小説『はじめての』とYOASOBIの楽曲が内包する革新性――仕掛け人たちが見据える、エンタメの理想像
更新日:2022/10/4
小説『はじめての』という画期的な試みは、2020年に新たな出版社・水鈴社を立ち上げた篠原一朗氏と、YOASOBIの生みの親とも言えるソニーミュージック・エンタテインメントの屋代陽平氏と山本秀哉氏が業界と会社の枠組みを超えて企画し、4人の直木賞受賞作家とYOASOBIが集うことで生まれた。この座談会は、篠原氏と、YOASOBIのプロモーションやSNS運用を担う屋代氏、同じくプロモーションに加えて音楽制作面を担う山本氏に語り合ってもらったもので、「『はじめての』というプロジェクトが目指すもの」と「YOASOBIが今、向き合っているもの」というテーマが浮き彫りになるテキストとなった。3人が意志を重ね合わせ、ひとつのプロジェクトを編んでいくその背景からは、これからのエンターテインメントが向かっていくべき、ひとつの理想像が見えてくるのではないか。篠原氏、屋代氏、山本氏それぞれと親交があり、互いの仕事を熟知しているROCKIN’ON JAPAN・小栁大輔氏による司会のもと、『はじめての』の革新性について語り合ってもらった。
写真=北島明(SPUTNIK)
UGCを形にしていくおもしろさと可能性はまだまだあると思っているけど、小説の本流の方々とご一緒するおもしろさも、そこでしか切り開けないものは絶対ある(屋代)
小栁:まず、『はじめての』という今回の企画について、スタートの概要からいきたいんですけども、担当編集の篠原さんからの発案なんですか?
篠原:僕がちょうど水鈴社の立ち上げの頃だったと思います。“夜に駆ける”が話題の、YOASOBIという「小説を音楽にする」ユニットの存在を知って、すごく素敵だなと思ったのと同時に、そこに自分が関わっていないのが悔しくて(笑)。で、旧知のSMEの方を通じて屋代さんとランチをさせてもらった時に、日本のトップ作家とコラボレーションするという構想をお話しさせてもらったら、屋代さんも「YOASOBIもそういうことを考えてたんです」と言ってくださって。そこで、「じゃあ、一緒にやらせていただけませんか」という話をさせていただいた、というのが僕目線です。
屋代:2020年くらいですね。タイミング的には“ハルジオン”を出して、“たぶん”を控えていたときで。「monogatary.com」から2曲出しました、タイアップで“ハルジオン”を書き下ろしました、という段階で、ここから1ステップも2ステップも上げていけそうな実感もありましたし、より注目されるなかで、企画としてのおもしろさを伝えていきたいねという話は、僕らのなかでもずっとしていて。
小栁:まさに注目度という意味において言うなら、今回は直木賞作家が4人集っているという。YOASOBIのクリエイティブにおいて、新作自体が大きな話題になるような作家とのコラボレーションに踏み込んでいく、そのステージで戦っていくという、そういう考え方はあったんですね。
屋代:ありました。ただそれは、ステップを上がっていくという意味だけではなくて、ひとつの選択肢、バリエーションの見せ方という認識なんです。もちろん、UGC(ユーザーによって生成されるコンテンツ)を形にしていくおもしろさと可能性はまだまだあると思っているけど、一方で、小説の本流の方々とご一緒するおもしろさも、そこでしか切り開けないものは絶対あるだろうと。その両軸の中で、どうベストな形でやるかというのが今回です。
篠原:コラボレーションは「トップ同士でやるからこそ意味がある」ということは、昔から思っていました。ミュージックシーンに彗星のごとく現れたYOASOBIという才能と、日本を代表するようなトップ作家がコラボレーションしたら、小説の扉、小説への入り口がさらに開くんじゃないかという魂胆もあって。YOASOBIをきっかけにして、小説っておもしろいんだと多くの人が気づいてくれて、そこからまた「じゃあ、この人たちの既刊を読んでみよう」ってなっていってくれたらという。それはみんなにとってウィンウィンだなという気持ちはありました。
YOASOBIはそれぞれの曲に関して目標があって、今まで届いていない人に届けば合格であって、それこそがゴールなんだという形で完結する(山本)
小栁:YOASOBIのポップ性も最大限に借りながら、裾野を広げていくという。ちょっと踏み込んだ聞き方になりますが、実際今、小説を取り巻く環境というのは、どうなっているんですか? 『はじめての』は、若い読者も相当読んでるイメージがありますけども。
篠原:一般的に、アンソロジー(異なる作者による作品集)は売りにくいと言われてるんですけど、実際厳しいです。だから、この作品がアンソロジーであることを考えると、大ヒットと言っていいんだとは思うんですけど、この作品のポテンシャルはこんなものはないと思っています。まだまだ読者を増やしていきたいですね。
