後世に名を残した人ばかりじゃないんだというのも伝わってきますね。
日高 虎三郎が初の女性店員として採用する卯ノ原時子は、傘屋の娘という設定ですが、当時の日本橋で傘屋と提灯屋を兼ねたお店に勤めていた男性の記録が残されていて。それもまた、ある意味で名もなき人ですが、奉公人が2人いるそのお店で、どのように暮らし、町内はどのような様子だったかが書かれているんですね。彼の同級生には白木屋の番頭がいた、というようなことも。だとしたら、お店の娘が呉服店に勤めていてもおかしくないんじゃないか、と思いました。日本橋区に住む、ごく普通の市井の人たちを描きたかった、というのもあります。
――生まれ育ちは平凡ですが、時子は「普通」からちょっと外れた女の子ですよね。当時の女性にしては長身で、女学校を卒業しても結婚していないから、周囲から我儘娘だと思われている。女性にしては背が高くて頭も小さい、という彼女に対するネガティブな評価は、今ならめちゃくちゃ羨ましがられるものではありますが……。
日高 私たち(※日高さんは作画と原作の2人組名義)も170センチ近くあって、着物を着こなすにはやや長身なんですよ。今はいろいろと種類もありますけど、とくに古着は裾丈や肩幅があわないので、バランス悪くなってしまうんですよね。ちゃんと着付けられる方にやってもらえば見栄えよくなるのかもしれないけれど、当時も、私たちのような悩みを抱いていた普通の女の子はいたはずだ、と思いました。だったら、おっしゃるとおり、今ならめちゃくちゃ羨ましがられるという点を活かして、洋装が似合うという美点に転換してしまえばいい、とも。
――先ほどの「流行とは何か」の質問に〈ひとそれぞれ違う顔と身体をしているように着方ももっと多様になっていいと思います〉と答えた時子が、ファッションへの愛を胸に、丸まっていた背中をのばし、自信をつけていく姿に打たれる読者も多いと思います。
日高 若いときって、みんながやっている髪型や、ファッション誌に載っている服装を真似したくなるじゃないですか。でも、なぜか着たら似合わない。友達はあんなに素敵に着こなしているのに、というショックは私たち自身も経験していて。そんな失敗を繰り返して大人になり、自分に似合うもの・似合わないものに気づけるようにはなるんだけれど、18歳の時子にはなかなか「自分は自分」なんて思えないですよね。しかも当時は、女学校を卒業する18歳までに嫁ぎ先が決まるのは当たり前の時代なのに、時子は結婚したくないと拒絶している。今だって、これが普通とされているものから外れたり、流行に乗り遅れたりすると、バカにされてしまうことはあるのに、当時の価値観ならなおさら変わり者扱いされたんじゃないでしょうか。そんな彼女の生きづらさと、現代の私たちが対になるように描いていきたいと思っています。
――自分を見出してくれた虎三郎や、時子を“利用”しようとする鷹頭の影響はもちろんですが、時子と一緒に採用された元日越の店員・千鶴、横浜で洋品店を営む外国人女性・イネスなど、仕事を通じてさまざまな価値観を持つ人たちと出会い、その生きざまに触れることで、彼女は成長していきます。
日高 時子は他のキャラクターに比べて、“自分らしさ”がない。これから社会性を身につけるとともに、自分がどう生きていくのかを見出していかなくてはいけない人です。それまでの時子は、世間が発信する流行に、右に倣えで乗っかる同級生たちを醒めた目で見ていたけれど、キラキラしたものに憧れて手に入れたいと心を浮つかせることが、どんなに素敵なことだったのかを、自分が販売店側にまわることで知っていくのだろうと思います。逆に、型にはまって生きてきた人たちは、その調和を乱す、主張の強い人に対して眉を顰めがちだけど、彼女たちもまた自分らしさを解放する喜びを少しでも手に入れられたらいいんじゃないかな、と。そのあたりを双方の視点から描くことで、軽い反発はありつつもお互いに認め合うことのできる優しい世界にしたいと思っています。若いときは受け入れられなくても、働くことで土壌が同じになり、融和していくものもある。仕事を通じて、異なる価値観をもつ人たちが繋がっていけたらいいな、と。
