「刑務所に入りたい」孤独な70代女性の切実な思いはどこへ向かう? ドラマ化も話題の 『一橋桐子(76)の犯罪日記』

文芸・カルチャー

公開日:2022/8/11

一橋桐子(76)の犯罪日記
一橋桐子(76)の犯罪日記』(原田ひ香/徳間書店)

 松坂慶子主演でドラマ化されることが決まった原田ひ香氏の『一橋桐子(76)の犯罪日記』(徳間書店)が、このたび文庫化。唯一の身内である姉とは喧嘩別れし、ルームシェアしていた親友も亡くなり、天涯孤独となった76歳の一橋桐子が、人に迷惑をかけずに生きるための方法として、刑務所に入るためにはどうしたらいいのか、試行錯誤する物語。ややコミカルに聞こえるかもしれないが、桐子の願いは切実だ。

 親友と2人暮らししていた家の賃料は、1人では払えない。新しく借りるにしても、保証会社を頼むにはまた余分に金がかかる。それなのに、親友の弔問に来た男を家にあげたら、ほんのちょっと席を外したすきに、現金を根こそぎ奪われてしまった。そんなとき、桐子は、刑務所に入りたいがために罪を犯す人がいるらしいと知る。ご飯も出るし、住むところもあって、世話も焼いてくれる。いっそ捕まったほうが人間らしい生活を送れるというところまで、追いつめられている人はきっと、少なくない。実際、全国の刑務所に収容されている受刑者約4万人のうち、60歳以上の割合は年々増加し、現在は約2割を占めているという。その情報は、桐子に仄暗い希望を与えてしまうのだった。

 甘いものが好きだった親友のために、120円のイチゴ大福を買う余裕もない。〈私も盗られたのだ、大福一個くらいもらってもいいのじゃないかしら〉〈ここで捕まれば、刑務所に入れる。楽になれる〉と万引きに手を出してしまった桐子の、あまりに追いつめられた心情描写に胸がぎゅっとなる。実際は、大福ひとつ万引きしたところで、刑務所に何年も入れられるなんてことはない。初犯の桐子は、説諭だけで帰されるのだが、買い取った大福を親友にそなえることもできず、情けない気持ちで「おいしい」と食べる場面には、えもいわれぬ感情がこみあげた。

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 けれど桐子はそこから本気で、できるだけ人に迷惑をかけることなく犯せる重罪は何かを考えるようになる。そして、どうせ失うものなど何もないのだからと、これまで接したことのないような人たちとも触れ合い、首を突っ込んでいくのだ。てはじめに、偽札づくりをきっかけにちょっと風変わりな女子高生と知り合いになり、パチンコ屋の清掃を通じて闇金業者と顔見知りになり、彼らとのかかわりを通じて、婚活詐欺や誘拐事件などにも首を突っ込んでいくことになる。そうして、その大胆な一歩一歩が、彼女の人生を変えていくのだ。

 ある意味で第2の人生を謳歌しはじめた桐子だが、罪を犯すということは、信頼を失うということ。社会の“闇”に積極的に足を踏み入れていく桐子を待ち受けているのは、痛快な結末ばかりではない。失うものは何もない、と思っていた桐子だが、警察沙汰になってはじめて、自分がこれまで細々と積み上げてきたものの大きさを知る。

 桐子が刑務所に入りたいと願ったのは、人生の主導権を放棄して、誰かにすべてをゆだねてしまいたかったから。けれど、人は命ある限り、自分の責任で生きていかなくてはならないのだ。それが、これまで出会った大切な人たちを、守ることにもつながっていく。きれいごとばかりでは解決しない現実を、生き抜くしたたかさを身につけて、これまで培ってきた誠実さも捨てずにちゃんと武器にして、前へ進もうとする桐子を応援しながら、自分はどんなふうに生きていきたいだろうと、己の矜持についても考える。

文=立花もも