2人の天才少年は、出生時に取り違えられたのか? 綾崎隼待望の将棋小説第二弾『ぼくらに嘘がひとつだけ』

文芸・カルチャー

公開日:2022/7/25

ぼくらに嘘がひとつだけ
ぼくらに嘘がひとつだけ』(綾崎隼/文藝春秋)

 恋愛青春ミステリー「花鳥風月」シリーズや、高校サッカー界を舞台にした「レッドスワンサーガ」をはじめ、数多くの恋愛・青春・ミステリー小説を書いてきた作家・綾崎隼氏。昨年、Tiktokでけんごさんが推薦し大きな話題となった『死にたがりの君に贈る物語』をはじめ、“絵画”“将棋”“小説”といった様々な才能をテーマにした作品を精力的に放っている。

 7月25日に発売される最新作『ぼくらに嘘がひとつだけ』(文藝春秋)は、この数年で見せてきたこの作家の地力が、いよいよ結実している――そんな作品となっている。

 中心となるのは2人の将棋少年だ。棋士と女流棋士を両親に持つ京介と、挫折した女流棋士である母に女手一つで育てられた千明。小学5年生のとき奨励会(棋士の養成機関)で出会った彼らは、よき友人にしてライバルとなる。やがて中学生になった彼らは、ある疑念に憑かれる。もしや自分たちは出生時に、病院で取り違えられたのではないだろうか……と。

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 一方は将棋界のサラブレッド、一方は落ちこぼれ女流棋士の息子。

 どちらも天才少年と呼ばれているが、その才能はどこからきたのか。遺伝子か、それとも環境か? このテーマを展開する場所として、才能のあるなしが全てを決する将棋界ほどふさわしい場所はない。

 物語は、作者が得意とする複数の人物の視点から語るパートをつなげていくかたちで構成されている。

 先陣を切るのは千明の母親・睦美だ。苦労して女流棋士となるも捗々しい戦果を挙げられず、失意のうちに引退。結婚にも敗れ、離婚後に息子を出産。同じ病院で同期の女流棋士がやはり男の子を産んだことから、心にさざ波が立つ。

 続く語り手は、実質的な主人公の京介だ。史上最年少の奨励会会員となり、経済力があり優しい両親のもと棋士への道をまい進している。自分の恵まれた環境は、本来なら千明のものだったのではないか? だんだん勝てなくなってきたのは、一流棋士である父親の血を本当は引いていないから……? と、取り違え疑惑に悩みながらも、置かれた状況で最善を尽くそうとする。

 京介と交互に語り手役を受け持つのが、その父、厚仁だ。この厚仁パートが実に読ませる。

 京介と同様に棋士を父に持ち、幼少期から将棋を叩き込まれた彼は、父親を恨んでいる。しかし将棋をとおして親友を得て、愛する人も見つけた。そして自分も親になった今、ちゃんと父親をやれているのか自問する。京介と千明の取り違え疑惑にどう向き合うべきか悩み、葛藤し、自身と父親の関係を振り返る。年を重ねても成熟できていない自らを深く見つめる。

 ことに厚仁とその親友の織り成す友情関係は、主筋である京介と千明のそれに負けないくらいの存在感がある。

 こうした中年世代の心情描写は、かつての綾崎作品には見られなかったものだ。青春小説の書き手として長らく若者たちを描いてきた作者は、本書に先立ち棋界を舞台に執筆した『盤上に君はもういない』(KADOKAWA)を経て(*この作品も将棋と親子をテーマにしている)、ここに至ってついに若者たちを見守る世代の、中年のまなざしを獲得している。

 ちなみに『盤上に~』の主人公のひとりである女性棋士の飛鳥が、本作にも登場している。役どころは千明の将棋の師匠だ。飛鳥もまた中年の、親的な立場となって、かつての自分のように棋士を目指す若者を指導している。

 メインテーマである赤ん坊の取り違え疑惑の真相と、才能を決めるのは遺伝子か環境かという命題。これらの主軸に各人物たちの物語が重なりあい、つながりあって、かつてなく優しい、広がりのある結末へ至っている。

 綾崎隼氏は本作を以て第二期に入った。旗幟鮮明にそう感じる。今後もし「花鳥風月」シリーズの新作を書くとしたら、きっとこれまでとはちがったものとなるだろう。

文=皆川ちか