「吉原は造り物の世界。虚実を取り混ぜてお見せする、夢の世界」江戸幕府公認の遊郭・吉原の黎明を描く! 朝井まかて氏『落花狼藉』

文芸・カルチャー

更新日:2022/8/31

落花狼藉
落花狼藉』(朝井まかて/双葉社)

 吉原を舞台にした小説というと、遊女たちの悲しき恋の物語が連想されがちだが、朝井まかて氏の『落花狼藉』(双葉社)は、吉原創建の中心人物となった庄司甚右衛門の妻であり、傾城屋すなわち遊女屋の女将である花仍(かよ)の物語。

 女将とはいえ、歳は23。子どものころ、迷子とも捨子とも判然としない状態で城下町を一人さまよっていたところを、当時、遊女屋を兼ねた宿屋を営んでいた甚右衛門に拾われたのだが、顔立ちは人並みでも骨太で色黒の見た目はとても売り物にはならない。さらに口をきいたらむやみに勝ち気で、わめき暴れて悪態をついてばかり。大人になってからも「鬼花仍だけは勘弁してくれ」と泣いて拒絶されるほど嫁の貰い手がなく、周囲も手を焼いていたのだが、そんな彼女を再び拾うように娶ったのが甚右衛門だった。経験も貫禄もないから誰も女将さんとは呼んでくれず、かろうじて姐さんと呼ばれながら奮闘している彼女の視点で、吉原の成り立ちとそこに暮らす人々の姿が描かれていく。

 外道商い、という言葉がたびたび本作には登場する。お上の都合で転々と引っ越しばかりさせられていた遊女屋をひとところにまとめ、さらに徳川幕府公認を勝ちとることに成功した甚右衛門。それは傾城町の治安だけでなく、そこで働く人々を、とくに遊女たちの生を守るための行動だと知っている花仍は、自分もちゃんと勤めを果たせるようになりたいと願う。だけどそんな彼女に甚右衛門は言うのだ。「守るだなんて、軽々に口にするんじゃねえ。傾城屋は、女の躰で稼がせてもらってる畜生だ。それを忘れちゃならねえ」と。

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 畜生、つまりは人ならざる者による、道を外れた商い。そう自覚している甚右衛門は、己のしていることを、決して美化したりしない。吉原に生きる人たちのために、幕府と駆け引きし、できるすべてを尽くしながら、己を畜生と自称するのは、ときに本物の鬼となる覚悟がなければ、権力を持つ人たちの都合にふりまわされて、自分たちなど簡単につぶされてしまうと知っているからだ。だから彼は、規律を破った人々に、花仍が衝撃を受けるほど残酷な仕打ちをする。恨みも憎しみも一心に背負ってひとり立つ彼の姿に、花仍は己の抱く “情”の無力さを知る。確かに甚右衛門は、遊女たちを守っている。遊女たちを守れば、彼女たちを売った家族も、商いに関わる市井の人たちも、救われる。でも、救われない、守れないもののほうが、おそらく圧倒的に多いのだ。

〈矜(ほこり)で、おまんまが喰えるか。益体もない〉というセリフがあったけれど、おまんまだけがあっても、人はきっと、生きていけない。〈吉原は造り物の世界。虚実を取り混ぜてお見せする、夢の世界にござりますれば〉と花仍の言ったセリフは、彼女の矜だっただろう。理不尽な悲しみと怒りに満ちてはいるけれど、そのすべてを踏み越えて、虚実のあわいで爛漫と咲く、花のような遊女たち。そして彼女たちを支える人たちの生きざまに、胸が打たれる。

文=立花もも