海外旅行気分で楽しめる! ラテン・アメリカ文学ブームの火付け役・ガルシア=マルケスの中短編が新訳で登場
公開日:2022/7/27
7月半ば、「海外旅行パッケージの販売再開」のPRが日本各地で行われました。海外の「ノーマスク」な状況をネットで目にしたり、周囲の誰かが久々に海外に行ったという話を聞く機会が増えたりしている方も多いのではないでしょうか。
そんな海外旅行の気運が戻りつつある今のタイミングにぴったりなのが、ミステリーツアーに参加するかのような心地で読める『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(ガブリエル・ガルシア=マルケス:著、野谷文昭:訳/河出書房新社)です。世界各地でラテン・アメリカ文学ブームを巻き起こした1967年の作品『百年の孤独』で有名なガルシア=マルケスはコロンビア生まれの作家で、1982年にはノーベル文学賞を受賞しています。本書には、1960~80年代に書かれた計10作の中編・短編が新訳で収録されています。
ガルシア=マルケスは、非日常を日常的な物事として描く「マジック・リアリズム(魔法的現実主義)」という手法を操る書き手として有名です。魔法を使える人物や摩訶不思議な出来事の連続を中心に物語が推進していくかというと、必ずしもそうではありません。
数十年のあいだ軍人恩給支給の手紙を待ち続ける男の家庭を描いた『大佐に手紙は来ない』では、西暦年や年月日の数字の並びや、ある特定の月に「不穏さ」や「何かしらの予兆」を感じてしまう人間心理を克明に描いています。
彼は窓を開けた。十月はすでに中庭に居座っていた。緑濃く生い茂った草木や土のなかのミミズの小さな巣を眺めながら、大佐は腸のあたりにまた不吉な十月を感じた。
人の思考回路は不思議なもので、横に並ぶ丸2つの下に、トンガリが下に来ている三角形が1つあれば、笑っている顔のように見えてしまいます。空に浮いている雲が、動物の形などに見えてしまうこともあります。そうした人間の想像力は、世界各地で独自の文化を生んできました。たとえば日本では、山肌の残雪の形を農作業の目安にしたり、農作物の出来を占ったりする「雪形」が各地に言い伝えられてきました。
『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』では、コロンビアでもカリブ海寄りの北端にあるグアヒラ県の言い伝えが強く作品に反映されています。本書の解説によるとガルシア=マルケスの母方の祖父母はこの地の出身で、ワユ族という先住民族の神話や迷信がさまざまな形で残っているといいますが、主人公の少女・エレンディラに恋する少年・ウリセスはワユ族の母を持っているという設定です。
ウリセスがエレンディラへの思いを募らせたあるとき魔法的な現象が起こりますが、「マジック・リアリズム」の手法に基づいて、あくまで日常的な光景として描かれます。
ウリセスが剪定鋏を持って家に戻ると、母親は、近くの小さなテーブルの上にある四時に飲む薬を取ってほしいと頼んだ。ウリセスが手で触ったとたん、コップと薬の入った瓶の色が変化した。そこでただの悪戯のつもりで、他のコップと一緒に置いてあったガラスの水差しに触ってみると、今度も色が変わって青くなった。
先にご紹介した『大佐に手紙は来ない』の一節では、十月という「ひとまとまりの時間」が人の体内に入ってきて感情をかき混ぜている描写でしたが、この一節では逆に、体内でうごめく感情が体外にあるものに伝播・波及するという様が描かれています。この場面の後に母親は「こういうことが起こるのは恋が原因なの」とウリセスに言い、相手は誰なのか探っていきます。よくあるシチュエーションに置き換えると「母が息子の言動から、何となく好きな人ができたのがわかる」ということで、息子と母の関係が「種も仕掛けもないコップに息子が触って色が変わる」という描写をもって表現されています。
こういった「魔法のような現象と感情」にあふれた全10作(筆者が一番気に入ったのは、漁村の老若男女が水死体に魅了されて団結していく『この世で一番美しい水死者者』です)を読んで、まだ見ぬ世界を旅するモチベーションを高めてみてはいかがでしょうか。
文=神保慶政