【新海誠の文学世界】――過去4作の小説で表現された「大丈夫」という言葉の存在/③『小説 君の名は。』
公開日:2022/9/21
世界中のあらゆる人と人の間で起こっているコミュニケーションの本質にあるものは、「大丈夫」を送り合うことではないだろうか。おもに言葉で、それから表情や態度で、「私は大丈夫」「あなたも大丈夫」と励まし合うことで、本当は「大丈夫」ではなかったりする日常生活の礎を築こうとしているのではないか。アニメーション監督である新海誠はみずからの手で、最新作『すずめの戸締まり』の前に4作品を小説化してきた。この4つの小説には、重要な場面で「大丈夫」が顔を出す。その一語の表現の仕方に注目しながら、本稿では『小説 君の名は。』(新海誠/KADOKAWA)をレビューしていく。
千年ぶりとなる彗星の来訪を1ヶ月後に控えた日本。山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は、自分が男の子になる夢を見る。見慣れない部屋や見ず知らずの友人たちに戸惑うものの、念願だった東京生活をエンジョイし始める。一方、東京で暮らす男子高校生・瀧も、山奥の町で自分が女子高校生になる夢を見ていた。この胸の柔らかな感触は、本当に夢か? やがてふたりは気付く。俺はあの女の子と、私はあの男の子と――夢の中で入れ替わってる!? この設定ならではのギャップから生まれる笑いとときめきを積み上げていった先で、壮大なSFストーリーへと変貌を遂げる。
新海誠にとって初のメジャー配給作品となったアニメの制作と、同時並行で小説も執筆するというトライが行われた本作は、アニメの観心地が小説でも忠実に再現されている。情景描写や心理描写は、過去作よりも抑えめ。特に前半部分のコメディ・パートはセリフのみならず地の文でもボケ&ツッコミ&ノリツッコミが炸裂し、文章に軽やかさが取り入れられている。「私」と「俺」という主語の違いを活用し、入れ替わったふたりを一人称で交互に書いていくスタイルは驚くほど小説にマッチ。「私」の中に「俺」の記憶が流れ込んでくるシーンには、一人称の語りを読み進めていく小説だからこそ出せた独特の生々しさがある。
入れ替わり初日、瀧の体に入った三葉は、電車の窓ガラスに映った自分とは違う顔を見てふと思う。〈大変な一日を共に乗りきった戦友みたいな親しみを、私はこの男の子に感じはじめている〉。三葉との入れ替わり現象が起きなくなった後、瀧はこんなふうに決意する。〈まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く〉。アニメにはない小説ならではの心情描写の積み重ねが、ふたりが惹かれ合い、求め合った事実を証立てている。彗星が災害をもたらすことになる理由や入れ替わりにまつわるロジックも、小説では分厚くフォローされている。
本作において「大丈夫」は、クライマックスシーンで現れる。神秘に満ちたカタワレ時、彗星が空から落ちてくる場面で〈「大丈夫、まだ間に合う」俺は自分に言い聞かせるように、強く言う〉。瀧は「大丈夫」を口にすることで、これからの頑張り次第で大災害を回避できるか否かが決まる、三葉を励ましたのだ。〈大丈夫、まだ間に合う──誰かに強く言われたその言葉を、私は口の中で繰り返す〉。誰に言われた言葉なのかは忘れてしまっても、誰かが信念を込めて伝えてくれた「大丈夫」の感触は、ずっと心に残る。その「大丈夫」がもたらす結末を、ぜひ見届けてほしい。
文=吉田大助