小栁:インタビューをさせてもらうと、Ayaseくんも悩んでるんだなあと。やっぱり4作、これだけの作品を書いてもらったわけで、「YOASOBIとしては、もっと曲を当てなきゃ!」みたいな(笑)。
山本:(笑)結果が出る出ないについては、自分の周りにいるアーティストと比べると、負けてられないなってなるみたいですね。彼は目の前のことを見ていてくれればいいし、そうさせてあげたいと思うので、僕らが長い目で見ながら進んでいければいいかなと思ってるんですけど。
小栁:でもやはり大変なんだなと。これまでも小説を音楽にするというクリエイティブに取り組んできたけども、宮部みゆきさんの新作を音楽にするというプレッシャーたるや。
山本:名のある作家の方々が、わざわざYOASOBIの企画に対して返してくださっている。しかもそれが素晴らしかったという。その中で、自分も応えなきゃというプレッシャーはあると思いますけどね。
篠原:そのプレッシャーは、作家側にもあると思いますよ。皆さん、YOASOBIというアーティストにきちんと敬意を払われているので。そして、今回は連載ではなく一度に書いて頂いたので、最後までそれぞれの原稿を読んでいただかなかったんです。結果として、4人の著者の方々が、直球で挑んでくださいました。
小栁:ああ、なるほど。たしかに!
篠原:こういう企画って、変化球的な発想になりがちだと思うんです。でも今回は、それぞれの著者が、ご自身の勝負球を投げてくださったように思います。
小栁:「はじめての」という題材は篠原さんからの注文じゃないんですか?
篠原:最初に打ち合わせをしたのが島本さんだったのですが、そこで「はじめて人を好きになった時に読む物語」というアイデアが出てきて。そこからYOASOBIチームにも相談して、それでいきましょうってなったんです。そういう流れですね。
小栁:『はじめての』というアイデアありきではなかったんですね。
篠原:そして、みなさん、このコラボレーションをすごく楽しんでくださったように思います。第一線で活躍されているほど、柔軟なのだなと思わされました。
小栁:YOASOBIというアーティストが持っているパワーがそれだけ強かったんでしょうね。
屋代:小説を音楽にするプロジェクトということでやってきましたけど、そういう受け取られ方がしてもらえるようになってきたのは徐々になんですよね。UGCの投稿サイト出身ということもあり、小説を本流にしてきた方から見たときに、どう見えるのかは、怖い部分もあったんですけど。でも今回は、4名の方が、おもしろいと受け取ってくださった。小説というものに対して、自分たちだけでは作れない切り口をYOASOBIが作ってくれると期待してくれていると。その期待を託してくださったのもすごく嬉しかったですね。
プレッシャーの話でいうと、Ayaseの作る曲が一定のクオリティだったときに、そこから先の全体的な評価って、小説がおもしろかったかどうかがすごく大事になってくるんです。そういう意味でも今回は、間違いないものを書いてくださったし、自信を持っていろんな人にお薦めしやすい、すごい武器をいただいたんだなと。
小栁:なるほど。YOASOBIと作家側が、ああでもないこうでもないとやり取りを重ねたわけではないのが素晴らしくて。作品同士を通した認め合いだけがあったんだなと。理想的なコラボレーションと言っていいですよね。
屋代:もともとYOASOBIの曲の作り方として、原作者の方たちと直接Ayaseとikuraが話すというプロセスは経ないんです。お互いがプロの仕事をすればいいよねっていうのは、最初から決めていた感覚でもあって。とはいえ、僕らの意識としては「本を売ろうぜ」っていうことで、チーム一丸となっていて。本が売れれば音楽は絶対に売れるし、音楽を売ることで本が絶対に売れていくのは間違いないと思ってたから。なので、まずは本を広めるということにフォーカスを絞って、ここまで来てる感じはあります。
篠原:SMEの方々は一貫して一緒に本を盛り上げていきましょうという目線でいてくださったので、すごくありがたかったし、家族感すら感じました(笑)。
山本:YOASOBIはそこを目指してますね。それぞれの曲に関して目標があって。それが端的に「売れる・売れない」という目標ではなかったとするなら、今まで届いていない人に届けば合格であって、それこそがゴールなんだという形で完結する。その結果、売れたということになれば、それはとても幸せなことで。“ミスター”もそうだし、いろいろな企画もそうですけど、そこはブレずに来てはいますね。
クリエイター同士が話しているところを見ていると、表現や創作をするのに、キャリアや年齢は全然関係ないんだなと感じる(篠原)
小栁:全然違う角度で話したいんですけども、作家さんは小説を書くわけじゃないですか。今回は島本理生さんの小説が“ミスター”という曲になったわけですよね。そうすると、歌詞は当然読まれますよね。
篠原:はい。
小栁:そこで、「イメージと少し違うんだけどな」みたいなことは起こらないんですか?
