「お前たちの内偵はバレている」――ずる賢い相手を前に引くしかないの?/【月9ドラマ原作】競争の番人④

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/4

フジテレビ月9ドラマでも話題! 『元彼の遺言状』著者・新川帆立さんによる「公取委」ミステリー『競争の番人』(講談社)。

市場の独り占めを取り締まる公正取引委員会の審査官・白熊楓は、東大首席・ハーバード大留学帰りのエリート審査官・小勝負勉と同じチームで働くことに。反発しあいながらもウェディング業界の価格カルテル調査に乗り出すが…?

理屈抜きで面白い王道エンターテインメント小説の冒頭を、全5回で試し読み!

※本稿は新川帆立著の小説『競争の番人』から一部抜粋・編集しました。

競争の番人
競争の番人』(新川帆立/講談社)

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「はあ、君たち」

 風見キャップが弱々しく言った。

 深呼吸のように深いため息をつく。デスクに肘をのせ、頭を抱えている。

「はああ、君たち。実に立派だった。立派だった、が。はあ」

 ため息を重ねた。

 小勝負と白熊は霞が関に帰ってきていた。今回の案件自体が、暗礁に乗り上げたからだ。

 あの日、パトカーと救急車は速やかに駆けつけた。

 雲海も、乱入した男も無事だった。

 男は、S市で生花業を営んでいる石田正樹という者だった。年齢は五十代半ばである。背格好は「Sクラシカルホテル」の防犯カメラに写っていた者と一致した。

 銃刀法違反で現行犯逮捕後、前日のホテルオーナー殺人未遂事件の容疑者としても取り調べが開始された。連続してホテルオーナーの刺殺を目論んだものとみられる。

 第二の犯行を目撃し食い止めた者として、小勝負と白熊も事情聴取を受けた。

 公正取引委員会の職員だと告げ、すべての事情を話したものの、対応は冷たいものだった。

「公取委? そんな役所が、警察まがいの尾行なんてするんですか」

 刑事はあからさまに疑いの目を向けた。

 公取委の取締対象行為は多岐にわたる。そのうち悪質なものには刑事罰が科される。だから手続きに検察が関わることはある。

 だが検察が出てくるのは、公取委が証拠をそろえて、あとは起訴するだけという段階だ。警察が動員されることは少ない。公正取引委員会の業務を警察官たちはほとんど知らないのだろう。

「本庁の検察官に聞いてみてください」

 としつこく頼んで、やっと信じてもらえた。

 くたくたになって駅前に戻ると、とめていたレンタカーに路駐の違反切符が貼られている。

「もうっ、なんなのよ」

 白熊は声を上げた。

「公取委に何の恨みがあるわけ。いくら弱小官庁のマイナー業務だからといって、路駐を取らなくてもいいじゃない。これでも刑事罰につながりうる、正式な業務じゃん。警察や検察の車だったら、捜査の一環だからとか理屈をつけて、見逃してもらえるのに」

 声の威勢はだんだん落ちて行った。

「分かってるよ……弱小官庁だもん」

 一歩前に立っていた小勝負が振り返った。両手を革ジャンのポケットに突っ込んで、ぽつりと言った。

「弱くても、戦わなくちゃいけない」

 宙で小勝負と視線が交わった。疾風が吹いた。

「寒っ。さっさと宿に帰りましょう」

 小勝負は肩をすぼめて、歩き出した。

「ていうか今回戦ったの、ほぼ私じゃん。小勝負君、包丁を拾っただけだし」

 不満を漏らしながら、あのときのことを思い出した。

 白熊が迷っている間に小勝負は飛び出していた。小勝負の身のこなしからすると、戦い慣れてはいない。体格差のある相手とはいえ、刃物を持った男に対して素手で向かっていったのだ。