――働くことでいうと、虎三郎の仕事に対する向き合い方は、理想的だなと思っていて。古い価値観にとらわれない斬新な発想でしくみを変革していく一方、その古い価値観を抱いて足踏みしている人たちの心もつかんで、内側からも変革していく。感情だけにも合理性だけにも寄らないその姿には、みならうべきところも多いです。
日高 具体的なモデルはいないんですけど、虎三郎みたいに、妙に勘のいい子っているよなあというのは昔から思っていました。私自身の会社員時代にも、とくに準備していたわけじゃないのにプレゼンは全部大当たりだとか、今だと思って動くタイミングが絶妙だとかいう人がいたんです。相手の懐にすっともぐり込んで、誰としゃべっても必要な情報を引き出せる、みたいな人も。そういうのって、努力だけではどうにもならない、一種の才能なんですよね。もちろん下積みがあるからこそ才能も活かされるのだけど、虎三郎もそういう“もってる”人にしようとは思っていました。あと、ふらふらと遊んでいた経験があるのも大事な気がしていて。世の中をちゃんと“見る”ためには、レールの上でコツコツ勉強しているだけではだめ。自分の興味を優先してお金を使っていた人だからこそ、流行を作り出すこともできるんだと思います。
――奉公人にとっての休暇である「藪入り」のエピソードにその想いは表れていますね。全員にそれなりの額を渡し、三つ星ではなく他店で買い物をしてきてほしいと虎三郎は言う。経営はひっ迫しているのにそんな無茶をするその心は、世の中の動きを確認してきてほしいから。そして〈自分の“欲望”すら掴めない店員にお客さんの欲求を満たすことはできない〉から。
日高 藪入りは私も考えていて楽しかったエピソードです。半分は貯金に回すのか、全部ぱあっと使うのか。自分のため、あるいは誰かのために使うのか。その選択で奉公人一人ひとりの個性が出ますし、どうしようか考える、という経験がなければ売ることもできないというのは最初から思っていたことなので。みんながみんな違う店に行くので、作画は大変でしたけど(笑)。千鶴が行った資元堂は資生堂をモデルにしているんですが、ソーダファウンテン(ソーダ水をつくる機械)がどんな造形なのか、資料をみてもはっきりとはわからなくて。多少実物とは違うかもしれませんが、そこは「この作品はフィクションです」ということで。
――大金を手に入れたからって、生活のことを考えると好きに使えるわけじゃない、結局お金の使い方も置かれた環境によるのだ、とある奉公人が思う場面がありますが、そこでややいじけながらも「いつの日かきっと」と奮い立つところが好きでした。
日高 景気が悪くなると、物欲もどんどん失われていきますよね。贅沢品にかけるお金は無駄だと思うようになってしまうから。でもそれはやっぱり、ちょっと、さみしい。ファストファッションで日々を満たしていくのも必要なことではあるけれど、高級なものはやっぱり大事に使えば一生モノになりますし、いつか憧れの品を手に入れるために頑張ろうと思うその気持ちはやっぱり素敵だなと思うので、描きたかったところです。そうでなくても、若いときは、今年限りで終わるとしても新しくて流行っているものが欲しくなってしまうものでしょう。かつては百貨店がそういう憧れの象徴であり、眺めるだけで想いが育っていたのだと思いますが、ネット通販が主流の今は、なかなか難しい。とはいえ、百貨店が盛り上がっていたころは、小さな小売店が生き延びていけなかったのだと思うので、どちらがいい、ということもないなあとは思っています。今作でも、百貨店ならではの魅力を伝えつつ「昔はよかった」みたいな感じにはしたくないな、とも。
――虎三郎が奮闘する裏で、鷹頭が何かを企てていたり、日越からスパイが放たれていたり、時子が新聞小説のモデルになったりと、物語は落ち着く暇もなく展開していきますが、今後の展望は?
