殺人未遂事件の容疑者が犯行を否認!? 「下請けいじめ」が原因か/【月9ドラマ原作】競争の番人⑤

文芸・カルチャー

更新日:2022/8/6

フジテレビ月9ドラマでも話題! 『元彼の遺言状』著者・新川帆立さんによる「公取委」ミステリー『競争の番人』(講談社)。

市場の独り占めを取り締まる公正取引委員会の審査官・白熊楓は、東大首席・ハーバード大留学帰りのエリート審査官・小勝負勉と同じチームで働くことに。反発しあいながらもウェディング業界の価格カルテル調査に乗り出すが…?

理屈抜きで面白い王道エンターテインメント小説の冒頭を、全5回で試し読み!

※本稿は新川帆立著の小説『競争の番人』から一部抜粋・編集しました。

競争の番人
競争の番人』(新川帆立/講談社)

 翌日、白熊は中央合同庁舎十八階の会議室にいた。若手職員が二十人ほど集められている。

 壇上には、検察庁から公取委に出向している検察官、緑川が立っていた。

 二十代後半、白熊と同世代か少し若いくらいの女性だが、研修の講師を務めていた。清潔感のあるショートカットが涼しげな目元を引き立てている。フレームなしの眼鏡が似合う、才女然とした人だ。

「これを法的三段論法と言います。大前提を法令とし、小前提を具体的事実として、法適用の結果を……」

 砂をかむような緑川の説明に、頭がくらくらしてきた。

 警察学校でも法律の授業はあったが、実例に即した分かりやすいものだった。理屈であれこれ言われても、よく分からない。

 数年前から職員向けに「調書の取り方講座」が開かれていた。

 裁判になった場合にもきちんと戦える調書を作る必要がある。餅は餅屋ということで、調書のプロである検察官が講師を務めるのだ。

 けれども検察官は、法的な教育を受けて、司法試験を突破してきた人たちだ。説明がいちいち小難しくて、分かりづらい。

「ねえ、守里ちゃん、分かる?」

 右隣の紺野守里に小声で話しかける。守里は人のよさそうな目を丸めて、うなずいた。軽くパーマのかかった茶髪が揺れる。

「楓ちゃん、分からないの?」

 守里が心配そうに眉をひそめた。

 白熊は片手を口元に当て、表情を隠した。守里も分からないかもと期待した自分が恥ずかしかった。

 守里は白熊の同期で、デジタル・フォレンジック・チーム、通称DFTに勤務するエンジニアだ。削除されたデータを復旧するプロ集団である。理系出身だから法律に詳しくはないはずだ。だが頭が論理的にできていて、理屈で説明されればすぐに分かるのだろう。

 左隣を見ると、小勝負が欠伸をかみ殺しながらパソコンに向かっている。メモを取っているのかと思いきや、マインスイーパーをしていた。

 小勝負は司法試験に二十歳で合格しているから、検察官になろうと思えばなれたはずだ。講義内容は分かりきっているのだろう。

 自分だけとんでもなく頭が悪いような気になって、白熊は肩を落とした。

 本来の聴取業務は、理屈とか、法的何段論法とか、そういうものではない。人間同士のぶつかりあいだ。元上司のベテラン審査官、遠山もそう言っていた。

「ふあああ」

 白熊が欠伸をした瞬間、隣で小勝負も欠伸をした。

 講師の緑川の視線が、こちらに注がれた。すぐに緑川は何事もなかったかのように講義に戻った。

「ですから、法的な要件を常に念頭に置いたうえで、それに対応する事実を聴取していくことになるわけで……」

 検察と公取委は、これまでも協調と対立を繰り返してきた。

 カルテルや談合、下請けいじめなど、主に「独占禁止法」という法律に定められた禁止事項を取り締まるのが公取委の仕事だ。その一部には刑事罰も科されていて、起訴権限は検察が独自に持っている。

 つまり、縄張りが一部被っているのだ。過去には、検察に無断で公取委が調査を進めたことで、関係が悪化したこともある。現在は両者協力して案件を進めているし、検察庁から出向者の受け入れもある。だが組織としてのカラーが違うから、対立する局面も多い。