篠原:それはなかったですね。普通、あらすじをなぞる内容や、物語にある要素を抜粋しながら作ると思うんですけど、今回は、そこから逸脱している部分もあったんです。物語にない描写が入っていたりもする。でもあの原作小説の世界がちゃんとある。Ayaseさん本人は、100回以上原作を読んだそうで、「小説家、書き手の次にその作品の理解者という自負がある」と話していましたが、それが体現されてるすごさがありますね。
小栁:うん、そこだと思うんですよ、重要なのは。
篠原:素晴らしい楽曲を聴かせていただいて。それを「才能」という一言で片づけるのは簡単だけど、莫大な時間と労力がかかっていることもわかりますから頭が下がります。クリエイター同士が話しているところを見ていると、表現や創作をするのに、キャリアや年齢は全然関係ないんだなと感じさせられて、お互いにお互いの創作に対してリスペクトがあるのがわかりました。そんなことを感じられたのも、編集者として幸せなことでした。
小栁:Ayaseくんは才能のある作曲家だけども、でもこの小説のどこをどう凝縮させたらエッセンスを失わずに、ポイントを絞った形で音楽に変えることができるのかっていう取捨選択の目があるかどうか、っていうのはまた別問題だと思うんですよね。彼の場合、その目を持っているのがすごいなあと。
山本:いや、日々、詞は大変ですねえ。切り取る場所もそうだし、言葉選びひとつでニュアンスが変わってしまうので。難しいですね。Ayaseは一番悩んでいるんじゃないかな。メロディより、アレンジより悩んでいるかもしれないですね。
篠原:そうですよね。だから、「小説を音楽にする」という高いハードルを超えて作られた楽曲が、今ではこれだけ広がっているというのが本当にすごい。
屋代:ただ、実際には、必要に迫られて始めたという部分もあって。小説投稿サイトをやっていたという前提が、もう要件としてある。その範囲だったらある程度、プロジェクトにお金をかけることができる。そこで、音楽に絡めていきたいとしたら、小説を音楽にするしかなかったんですよね。そこから、「小説を音楽にしてるんだ。おもしろい」って言ってくださる人が増えて、僕らはどちらかというとそこに乗っかってブランディングをしてきたという順序なんですよね。これも偶然というか(笑)、その成り行きに対して僕らが、「ここがもしかしたら、唯一無二の、僕らの推しポイントなのかも」と気づけたのがよかったというか。
山本:僕らが思っている以上に、「あっ、小説読んでまたMV見ると全然違っておもしろい」とか、音楽を聴いて小説を読んで、また音楽を聴いて、と行き来するのは、今までにない体験だなという声がたくさんあって。じゃあ、そこはワンセットにしていけば、それこそ他の人にはできないセットが作れるんじゃないかと。
篠原:少し悔しいのは、どうしても曲が先行してしまっていて、まだYOASOBIが「小説を音楽にする」ユニットであることを知らない人がけっこういるということです。
屋代:知らなくても仕方ないかな、と思うこともありますね。ただ、「ここに絶対におもしろいものが形としてあるよ」とは常に言っていきたいです。そのための一番の武器を今回は篠原さんにいただいてるので、ここで切り開けなかったらそれは僕らの責任だと思って(笑)。それこそTVCMまで打ったりということも、そういう狙いでやってます。めちゃくちゃ声高に言おうっていう。
山本:そこまで知られてないからこそ、強固にそのコンセプトを守ると、知っちゃった人が「ヤベッ、知っちゃった」ってなるんですね(笑)。で、「実は知ってる?」みたいになる。だから、そこはやっぱり守る。その作業は大事。
普遍的な物語を素晴らしい音楽と素晴らしい歌声だけを通して届けたというのが、YOASOBIのエンタメ革命(小栁)