「まあ、小勝負君のわりには、頑張ったんじゃん」

 小走りで小勝負に追いついて、顔を見上げた。

 小勝負はこめかみをかいて、視線を逸らした。

「えっ、照れてるの?」

 小勝負はこれを無視して歩き出す。歩調は先ほどよりも速まっていた。

 その日は宿に泊まった。翌日から調査を再開する予定だった。

 ところが翌日になってみると急転直下、すぐに霞が関に戻れと指令が飛んだ。

 目をつけられていると悟った雲海から、公取委の相談指導室に連絡が入ったという。

「弊社に何らかの嫌疑がかかっているようだが、心当たりがない。何か違法な点があるなら、改善するから是非教えて欲しい」

 雲海はぬけぬけとそう言ったらしい。

 実際は「お前たちの内偵はバレている、これ以上追っても無駄だ」と伝えるために、連絡を寄越したに違いない。

 公取委が絡んでいることは雲海に伝えないよう、刑事には頼んでおいたはずだ。それなのに、どこからともなく漏れ聞こえているのだから呆れる。

 どうせ雲海の口車に乗せられて、うっかり漏らしたのだろう。公取委の業務の重要性や機密性を、警察は充分に理解していないのだ。あるいは雲海は、地元の警察に何らかのコネがあるのかもしれない。

 公取委は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。風見キャップ、本庄審査長、それより上のお偉方で話し合いがもたれた。結果として、今回のカルテルの件は一旦棚上げとなった。

 役人が棚上げと言うとき、それはほぼ「終了」を意味する。対雲海の摘発としては黒星ということになる。

「君たちは立派だった。けど、俺はこってり絞られたよ。いや、君たちはそんなこと、気にしなくていいんだ……」

 風見はデスクで小さくなり、ぼやき続けている。

 風見の声を無視して、小勝負が口を開いた。

「雲海は、かなりの切れ者ですね。殺されかけたというのに、翌日には老獪な動きをしている。もう少しヤワな人だったら、僕たちも押し切れたかもしれないのに」

 白熊は唇をかんだ。

 雲海を助けるために飛び出したことは後悔していない。けれども、その後の対応に注意が不足していた。もっと雲海の出方を警戒しながら動くべきだった。

「そんなにずる賢い男なら、他に違反行為をしているかもしれない。別の機会で、きっと捕まえよう」

 白熊が言うと、小勝負がじっと見つめ返してきた。熱を帯びた、真剣な目だった。

「白熊さん。珍しく僕も同意見です」

 風見のうめき声を聞きながら、霞が関の午後は過ぎていった。

 

第二章 タピオカを踏むな

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 真っ白なチャペルに柔らかい光が差し込んでいた。大理石の床には深い瑠璃色の絨毯が敷かれている。両脇の石製のベンチは隅々まで磨き上げられていて、軽く手を触れるだけでも指紋が目立ちそうだ。

「ステンドグラスを気に入られる花嫁様が多いのですよ」

 黒いパンツスーツを着たウェディングプランナーの女性が、チャペル前方を手のひらで指した。

 正面の上部に丸い窓があり、植物と花の模様がガラスでかたどられている。

「どう思う?」

 徹也が小声で訊いた。

「う、うん。いいと思う」

「楓の好きに決めていいからね」

 徹也は半歩先から振り返って言った。

「ありがとう」

 白熊はあいまいに笑った。徹也の優しさは嬉しい。だが好きにと言われても、具体的な希望があるわけではなかった。

 朝から横浜近辺で式場を回り、ここで三軒目だ。

 どの式場も綺麗で明るい。晴れ晴れとした雰囲気だ。友人の結婚式には何度も出ていた。それらのどの式場と比べても遜色はない。けれども逆に、これといった違いや特徴があるわけでもなく、決め手に欠けていた。

 瑠璃色のカーテンに仕切られた相談スペースに戻ると、ウェディングプランナーは黒い革製のファイルを開いた。

「料金プランはこのとおりとなっています。三十人で二百八十万円、五十人で三百四十万円といったふうに、ゲスト数に応じて、お値段は変わってまいります。ですが、ゲストからのご祝儀を差し引けば、自己負担額は二百万円程度となる方が多いですよ」

 話を聞きながら、自分の貯金額を思い浮かべた。払えない額ではないが、かなりの支出だから即断はできない。

「実際は、このほかに衣装代や花代があるのですよね?」

 白熊が尋ねると、ウェディングプランナーが口角を上げたままうなずいた。

「花嫁様の好みにもよりますが、ドレスは三十万円から五十万円ほど。フラワー代は十万円から二十万円ほどかかることが多いです」

「ドレスと花を合わせて、四、五十万ですか」

 吐息が漏れた。

 手取り給与の二ヵ月ほどに相当する。

「一生に一度の晴れ舞台ですから」

 ウェディングプランナーの笑顔と裏腹に、胸の内には苦いものが広がっていた。脇の徹也を見ると、徹也は微笑みを浮かべて白熊を見つめ返した。

 病気の母親を励ますために、徹也は結婚式に前向きだ。白熊の希望をなるべく叶えようとしているのも伝わってくる。結婚式は花嫁のわがままを叶えるものだと考えているのだろう。

