「本当の正義とはなにか、を常に考え続ける人たちを描きたい」――人気作家・新川帆立が『競争の番人』にかける思いとは《インタビュー》
公開日:2022/9/2
第19回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞したデビュー作『元彼の遺言状』(宝島社)が大ヒットを記録し、一躍人気作家となった新川帆立さん。同作は月9で実写ドラマ化もされ、話題を集めたことは記憶に新しい。しかし放送終了後、新川さんはさらに注目を集めた。なんと2クール連続で月9ドラマの原作者に起用されたのだ。これはまさに異例のことだった。
現在、月9で放送中のドラマ『競争の番人』(講談社)は、新川さんにとっての“勝負作”。一般にはあまり知られていない「公正取引委員会」を主役に、濃密な法律ミステリーに仕上げた。そして驚くことに、今年5月に発売された第1巻に続き、なんと8月には第2巻となる『競争の番人 内偵の王子』も発売されることに。快進撃を繰り出す新川さんに、「競争の番人」シリーズにかける思いをうかがった。
(取材・文=五十嵐 大 撮影=川口宗道)
すべての社会問題は連鎖している
――これまでその実態があまり知られていなかった「公正取引委員会」を主人公にしようと思った理由から教えてください。
新川帆立さん(以下、新川):もともと「女性向けの経済小説を書きたい」と思っていました。経済小説って男性の作家さんが書いていることが多くて、登場人物もほとんどが中高年男性、そしてメインとなる読者も男性という世界なんですよね。とはいえ、いまは女性だって働いていて経済を回しているのだし、そこでわたしが書くのであれば、「女性が読んで楽しめる経済小説にしたい」という思いがありました。ただ、やはりゴリゴリの経済小説だとどうしてもハードルが高くなってしまう。なので、経済寄りのお仕事小説にしてみようと思ったんです。
――そこで思いついたのが、公取委だったんですか?
新川:そうなんです。公取委を主人公に据えれば、さまざまな業界を舞台にできます。それに、現代社会に蔓延っているさまざまな問題も浮かび上がらせることができる、とも考えました。
たとえば学校でいじめが起きているとします。そのいじめっ子は、実は家庭内で虐待を受けている。いじめっ子を虐待する父親は、会社で上司からパワハラを受けている。上司は会社からきつい営業ノルマを課されている。と、こんな風に考えると、厳しい競争社会のなかで圧迫されている人たちが、そのストレスを自分より弱い人に向ける負の連鎖がある。社会問題というものはすべてつながっていて、その根底には公取委が見張っている「競争」があると思います。
――公取委を主人公にすることで、そういった社会問題も描けると考えられたんですね。
新川:ただし、そういった社会問題につながるからといって、競争自体が悪いものかというと、そうではない。競争はやはりあったほうが健全です。だったら、せめて正当なルールのもとでなされるべきだと思います。そうじゃないと敗れた側の気持ちの整理がつかないじゃないですか。それを踏まえると、公取委ってすごく大事な存在なんです。もともと法律家をしていた頃からそう思っていたので、今回、彼らを小説にできてうれしいですね。友人の友人に実際に勤めている人がいたので、お願いして取材もさせてもらいました。
――恥ずかしながら、新川さんの作品を読んで公取委について理解しました。公正な社会を保つために重要な存在なのに、あまり知られていないですよね。
新川:公取委を主人公にした小説やドラマって、日本にはほぼ存在しないんです。だからわたしが彼らを書くことで、当事者に嫌な思いをさせたらどうしよう……という不安はありました。でも、小説が出てこうしてドラマにもなって、公取委の方たちからは比較的好意的な感想をいただいています。
なかでもうれしかったのは、公取委で働いている男性が「子どもから『お父さん、格好いい仕事してるんだね』と褒められ、家庭内での地位が上がりました」と言ってくださったことです。わたしの作品が何かしらのお役に立ったみたいで、ホッとしました。
「強くてやさしいヒロイン」が好き
――『競争の番人』1巻で描かれるのは「ウェディング業界」のカルテルです。それが下請けいじめにつながり、やがては刑事事件にまで発展してしまう。新川さんが仰るように、すべての社会問題がつながっている構成でした。複雑なストーリーを書くのは大変だったのではないですか?
新川:わたし、「プロット作れない病」にかかっているので、綿密なプロットは立てていません。設定とキャラクターがあって、起こる事件も大体決めてはいるんですけど、あとはもう書きながら考えている感じです。
――よく破綻させずにまとめられますね!
新川:やはり自然な流れって大事だと思います。シーンごとにキャラクターがなにを感じ、どう動くのかは書いていくなかでわかる。それに沿って書きながらも、各章に盛り上がる見せ場を入れていくんです。ただ、設定とキャラクターをしっかり練り込んでいるからこそ、自然な動きをしてくれるんだと思います。
――キャラクターの話でいうと、バディを組むふたりがとにかく魅力的です。白熊さんの人物造形で意識したポイントはありますか?
