背水の陣なんて、とっくに終わってる。僕は一度死んだようなもん──チャンス大城が語る、何度でも這い上がる生き方
更新日:2022/9/7
この人が出ていると、ついテレビに引き寄せられてしまう。チャンス大城さんと言えば、そんな強烈な存在感でお茶の間を魅了するお笑い芸人だ。規格外の発想と凄まじいエピソードトークを武器に、『水曜日のダウンタウン』『さんまのお笑い向上委員会』などの番組で爆笑をさらっている姿を目にした人も多いだろう。
そんなチャンス大城さんが、本名の「大城文章」名義で初の自伝的エッセイ『僕の心臓は右にある』(朝日新聞出版)を上梓した。兵庫県尼崎市で生まれ育ったチャンスさんは、中学・高校時代に壮絶ないじめを経験。お笑いの道に進んでからも、30年以上にわたって地下芸人として生きてきた。そんなチャンスさんに、つらい時期を乗り越えるための秘訣、心が折れた時の対処法について話を聞いた。
(取材・文=野本由起 撮影=松本祐亮)
人づきあいはいまだに難しい。「自分以外、師匠や」と思ってます
──『僕の心臓は右にある』には、中学・高校時代に経験したいじめについても書かれています。不良にゲーム機を横取りされたり、図書館の本を一晩で半分盗むよう命じられたり、凶悪グループの親玉に山に埋められたり、大変な思いをされてきました。そんな時、心の支えにしていたものはありますか?
チャンス大城さん(以下、大城):やっぱりお笑いですね。僕、中学に入ってから2年間、ずっと笑ってなかったんですよ。そんな時に、子どもの頃おかんにうめだ花月に連れていってもらったことを思い出して。間寛平さんを見て、衝撃を受けましてね。他にも、明石家さんまさん、ダウンタウンさん……。この何年かは好きな方々とどんどん仕事ができて、びっくりしまして。よく「チャンス大城って『さんまのお笑い向上委員会』と『水曜日のダウンタウン』しか出てねぇよな」って言われるんですけど、ほんと憧れの方とご一緒できてうれしいですね。
こないだも、吉本(興業)の中庭で次長課長の河本(準一)君とYouTubeを撮ってたんですよ。ボウリングの球を河本君が転がして、僕がおでこで受け止めるっていうのをやってたら、たまたま違う仕事で来た寛平さんが入ってきて、初対面だから僕は「わっ!」となって。「間寛平さんを見てこの世界に入ってきました」って言えてうれしかったです。で、河本君と間寛平さんは親友なんですね。「ボウリングの球をおでこで受け止めるやつ、俺にもやらせてくれ」って言うんです。やっぱすごいですね、あの方は。
だから、憧れの人は全員お会いできましたね。死にかけたこともいっぱいあったけど、運も相当強いと思います。ついてますね、僕は。
──いじめを受けていた時も、「お笑いでのし上がるしかない」と思い、当時の人気番組『4時ですよ~だ』の素人参加コーナーに出演します。やっぱりお笑いとの出会いが、人生の転機になったのでしょうか。
大城:でも、お笑いも成功しなくて。何も始まらなかったですね。NSC同期の千原ジュニアさんは「俺はお笑いの道を見つけた時に、世界が変わった。命を懸けた」って腹くくったそうですけど、僕は中途半端でしたね。悲劇のヒロインぶったこと書いてますけど、ふざけてたところはずっとありました。勉強もしなかったし、中途半端なまま40年間来てしまった。だから、「こうしたほうがいいよ」とか言えないんですよ。でもね、この本からなんか感じてもらえたら。
──一緒に山に埋められたワダさん、芸人仲間のインタレスティングたけしさんなど、つらい時もチャンスさんのそばには友達がいましたよね。人づきあいをするうえで、大切にしていることはありますか?