「本日仮予約を入れていただければ、フラワーをランクアップ、カラードレス一着無料、前撮り費用も半額となり、最大で百万円相当の割引になります」

「うーん」

 決めきれない白熊を、徹也はじっと見つめている。

「仮予約の段階では、内金も不要です。本予約の義務もありませんから、一旦仮予約を入れていただいたうえで、じっくりご自宅で検討いただくのが良いかと思いますよ」

 他の二つの式場でも同様の説明がなされていた。

 ほとんどの式場で、仮予約特典が用意されている。見学当日に仮予約を入れると、様々な割引や特典が得られるのだ。仮予約期間は一週間から十日ほど。気になる複数の式場で仮予約を入れて日程だけ押さえたうえで、比較検討するカップルも多いらしい。

 迷った末、他の二つの式場でも仮予約を入れていた。

 日取りは来年の秋頃だ。秋はウェディング業界のハイシーズンだから、早めに予約したほうがよいと、どちらの式場でも急かされた。

 ジューンブライドというものの、六月は天候に恵まれにくい。日本で最も結婚式が多いのは秋だという。

「変更やキャンセルって、どのくらい融通が利きますか?」

 白熊は恐る恐る訊ねた。

 働き始めて今年で五年目だ。六年目となる来年の春には地方赴任になる可能性があった。もちろん全員ではないし、家庭の事情を理由に断ることも不可能ではない。要らぬ心配をかけぬよう、徹也にはまだ伝えていなかった。

「実は弊社では、他社さんと比較しても、かなり柔軟に変更のご相談に応じています」

 徹也と白熊は一斉に顔を上げた。その反応に商機を見たのだろう。ウェディングプランナーの声に力が入った。

「挙式の二週間前までであれば、ゲストの数や会場の装飾について変更を承っています。日程の変更も、会場の空きがあるかぎり、追加料金はいただいていません。あまり大きな声では言えませんが、式の直前や当日でも、なるべくお二人のご希望を叶えるよう調整しています」

「当日もですか?」白熊は驚いて訊き返す。

 これまでの式場では、型どおりのキャンセルポリシーの説明しかなかった。

「フラワーの設置は挙式当日に行われるのですが、どうしても花嫁様のイメージとのずれが生じることがあります。そういった場合でも、当ホテルが間に入って、フラワー業者と柔軟に相談させていただきます。そのほか、前撮り写真がイメージと異なる場合の撮り直しを行うこともございます。当日撮影したムービーも、ご希望に応じて再編集可能です。新郎新婦様の理想の挙式となるよう、柔軟に対応させていただくのが弊社のモットーでございます」

 ウェディングプランナーの落ち着いた話しぶりに、いつのまにか好感を抱いていた。一旦決めてしまった後でも、事情の変更を伝えれば柔軟に対応してくれそうだ。一年以上かけて準備を進めていくのだから、細やかな対応が可能なほうがよい。

 結局、その式場でも仮予約を入れた。

 見学の後は徹也の家に行く予定だった。

 式場の化粧室から出ると、ちょうど徹也が待合室から出てきた。携帯電話を耳に当てている。白熊と目があうと、足早に式場外の中庭へ出て行った。片方の手で携帯電話を持ち、もう片方の手で口の周りを覆って何か話している。

「大丈夫? お義母さんに何かあった?」

 戻ってきた徹也に尋ねると、徹也は首を横に振った。

「いや、何でもない。今日は家に来るの、遠慮してもらっていいか」

「仕事?」

 警察官として当番制で働いている徹也は、休日に仕事の電話が来ることはほとんどない。だが管轄内で大きな事件があった場合など、まれに呼び出されることもある。

「まあ、そんなとこ」

 徹也は鼻の頭をかきながら、足早に歩きだした。別の電車に乗るために駅前で別れた。いつもは大股でゆったり歩く徹也が、せわしなく足を動かして改札に入っていく。なにか急ぎの用事だろうか。その後ろ姿を見送りながら、白熊は首をかしげた。

<第5回に続く>