日高 本当はいろいろと脱線した話も描きたいんですよ。たとえば『リング』の貞子のモデルになった少女の千里眼ブームも、この時代に起きたことですしね。作中でも描いた新日本橋の開橋は1911年ですが、そのころには帝国劇場ができて、女性の自立を求める運動もこのあたりから始まっている一方で、維新前の香りもやや残されている。明治末期というのはかなりおもしろい時代なんです。ところが、まずは三つ星を立て直すためにやらなきゃいけないことが盛りだくさんで、それどころじゃない(笑)。そもそも開橋式を1話のラストにもってくるはずが、2巻のラストまで延びていますからね。当初の予定よりどんどん物語が膨らんできているので、なかなか大変です。それなのに6巻はまるまる五百雀(いおさき)の話を描いてしまったし。
――虎三郎が帰ってくるまでは実質三つ星を取り仕切っていた最年少番頭ですね。虎三郎とは幼なじみ的な存在でもあり、暴走しがちな彼のフォローをする堅物でもあります。
日高 とにかく真面目で店への愛が強いゆえにことあるごとに虎三郎に反発しますが、嫌な人にはしたくなかった。生まれ育ちでも能力でも虎三郎にコンプレックスを抱えている彼のこともしっかり描きたかったのですが、五百雀中心のエピソードがこんなにも長く続くと読者は飽きるんじゃないかと心配でした。
――いや、めちゃくちゃよかったです。虎三郎についていききれない彼の葛藤に、いちばん共感する読者もいるんじゃないでしょうか。“何者か”にはなれない、いつも裏方で支えることしかできないけれど、そこに役目と誇りを見出していく彼の姿が描かれて、本作はぐっと深みを増した気がします。
日高 それなら、よかったです。人の才能はそれぞれに違うので、上を見ても下を見てもキリがない。自分にはどうしてもなりえない誰かと比べながら働き続けるのは、ものすごくしんどいことですよね。だったら、鷹頭が言うとおり、能力のある人と同じになろうとするのではなく、その能力を利用しようと思うくらいがちょうどいい。だからといって自分はこの程度なんだとか落ち込むのではなく、自分の立ち位置はここで、自分のなすべきことはこれなんだということをちゃんと見つけられれば、迷いも少なくて済むんじゃないでしょうか。それでも、まったく迷わないということはないでしょうけれど。イネスさんが〈服を着る時に大切なことは“自分”を知ること〉と言う場面がありますが、自分を知るって、何事においてもとても大事なことなんじゃないかというのは、これからも描いていくんじゃないかと思います。
――男より自分だけのために着飾ることが好きというイネスの〈その装いに見合う自分であれば最高ね 自己満足ってとても大事〉というセリフもよかったです。五百雀や時子のように、他人と比べて引け目を感じている人たちが、着るにしろ売るにしろ、ファッションを通じて“自分らしさ”を手に入れていくというのが、この作品は最高だなと思います。
日高 イネスの店で時子が何ページもかけて洋装する場面や、時子がデザインしたファッションを再現する場面は、私も描いていて楽しかったので、そういうところはこの先も楽しんでいただけると嬉しいですね。当時は斬新と言われていたファッションも、どうしても今の人が見ると古臭く映ってしまうので、そのあたりはやはり「この作品はフィクションです」ということで、現代に寄せたものにしています。
――時子と、彼女をモデルに小説を描く流行作家・白井辰助(筆名:白石辰春)、そして鷹頭の3人で恋愛なのかそうでもないのかわからない人間関係も展開されていますが、こちらの進展も?
日高 どうでしょうか(笑)。年頃の女の子なので、白井や鷹頭のようにカッコいい人と接近すればぽっとしますが、じゃあそれが本当に「好き」なのかというと、悩むところは多くて。たぶん今は、時期じゃないんですよね。時子はまだ自分のことしか見えていない。この先、いろんな成長を重ねて……そうですねえ、5年くらい経ったらまた状況も変わるんじゃないでしょうか。
――ちなみに白井辰助を登場させたのは、やはり、森鴎外が構想のきっかけになったから?
日高 イメージとしては森鴎外より尾崎紅葉ですね。新聞連載された『金色夜叉』は大人気でしたから。あと、夏目漱石の新聞小説『虞美人草』も、当時、小説にちなんだ商品を出したら大売れしたらしいんですよ。三越が発売した虞美人草の浴衣地も大人気だったとか。そういう何人かのイメージを重ねて、白井が書いた小説から商品が生まれる、というようなエピソードを描いています。もともとは、挿絵画家のつもりだったんですけどね。小説のほうが「物語」を生み出せるし、汎用性がきくかなあと思って変えたんですが、挿絵だったら作画がさらに大変になっていたと思うので、よかったです。
――さまざまな人間模様が交錯しつつ、まだまだ落ち着かない三つ星再建。お兄さんの行方も気になりますし、日越の動きは相変わらずあやしいですし、はやく続きが読みたいです。7巻では、当時は軽薄なイメージのあった女優をカタログに起用するということで、さらに波紋が広がりそうです。
日高 精一杯、描かせていただきたいと思います。興味をひかれた方はぜひ当時の歴史をご自身でも紐解いていただきたいですね。「マンガではこう描いていたけど、実際は全然違うじゃん」ということもあると思いますが、それもまた楽しみのひとつとしていただければ。現実って、私たちが想像している以上に、おもしろいことがたくさん起きていますし、明治末期に起きたことはすべて今の私たちに繋がっている。昔の地図とか眺めながら、歴史を背負っている日本橋という街を散歩し、百貨店などのお店に立ち寄っていただけると嬉しいです。