大城:人づきあいは、ほんといまだにわからへん。でもね、人を傷つけることはあんまりしたくないです。「我以外皆我師也」(われいがい、みなわがしなり)っていいますよね。「自分以外、師匠や」と思ってやってます。
──相手の立場によって、態度を変えることもありませんよね。本の中で、路上生活者の方と一緒にお酒を飲んでいるのも印象的でした。
大城:ああ、路上生活者のケンちゃんですね。なんか好きなんですよね。尼崎で育ったんで、普通にシンナー中毒者とか路上生活者、野良犬がいるのが当たり前の景色だったんで。西成でもずっとバイトしてましたしね。だから僕、いまだにベッドで寝れないんです。『明石家サンタ』(『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』)でもらったベッドも、まだ箱から出してないんですよ。家ではごはんも地べたに座って食べてます。なんか地面が落ち着く。やっぱ“路上魂”なんです。
──今いじめなどでつらい思いをしている方に、アドバイスはありますか?
大城:「こうしたらいい」っていうのは、いまだにわからなくて。いまだに人間関係も苦手ですし、嫌いなヤツにははっきりモノを言えないんです。だからインタレスティングたけしとかホットパンツしおりみたいな、100%ピュアなやつにしか心開けなくって。いまだに人を諭すようなことは、よくわかんないですね。すみません、47歳にもなって……。
気持ちが折れた時は、ヘビーメタルを聴き、近所の公園を踊りながら何周もしてます
──チャンスさんは、芸人になってからもなかなかテレビに出る機会がなかったそうです。それでも尼崎に帰らず、頑張れたのはなぜでしょう。
大城:大手コンプレックスというか、インディー魂があったからでしょうね。まぁ、不良ですよね。宗教のネタとか下ネタみたいに、テレビで言えないことを言って「おもろいだろ、俺ら」ってやってると固定ファンがつくんですよ。「テレビの笑いより、お前ら見てるほうがおもろい」って応援してくれるんです。その人たちに支えられたとこはありますね。
ただ、別にメジャーな笑いを馬鹿にしてるとかじゃないですよ? テレビにはルールがあって、それもすごい素晴らしいことだと思いますし、どっちも面白いと思ってます。
──気持ちが折れそうになることはありませんでしたか?
大城:いや、いまだにしょっちゅう折れてますよ(笑)。「収録で何もおもろいこと浮かばんかった」なんて、ほんとしょっちゅうです。
──そういう時は、どうやって立ち直るのでしょう。
大城:ヘビーメタルを聴き、近所のでっかい公園を踊りながら何周もする(笑)。そうすると、また力が湧いてくるんですよ。音楽はほんと救ってくれますね。あとは映画も。そうやって感動する映画にも、いつか出たいですね。こんなルックスで言うのもなんですけど。
──大変なことはあっても、地べたを這いつくばっても、前を向いて生きていますよね。この本もそうですが、そういったチャンスさんの姿勢に励まされる人も多いと思います。
大城:背水の陣なんて、もう25年前に終わってるんでね。ギリギリ崖っぷちなんてもんじゃない。25年前に崖から落ちてたと思うんですよ。だから1回死んだようなもんなんで。
──芸人になってよかったなって思う時は?
大城:気づいてもらえるんが、ちょっとうれしいですね。中学生が「握手してください」とか「一緒に写真撮ってください」とか、これまでなかったんでね。こないだなんてパトカーから60歳くらいの警察官に「チャンスー!」って呼ばれて。「テレビで見てるぞ」言うんで、ドッキリかと思いましたけど、ちゃうかったですね。マクドナルドの店員さんも「2番のカードを持ってお席にお座りください」って言ったあと、こそっと「いつも見てますよ」って。
でも、顔に気づいてもらえるまで、33年間かかりましたからね。ニュース観てたら、ある殺人犯に懲役18年の判決が出たっていうんです。この殺人犯が刑務所から出てくるより、僕が売れるまでの時間のほうが長いんやなと思って。18年経って出所した人に、「おい、チャンス大城。お前、まだ売れてなかったんか」って言われるわけですよ。それは問題でしょう(笑)。
──街なかで気づかれるようになり、今が芸人人生で一番楽しいのでは?
大城:楽しいっていうより、頑張らなあかんなっていうほうが大きいですね。踏ん張りどころやなって。うん、まだまだ頑張らなと思いますね。