 検察官は警察や公取委が取りまとめた一次資料をもとに判断する。検察官自身も日常的に調書を取るが、現場を駆け回って証拠を集めるような動き方はしない。

 公取委はもっと現場主義だ。いくら法律に詳しくても、地道な調査業務ができないようでは一人前ではない。

「最後に……調査を行うなかで、犯罪の端緒を発見した場合は、出向検察官に必ず申し出てください。警察と連携して検挙していきます」

 緑川はそう締めくくった。

 調査を行うなかで明らかな犯罪行為を見かけることはほとんどない。もしあったとしても、警察や検察と連携して検挙した例は聞いたことがなかった。これまで以上に連携を強めたいという趣旨なのかもしれない。

 昼休み三十分前にやっと講義は終わった。

 背伸びをして会議室を出ようとしたら、後ろから声がかかった。

「小勝負さん、白熊さん、ちょっといいですか」

 振り返ると、先ほどまで講師をしていた緑川が立っている。

 背筋をしゃんと伸ばし、小脇に青色の風呂敷を抱えていた。検察のものだ。公取委の職員も風呂敷を使うが、紫がかった青色である。検察の風呂敷のほうが鮮やかな青色で、華やかな印象だ。世間からの見方とも重なるようで、検察の風呂敷を見るたびに胸の内がちくりとする。

「新件の話があるから、残ってもらえる?」

 二人そろって欠伸をしていたことを注意されるのではと身構えていたが、用件は全く違った。

 緑川は周囲を見渡した。会議室から他の職員が立ち去ったのを確認して、椅子に腰かけた。

 白熊と小勝負もつられて近くに座る。

「宇都宮地検から連絡をもらいました。本庄審査長、風見キャップ、桃園さんには共有済みです。実際に調査をするのはあなたたち二人だから、あなたたちにも私から説明しておくよう、本庄審査長から仰せつかったの」

 講義のときと全く変わらない淡々とした口調だ。

 ノンフレームの眼鏡の端が光を受けてきらめいた。

「石田正樹の件です」

 小勝負と白熊は顔を見合わせた。

「ホテルオーナー殺人未遂事件の容疑者よ。小勝負さん、白熊さん、先日は逮捕にご協力いただき、ありがとうございました」

 そう言うと、緑川はビシッと背を伸ばしたまま、腰から身体を曲げて礼をした。感情のない口調とテキパキした動きがロボットを思わせた。美形で冷たい印象だからだろうか。雰囲気がどことなく小勝負と似ている。

「ついでと言っては何ですが、石田の証言の裏どりをして欲しいのです。石田は二件とも否認しています」

「故意がなかったってこと?」

 小勝負が口を挟んだ。

 いつもは敬語を使っている小勝負が、やや砕けた調子で言うから驚いた。確か緑川も東大出身だったはずだ。年齢も近いからもともと面識があるのかもしれない。

 小勝負の質問に対して、緑川は首を横に振った。

「いや、一件目については犯人性を争っている」

「そっか。それで宇都宮地検が困っているんですね」

「話が早いわね」

 緑川と小勝負だけで難しい話が進んでいく。

「犯人性って何?」

 小勝負に向かって小声で訊いた。

「人違いだってことです。自分はやっていない。全く別の人が犯人だと石田は主張している。そういうことですよね、緑川さん」

「そうです。一件目は全く身に覚えがないと言っています」

「えっと、でも……」

 白熊は首をかしげながら口を開いた。

「二件目、天沢雲海さんを刺そうとしたときは、その場で私たちが取り押さえたから、人違いのはずはないと思うのだけど」

「二件目については、話し合いをするために現場に行ったのであって、刺すつもりはなかったと話しています。包丁を持って行ったのは、そうでもしないと話を聞いてもらえないからだと」

「小勝負君が飛びかかったとき、石田は包丁を振り回したよ。包丁は本当に持って行っただけなのかなあ」

「急に男に飛びかかられて、気が動転して包丁を振り回したと供述しています」

「うーん、まあ、そういうこともあるのかなあ」

 言葉を濁しながら、白熊はあのときの光景を思い出した。

 石田が雲海に近寄るとき、確かに口元を動かして何かを言っていた。白熊も気が動転していた。声は聞こえた気がするが、石田が何を言っていたのかはよく分からない。

 話し合いのために包丁を持っていくだろうか。疑問ではあるが、石田の供述を否定する証拠があるわけでもない。

「だから僕は言ったんですよ。石田は犯人じゃないって」

 小勝負が腕を組みながら言った。

 白熊は驚いて、隣の小勝負を見た。

「先日警察で調書を取られたときにもそう指摘しました。一件目のオーナー殺人未遂のときは、刃物に指紋がついていなかった。手袋をしていたのでしょう。フードをかぶり、マスクをして顔を隠している。けれども石田は、雲海と対面するとき普通のスウェットを着ていた。顔も隠していないし、手袋もしていない。包丁には指紋がベッタリついていたはずだ。一件目の犯人とは背格好が一致しているだけです。同じような背格好の人は日本中にごまんといる」

