書斎に入って来た蜂/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑫

文芸・カルチャー

公開日:2022/9/10

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 エアコンをつけるほどの暑さでもないので、窓を開けて九月の風を感じながら文章を書いてみようと書斎の窓を開けてみたのだが、なにやら蜂らしき虫が入ってきた。

 虫が入って来ないように網戸をスライドさせようと手を掛けた瞬間だったので、その虫が描く無邪気な軌道を鮮明に覚えている。

 蜂らしき虫、と敢えて正体を断定しなかったのは、蜂ではありませんようにという虚しい願いを込めてのことだった。

 書斎に蜂が入って来ることほどやる気が削がれることはない。書き物に集中すればするほど蜂に刺されるリスクが高まってしまう。だが蜂に刺されないように書斎の空気の流れや蜂の羽音に気を配っていると、いつまでも作業に没頭できない。

「先日、コンビニで飲み物でも買おうと思い、蜂を……」

 違うわ。「蜂を」じゃなくて、「珈琲を」や。

「先日、コンビニで飲み物でも買おうと思い、珈琲を蜂に……」

 違うわ。「蜂に」じゃなくて、「カゴに」や。

「先日、コンビニで飲み物でも買おうと思い、珈琲をカゴに入れて蜂に……」

 違うわ。「カゴに入れて蜂に」じゃなくて、「カゴに入れてレジに」や。

 あかん。蜂に気を取られ過ぎて、蜂が蜂と蜂に蜂換わってしまう。

 全然、違うわ。「蜂が蜂と蜂に蜂換わってしまう」じゃなくて、「単語が自然と蜂に置き換わってしまう」や。「蜂換わる」って、なんやねん。

 というような取り返しのつかない混乱状態に陥ってしまうのである。

 だが、まだその正体が蜂であると確定したわけではない。部屋の奥へと飛んで行ったその生きものの姿を冷静になって確認すると、残念なことにそれは紛れもなく蜂だった。

 どうするべきだろうか?

 今、網戸を閉めてしまうと蜂が書斎に残ってしまう。だが網戸を開けたままにしていると、二匹目の蜂が書斎に飛び込んで来るかもしれず、私は網戸に片手を掛けたまま蜂の行方を目で追うことしかできなかった。

 だが、そこで止まっていても事態が解決に向かうことは無い。せめて頭だけでも動かさなければならない。

 網戸と窓を開けた状態のまま部屋の電気を消せば、部屋よりも外の方が明るくなる。虫は明るいところを好むので勝手に出て行ってくれるはずだ。しかし、本当にそうだろうか?

 それは夜に限定されたもっと小さな虫の話ではなかったか。ハエのように蜂も同じ習性があるのだろうか。それに日中の書斎は日当たりがよく電気を消したくらいでは暗くならない。そんなに敏感に少しでも明るい場所を目指すほど蜂は光に餓えているだろうか。どのように対応すればいいのかますます分からなくなる。

 蜂を雑誌や新聞などで倒すという選択肢は無い。反撃されるのが怖いというよりも、書斎の中で生きものが息絶えてしまうことは避けたい。元気なまま外に旅立って欲しい。ここには新鮮な蜜などない。不安と焦燥が沈殿しただけの哀しい空間だ。長居すると体に悪い。

 窓は開けたままにしておくべきだろう。二匹目の蜂が入って来るかもしれないというネガティブな思考から脱却しよう。この状況を前向きに捉えなおさなくてはならない。友達が遊びに来てくれたと考えればいいのではないか?

 いや、仕事中に勝手に遊びに来てしまう友達ならば高い確率で嫌いになるだろう。誰なら許せるだろうか。孫か。私には孫がいない。だが孫だったことはある。祖父母は私に優しかった。噂で聞く孫というのは目に入れても痛くないらしい。ここは蜂を孫として扱ってみよう。目に入れても痛くない孫にならば針で刺されても痛くないだろう。

「おう、よく来たね。玄関からではなく、窓から入って来るなんていかにも孫らしいじゃないか」

 やめよう。さすがに無理がある。「おう、よく来たね」からして、もう嘘の言葉でしかない。感情が伴わない文章は書いていても楽しくない。強引に自分と違う考え方を試みても上手くいきそうにない。自分にあった方法でこの状況を受け入れてみよう。

 もっと最悪な状況だってあり得たはずだ。

 蜂で良かった。そうだ、蜂で良かったのだ。

 窓からゴリラが入って来ていたら、おそらくこの文章を書くことはできなかっただろう。闖入者がゴリラだった場合、仮にタイミングよく網戸を閉めることが成功していたとしても、自分で網戸を開けて入って来ていただろう。霊長目ヒト科ゴリラ属ならそれくらいのことはできてしまう。

 ゴリラなら、「涼もうと思って入って来たのに、この部屋も暑いな」と考えエアコンのリモコンを勝手に触るかもしれない。

 ゴリラなら、勝手に引き出しを開けてペヤングを取り出し、お湯を沸かして、丁寧に湯切りまでして、それを食べたかもしれない。

 私は動揺するだろうけれど、落ち着かなければならない。ゴリラは怖そうに見えるが実は繊細で温厚な性格らしい。胸を両手で叩くあの動作も相手を威嚇しているわけではなく、自分の居場所を知らせて互いに距離を取ろうと促す合図だと考える研究者もいるらしい。

 ということは仮にゴリラが胸を叩きだした場合、私はゴリラから離れるために部屋を出なければならない。だが一旦部屋を出てしまうと、いつ戻ればいいのかが難しくなる。

「まだいるのかな?」とドアに耳を近づけて中の様子を窺う。大丈夫そうだなと確認して書斎に入ってみると、ゴリラが眠っているかもしれない。

 私はゴリラを起こさないように、ゴリラが食べ終えたペヤングの容器を水で簡単に洗い、プラスチック専用のゴミ箱に捨てる。すべて夢だったのではないかと、キッチンから書斎を振り返ると大きな黒い物体がエアコンをつけたまま眠っている。

 ゴリラはいつまでいるのだろう。風邪をひいてはいけないから、毛布を掛けてあげなければならない。起こしてしまうと機嫌が悪くなるかもしれないので慎重に毛布を掛ける。エアコンの設定を、「しずか」に変更して部屋の電気を消す。書斎のドアには、「ゴリラが眠っているので刺激を与えないでください」と貼り紙をしておこう。

 そんなゴリラと比べると蜂なんて全然問題ない。おもてなしこそできないが、ゆっくり休んで貰おう、と気持ちを切り替えてこの文章を書いた。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は10月の満月の日、10日の公開予定です>

又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設