役に立たないから面白い!? 知的好奇心が刺激される「沖縄美ら海水族館」のサメ博士たちの“生態”
公開日:2022/8/6
カエルは目を頭の中に沈み込ませて隠すことができる生物だ。実は海に棲むエイの仲間も同じように目を頭に引っ込める能力を持っていて、その眼球移動距離は4センチ。エイは脊椎動物の中でもっとも目を引っ込められる能力を持っているそうだ。本書『沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか? サメ博士たちの好奇心まみれな毎日』(佐藤圭一、冨田武照、松本瑠偉/産業編集センター)の著者のひとり、冨田武照博士は、獣医チームのダイバーに水の中でも使用できる特殊な水中エコーでエイの眼球を撮影してもらい、さらに先行研究を調べ上げた結果、この誰も知らなかった新たな事実を突き止めて論文で発表したという。では、この研究は何かの役に立つのだろうか。冨田博士はこう書いている。
これらの成果は、当分人類の役に立ちそうもないが、私はとても満足だ。
『沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか?』は、研究施設としても数多くの業績を生み出している「沖縄美ら海水族館」の佐藤圭一博士、前述の冨田博士、松本瑠偉博士という3人のサメ博士が、それぞれ“サメの世界”に入った動機からこの水族館にたどり着いた経緯、そして日々の研究について語る本だ。
水族館といえば、巨大な水槽で数多くの生き物を鑑賞して、さらにショーや触れ合い体験なども楽しめるエンターテインメント施設というイメージが強いかもしれない。しかし、日本動物園水族館協会は、水族館の社会的役割として、レクリエーション・教育・保全・研究の4つを挙げており、研究も重要な柱のひとつとなっている。そして沖縄美ら海水族館は伝統的に「水族館職員が主体的に研究すること」を大事にしてきた水族館だという。紆余曲折あって最終的に自分の居場所を見出すことができた沖縄美ら海水族館がどのような場所なのか、佐藤博士は詳しく紹介していく。
ここは、「水族館が単に生物を上手に飼育し展示する」というだけでは全然満足できない意欲的な人たちが集い、日々何か面白いことをやってやろうと企てる野心が溢れる場所だった。
病院に入院している子どもたちに向けたオンラインプログラムの開催、数十年単位の取り組みとなるジンベエザメの飼育下繁殖プロジェクト、全人類の共通財産になる生物標本、人工子宮プロジェクト、世界中から集まってくる研究者たちとの共同調査など、沖縄美ら海水族館の理念と数々の技術革新を交えながら語られる多様な研究活動に驚かされる。
冨田博士の学生時代から続くサメ研究の日々は、ある意味“研究者の生態”がよくわかるエッセイだ。卒業研究だった「サメの歯の化学分析」の思わず笑ってしまう顛末や、古代ザメ・クラドセラケの“幻のペニス”探しのように労力を注いだのに結果が得られない研究があっても、常に面白い仮説を探して必死にデータを集めて検証し、また新しい不思議な謎を見つける。研究者とはその連続に熱中できる人たちなのだろう。博士課程を修了して広告会社の営業として働いた後に沖縄美ら海水族館で研究者となった松本瑠偉博士は、ジンベエザメやマンタのエキスパートとして館内だけでなく、世界を舞台にして研究活動を行っている。カタールの国際会議で出会った研究者たちと一緒に行うガラパゴス諸島のジンベエザメ採血調査はほとんど冒険譚のような趣もある。
こうしたサメ博士たちの研究について「役に立つのか、立たないのか」という視点はほとんど意味をなさない。むしろそういうことを考えないからこそ、面白い。知的好奇心と興味の赴くままに謎を追い求め、役に立つとか役に立たないとか関係なく新しい知見を蓄積していく。それが研究という営みの本質であることがよくわかるし、そんな役に立たなくて面白い研究を真剣にやっている沖縄美ら海水族館に行きたくなる1冊だ。
文=橋富政彦