新川:白熊さんは主人公なので、弱い立場の人に寄り添う「共感力」のある人にしようと思いました。そもそも、負けた人・敗れた人が自分よりもさらに弱い人をいじめるという構図を問題視した上で「競争」をテーマにしたのだから、負けた側の人たちの在り方にフォーカスしたかった。となると、主人公は負けた側に思いを馳せる人物にする必要があったんです。なので白熊さんは感情的なところがあったり、同情で動いちゃったりする人物にしていますね。
――たしかに、白熊さんは猪突猛進型ですよね。一方で小勝負くんは冷静沈着、白熊さんとは真逆なタイプです。
新川:公取委に取材をしたとき、どういう人を新規採用したいか尋ねてみました。すると、「競争という理念を信じている人」という大前提があって、その上で「冷静に執行官として対処しなきゃいけない部分と、他方で、きちんと事業者に寄り添って話を聞く部分が必要です」という答えで。その両方の役割って、相反するところがあるじゃないですか。なので、それぞれを体現するふたりのキャラクターを作ってみようと思いました。
「事業者に寄り添う」のが白熊さんだとしたら、「冷静に対処する」のが小勝負くん。このふたりが合わさると、公取委が求める理想の職員像になるんです。
――なるほど。ある種、矛盾するような理想像を、白熊さんと小勝負くんというバディに託したんですね。『倒産続きの彼女』(宝島社)では弁護士の玉子ちゃんと剣持麗子さんがバディを組んでいて、そのやり取りがとても面白かったことを思い出します。
新川:そう言っていただけて、うれしい! 『倒産続きの彼女』は今度文庫化される予定で、いままさにゲラ作業をしているんです。あらためて、バディの面白さを噛み締めているところでした。もちろん、主人公がひとりで戦うストーリーも好きです。使う脳は異なるけれど、どちらも書いていて楽しいですね。
――『元彼の遺言状』の麗子さん、『倒産続きの彼女』の玉子ちゃん、そして『競争の番人』の白熊さん。新川さんが描く女性主人公はタイプこそ違うものの、みんなタフで強いイメージがあります。
新川:わたしは同世代の女性をメインの読者さんと思っているので、やはり女性に楽しんでもらえるものが書きたいんです。そして個人的には「強くてやさしいヒロイン」が好き。なので、特に意識はしていないけれど、自然とそういう女性たちが主人公になりますね。
白熊と小勝負は、安易な恋愛関係にしたくない
――第2巻となる『競争の番人 内偵の王子』では、白熊さんが中央から地方に赴任し、そこで奮闘する様子が描かれます。
新川:1巻では、まず公取委について知ってもらう必要がありました。それをしっかり提示できたので、2巻では展開に大きな動きを見せようと思って。白熊さんを追い詰めるような悪い上司も出せましたし、地方に異動した白熊さんの目線から「都会と地方の差」も描けましたね。
――それだけではなく、2巻では人間関係がより複雑になっていきますよね。
新川:それも狙っているんです。小勝負くんの裏側も見えますし、複雑な立場の悪役も登場させています。1巻で描いた悪役はもう「仕上がっている」タイプだったのに対して、2巻に登場する悪役は「一歩踏み出しているけれど、まだ引き返せる段階」のタイプ。そういう複雑な人間を描くことが、2巻におけるわたしのチャレンジでした。
――白熊さんと小勝負くんの距離も縮まります。ただ、単純な恋愛関係に発展しないところが面白い。
新川:『競争の番人』シリーズの根底には、『男はつらいよ』の女版にしたいという思いがあるんです。白熊さんは仕事を頑張っている反面、恋愛がとにかく下手くそで、毎回いろんな人に振られてしまう。1巻では彼氏に振られ、2巻でもうまくいかない。
ただ、それを悲惨なこととしては描きたくない。女性が恋愛に失敗すると「残念」と思われがちだけど、「仕事を頑張っていて充実していれば、それで良くない?」と思うんです。『男はつらいよ』の寅さんだって、毎回女性に振られるけれど、「俺はこれでいいんだ」と胸を張っていて、格好いい男になっているじゃないですか。その女性版となる小説を書いてみたい。
――となると、小勝負くんの立ち位置は……?
