明治5年の東京を舞台に、頭脳明晰な姫君と天才的な絵描き能力をもつ侍女が、バディとなって事件を解決!
公開日:2022/8/26
『姫君と侍女 明治東京なぞとき主従』(伊勢村朱音/KADOKAWA)、第7回角川文庫キャラクター小説大賞〈優秀賞〉と〈読者賞〉をダブル受賞した、新進気鋭の時代小説だ。
舞台は明治5年の東京。世の中がまだ、幕末という「内戦」の痛みを抱えながらも、新しい文明の風が吹き込んでいた時代。
旧大名である深水(ふかみ)家に奉公している15歳の佳代(かよ)は、裕福な商家の出身で、世情に疎いのんびり屋。彼女は、凛々しく冷静な雪姫(ゆきひめ)の侍女であり、絵を描くことが大好きなのだが、「奉公中は描いてはいけない」という父親の言いつけを守り、心苦しい日々を送っていた。
ある春、湯島聖堂で行われた博覧会にて、深水家が提供した「徳川家康愛鳥の鷹の掛け軸」が消える事件が勃発する。しかも、その日最後に会場を出たのが深水家だったため、深水家のものが盗んだのだと乱暴な決めつけをされてしまう。
当主は国元に帰っており不在。代わりに娘である雪姫がその事件を解決しないと、深水家は盗人の汚名を着せられてしまうことになると、家中は大騒ぎ。
そんな一大事に、頭の切れる雪姫が、毅然と立ち向かう。
さらには佳代の「見たものを正確に描ける」という類稀なる能力も一役買って、2人は「掛け軸紛失事件」の謎に迫っていく――が、犯人は案外あっさり分かってしまう。雪姫の頭脳明晰さと、佳代の絵描き能力が本当に必要とされるのは、実はそこからで……。
本作は時代小説でもあり、キャラクター小説――登場人物がユニークで魅力的で、読者が好感を持てるキャラが多く登場する小説――でもある。
佳代は、ごくごく普通の侍女だ。しかし絵を描くことへの「好き度」は普通ではない。美しい人、惹かれる構図などの、絶好の絵描きチャンスがあると、もう筆を執りたくて仕方がなくなる……いわゆる「オタク」なのである。しかしその「好き」が「なぞとき」において活躍するわけだから「能力のあるオタク」なのだ。
一方、雪姫は深窓のお姫様であるはずが、冷静沈着、頭脳明晰、眉目秀麗、博覧強記、武の心得もあるという、お姫様らしくないお姫様だ。
しかし彼女には「春馬(はるま)」という男性と何か因縁があるようで……。本作は「掛け軸紛失」や「青い鬼出現」といったミステリーを解決しながらも、「雪姫自身の謎」にも迫っていく。
性格も身分も正反対の2人がバディを組み、「この時代ならではの謎」を解決していく様子が、本作の魅力のひとつではないだろうか。
「この時代ならでは」は、謎だけではなく、登場人物の背景にあるものや、事件が起こる原因などにも活きている。
表紙の印象から「時代小説感はうっすいんでしょ」と思われる方もいるかもしれない。しかし本作は違う。この時代に生きた人々の息吹を感じられる。当時の人々の日常の暮らしや価値観などが、作品全体に織り込まれているからだ。だからこそ読み手は、明治5年という時代を生きているかのような気持ちで、ページを捲れるのだろう。
雪姫だけではなく、筆者の博覧強記ぶりにも驚く1作だと思う。
文=雨野裾