恋を取るか、夢を取るか――少女たちの背中を押し続けた矢沢あい

マンガ

公開日:2022/8/14

 1990年代から2000年代まで、数々の大ヒット作を生み出してきた少女漫画家・矢沢あい。彼女が紡いだ物語には、今読んでも色あせない輝きがあります。現在2023年1月まで全国を巡回する原画展「ALL TIME BEST 矢沢あい展」を開催中で、多くの来場者を集めています。

 俊逸なモノローグ、ドラマチックな演出、今見てもおしゃれな登場人物たちのファッション……。矢沢作品は、そんな挙げたらキリがない魅力で登場人物たちの恋愛や友情を描いてきました。そしてその中で、「恋をとるか夢をとるか」というテーマについても、各作品のキャラクターたちを通して私たちの背中を押してくれました。

 というわけで本稿では、「好きな人とも一緒にいたいけど、自分の夢も掴みたい」そんな多くの少女たちが一度は直面する壁について、矢沢あい作品がどんなメッセージを送っていたかを考えたいと思います。

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『天使なんかじゃない』

 矢沢あいさん初の大ヒット作『天使なんかじゃない』で「恋と夢」について決断を迫られるのは翠の友人・マミリンこと麻宮裕子。マミリンは5年間の片思いを経て結ばれた同級生・瀧川くんと同じ大学へ行くため、夢だったイギリス留学を一度は諦めようとします。しかし周囲の説得もあり、最終的にはイギリス行きを決断。初めて自分の感情を露わにして引き留める瀧川くんに対し「耐えてみせてよ! あたしなんか5年も片思いしてたんだからね!」と一喝する姿には「さすがマミリン」としびれました。一方美術教師・マキちゃんこと牧ひろ子は夫・将志とパリに行くため、教師を辞めることを決断。「教師を辞めることに悔いはないのか」と問いかけるマミリンに「教師になるよりも、将志の夢についていく方が自分にとってずっと夢だった」とすっきりとした顔で話す牧先生の横顔には、恋か仕事、どちらかを選ぶしかない場面で自分の意志で決断を下したすがすがしさが感じられました。

『ご近所物語』

ご近所物語
ご近所物語』(矢沢あい/集英社)

 本作は、自分のファッションブランドを持ちたいという強い夢を持つ女の子・幸田実果子が主人公。学園長からロンドン留学を持ちかけられると「夢みたい」と涙ながらに喜びます。しかし同時にオファーを受けた友人・リサはこれを拒否。学園長に「一緒に暮らしてる人がいます、離れたくありません」と告げます。そんなリサの態度を尊敬する実果子。しかしここに至る前には、リサが彼の存在を実果子になかなか伝えられないというエピソードもありました。自分が夢のために単身で上京してきたと思っている実果子に、彼の上京に付いてきたことをなかなか伝えられない。そんな気持ちの裏には、彼の存在に影響を受けたり、夢より恋を選ぶことに後ろめたさを感じたりする気持ちが描かれています。ちなみにリサの一言で幼なじみであり恋人のツトムのことを思い出し揺らぐ実果子ですが、最終的には留学を決意。その後夢を叶えツトムとも結婚したことが本作の続編『Paradise Kiss』を読むとわかります。

『NANA』

NANA
NANA』(矢沢あい/集英社)

 こうして各作品で「恋」をとる人生も、「夢」をとる人生も描いてきた矢沢あいさん。その集大成と言えるのが、「恋」のために上京する小松奈々と、「夢」のために上京する大崎ナナ、ふたりの主人公が登場する『NANA』です。全力で「恋」だけに生きる奈々の生き方は、かわいらしくも若干主体性に欠けるような、どこかふわふわした印象を序盤では受けます。「夢」に生きるナナは現実的でストイック、女性が憧れるような女性像です。しかしいつも強がり過ぎるナナの情緒は、実は不安定。誰かが離れていってしまうことを人一倍怖がるからこそ、追いかけられないのです。そんなナナを助けてくれるのは奈々。ふわふわしているだけに最初は見えていた奈々ですが、実は土壇場で踏ん張る強さはナナ以上。特に妊娠してからは、精神的に見違えるような強さを持ちます。

「留学を断ったからって、君の夢の価値が下がるわけじゃない」とは『ご近所物語』に出てくるセリフですが、夢を追う女性だけでなく、恋や愛を優先する人生も肯定するのが矢沢あい作品。そんなすべての人生を後押ししてくれるところもまた、彼女の作品の魅力です。

文=原智香