新川:振られる寅さんのことを見守る、さくらのような役目です。毎回、誰かに振られる白熊さんに対して、「白熊さん、馬鹿だなぁ……」と言いつつ脇で見守るようなイメージ。とはいえ、そんなふたりもやがてはくっついて、恋愛関係になるかもしれません。ただ、それはあるとしても当分先の話です。白熊さんと小勝負くんが恋愛関係になるとすれば、オフィスラブじゃないですか。大人同士の恋愛だと、「ちょっと可愛いから」「格好いいから」なんて理由では恋に落ちるのはリアリティがない。仕事を通じてお互いの人間性を知り、信頼感を高め、それがベースとなってようやく意識しはじめる。それくらいがリアルですよね。だからいつかはふたりが恋愛関係になるかもしれない、と思いながら書いていますけど、でも単純に信頼できる仕事のパートナーとして終わってもいい、とも思っています。
――たしかに、無理やり恋愛関係にしなくてもいいわけですもんね。
新川:そうそう。最終的には仕事における最高のバディで終わるかもしれませんが、それでもいい。そもそも、物語でシングルのふたりが登場したときに、きちんとした展開をふまずに急にくっついたりすると冷めちゃうんです。
――そういえば、『倒産続きの彼女』でも、玉子ちゃんにいい感じの人が現れますが、最後には断っています。
新川:敢えてそうしているんです。というのも、冒険の末に恋愛対象を獲得するストーリーが苦手で。恋人の存在がまるでトロフィーのようになるじゃないですか。恋愛と冒険はまるで関係なかったのに、どうして……と冷めてしまう。だからわたしは、安易な恋愛展開は入れないように心がけています。キャラクターたちを恋愛関係にするならば、その過程を丁寧に描きたいんです。
流れた先にどんな景色が見えるのか、が楽しみ
――『競争の番人』のコピーにもなっている、「弱くても戦え」というメッセージは強く刺さりました。
新川:そのメッセージはとても厳しいものだとも思うんです。実際の事業者からすると、「安定した立場の公務員から、弱くても戦えなんて言われたくない」と感じるんじゃないかな、と。だから作中では、公取委の弱い部分もしっかり描いていて。警察などと比べると権力を持たない組織ですし、できることも限られている。それでも公取委が頑張っているところを見せることで、「わたしたち公取委も弱いけど頑張っています。なので事業者のみなさんも一緒に戦いましょう」というメッセージにつながるような構造を意識しているんです。
――強いか弱いかは見方によって変わりますよね。
新川:そうなんです。誰が強くて誰が弱いのか、本当のところはわからない。見方や立ち位置でも変わる。それも本作を読んで感じてもらいたいポイントです。
――それともうひとつ、『競争の番人』では“正義”の在り方について考えさせられます。正義というものを、新川さんはどのように捉えていますか?
新川:わたしは、「正義は人の数だけ存在する」という言説が嫌いです。それはただの思考停止でしかない。「本当の正義とはなにか」と、わたしたちはずっと考えていかなきゃいけないと思います。でも、考えるのが面倒だから「結局は人それぞれだよね」と片付けてしまう。
特に本作は、執行官の話なので、最終的には行政処分をくださなければならない。そのとき、「正義は人の数だけあるんだ」なんて言っていられない。正しいことは何なのかをきちんと考えたうえで決断する職責を担っている人たちです。正義とはなにか、という問いに答えは出ないかもしれません。でも、必ず答えは存在する。そういう前提に立って、思考停止せずに考え続けていく必要があると、わたしは思っています。
――答えはないけれど、考え続ける。白熊さんや小勝負くんのその立ち位置は、小説家である新川さんにも重なるような気がします。小説にも正解や答えはないですよね。
新川:だからこそ、常に考え続けています。わたし、小説とは「信仰の道」だと思っているんです。尊敬する作家の先輩方がいて、その人たちはわたしにとっての神さまで、そんな神さまたちを信仰する道を歩んでいるような感じです。より良い作品とはなにかを常に考え、探求していきたいと思っています。
――新川さんにとっての「より良い作品」とは?
新川:これは井上ひさしさんの言葉なんですが、「一番大事なことは、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ」。そういった小説がより良いものだと考えています。子どもが読んでもお年寄りが読んでもわかる書き方で、非常に深いものを書きたい。
――そうやって小説の道を歩んでいった先に、どんな目標を掲げていますか?
新川:実は、それがないんです。作家としての目標や展望が見えていなくて、ずっと悩んでいて。でも、今年の春に坂口健太郎さんと杏さんが対談される場にお邪魔して、やっと解決しました。その場でひとつだけ、「どうやって目標を立てていますか?」と質問をさせてもらったんです。お芝居にだって正解もゴールもないでしょうし、俳優さんがどのようにモチベーションを保っているのかを知れば、きっと参考になると思ったんですよ。すると坂口さんが「流されてみるのもいいものですよ」と仰って。たしかに、と思いました。ご依頼いただいたものを全力で打ち返していったら、なにかが見えるかもしれない。いまは一歩一歩頑張るしかなくて、そうやって流されていった結果、どこに辿り着くのかを楽しんでみようかな、と。なので作家としての目標は、という質問には、「流されてみるのもいいものだと思っています」と、坂口健太郎さまからの言葉を拝借して締めさせていただきます。