 小勝負がそんな話をしていたなんて、白熊は全然知らなかった。それもそのはずだ。このあいだの出張から帰ってからも、業務上必要最小限の会話しかしていない。

 桃園は色々な話題を小勝負に振っていたが、そのたびに小勝負は面倒くさそうに応答していた。その様子を見ていると、小勝負に話しかけるのがはばかられた。

「そもそも銃刀法違反程度で石田が逮捕勾留されて、身柄拘束が続いていること自体、通常ありえないんだ。一件目の取り調べを目的とした違法な別件逮捕なんじゃないですか」

「きちんと令状を取って進めていますから、小勝負さんの心配には及びません」

 緑川がぴしゃりと言った。

「石田は、『ホテル天沢S』のブライダル部門に花を納入していました。新郎新婦のひな壇に飾ってあるでしょう。ゲストの席にも花はあります。花嫁が持つブーケとかも。そういうものを、石田の経営する花屋が納めていた。ところが、ブライダル部門が無理難題ばかり押しつけてきたそうです。挙式直前になって花の種類を変更したり、当日セッティングしたあとにやり直しになったり。追加作業に必要となった費用はもちろん請求できない」

 白熊はハッとして顔をあげた。

「なんで急にびっくりしているんですか」

 小勝負が冷ややかに口を挟む。

「いや、別に」

 つい昨日、式場見学に行ったばかりだ。

 直前や当日の変更も柔軟に対応するとウェディングプランナーは話していた。利用客としては安心感がある。末端の納入業者がしわ寄せを受けるとは、想像もしていなかった。自分の想像力のなさが恥ずかしかった。

 下請けいじめを取り締まる公取委の職員なら、当然、納入業者のことに気づくべきだった。徹也は二人でいるときに仕事の話をするのを嫌った。徹也も話さないし、白熊の話も聞かない。だからいつの間にか、白熊もプライベートと仕事を切り分けて考えるようになっていた。

 緑川は白熊に構わず続けた。

「ホテル側の無理難題に振り回されて経営が苦しくなったようです。石田は、ブライダル部門に掛け合ったが、全く話にならない。それではと専務に直訴しようと何度も連絡をした。しかしそもそも連絡がつかない。専務を追いかけて、人気のないところで話しかけたと。そう言っています」

「ええと、もしかして」

 白熊が恐る恐るといった感じで口を開いた。

「その、ホテルの納入業者いじめを調べろということですか」

「そうです。本庄審査長に聞いたら、立件していないというじゃないですか。職務怠慢なんじゃないですか」

「立件にも優先順位がありますから──」

「宇都宮地検が泣きついてきたんでしょう」

 小勝負が割り込んだ。

「事件の大きな動機なのに、公取委に照会したら実態を把握していなかったから。それで出向者を通じて、調査を急かしてきたわけだ。でも本来は、検察が自分で調べればいいことだ。職務怠慢はどっちでしょうね」

 よくぞ言ってくれたと白熊は心の中で喝采を送った。

 これまでも度々検察には嫌味を言われ、良いように扱われてきた。だが誰も歯向かうことはできないでいた。重大事件は最終的には検察に起訴してもらう必要がある。検察との関係を悪化させないよう、遠慮する雰囲気があったのかもしれない。

 緑川は何も言わず、唇をかみしめていた。

 その反応を面白がるような光が小勝負の目に浮かんだ。

「まあいいや。調べますよ。二件目の事件の被害者、天沢雲海のことは気になっていたから。白熊さんもそうですよね」

 小勝負が白熊を振り返った。口元に薄い笑みが浮かんでいる。立ち上がる小勝負に、白熊も続く。小勝負が会議室のドアノブに手をかけた。

「ねえ、小勝負君」

 これまでとは一転、緑川の声に熱がこもっていた。

「なんで公取委なんかに行ったの? 小勝負君なら他にできること、もっとあったでしょう」

 一瞬、沈黙が流れた。

 白熊は戸惑いながら、二人を交互に見つめた。

「自分の脳みその使い道は自分で決めるよ」

 小勝負は振り向きもせず会議室を出て行った。

<続きは『競争の番人』でお楽しみください>