小栁:ちょっと自分の立場から、音楽評論的なことを言ってしまうんですが(笑)、小説を音楽にするっていうのは、キャッチコピーとしてすごく優秀だし、実際YOASOBIは小説を音楽にしてるんだけども、実は、現代のポップ・ミュージックの在り方において、実は極めて重要な観点だったんだなと。どういうことかというと、小説というのはAyaseくんが書いたものでもなければikuraちゃんが書いたものでもないわけですよね。第三者的なる誰かが書いたものですよね。で、それを音楽にすると、必然的にYOASOBIの音楽は、どこか非・一人称的なものになる。要するに歌い手自身のメッセージでもない、作り手のメッセージでもないものが生まれる。ざっくり言うなら、ただ「いい音楽」として広がっていく。そこに余計な自意識が介在しない形で、澄んだ状態で、この圧倒的なクオリティだけが届いた。これがYOASOBIのすごさなんだろうなと。メッセージによる説得も素晴らしい表現を生むけれども、そのファクターを濾過したうえで、普遍的な物語を素晴らしい音楽と素晴らしい歌声だけを通して届けたというのが、YOASOBIのエンタメ革命なんだと思うんですよ。
山本:そうなのかもしれない。たとえば小説や原作という意味での答えはあるんですけど、それとは違う形でとらえてくれる人もいて。“ハルカ”っていう曲があって、卒業の歌ではないのに、卒業のタイミングでみんな歌ってくれたりしていて。それはきっと、歌詞を見て、歌おうと思ってくださったんだと思うんです。たとえば、いきものがかりとかもそうですけど、歌ってくれるボーカリストがいるから、広い視点で書けると。それが多くの人の共感を得る作り方になっていたりもして、それに近いなあという印象は確かにあって。だからこそ、ikuraが幾田りらとして書いた曲とか、AyaseがAyaseとして書く曲のメッセージ性を、逆におもしろがってくれるという場合もあるので、そこのバランスは確かに上手く取れてたんだなと。結果的に、ですが。
小栁:革命だったと思いますよ。音楽表現における自意識革命。
山本:どのアーティストも多かれ少なかれ、自分の経験や体験をすり減らしながら書いていくことになるし、人によってはもう空っぽです、みたいな状態になってしまうこともありますけど、YOASOBIの場合、ストーリーはこれからも絶えず供給されていくんですよね。クオリティの高いものが供給されれば、それに対して書いていく。だから、無限にやれるといえば、やれる。もちろんね、それを曲にするのは大変な作業ですけど。強固な根本を作ることに対しての労力は割いていない、ということがいいのかなと思いますね。
小栁:だから小説を音楽にするっていうコンセプトは絶対崩しちゃいけないんですよね(笑)。
屋代:各所で言ってください、「あの人たち小説を音楽にしてるらしいよ」って(笑)。
山本:「実はしてるらしいですよ」。
小栁:曲がガーッと前に行ったからね。ただ、本当にコンセプトの通りだけども、YOASOBIは小説を音楽にしたから広がっていったんだと思う。
山本:そのコンセプト自体も、年齢層が高い人も含めて、おもしろがってくれたんですよね。“夜に駆ける”だけが存在していたら、若者が聴くものというだけで終わったかもしれないですけど。出版社で興味を持ってくれた人も巻き込んで、ここまで広がってこれたのかなっていう印象はあります。確かにそこはデカいですね。
小栁:大事ですよね。体臭がない、というかね。作り手の体臭がデオドラントされている。だからこそ、大衆の心のなか、あるいは大衆の快感のなかにすっと入っていける。そういう時代だったというかね。これはけっこう大事だと思うんですよね。
篠原:執筆陣は全員が直木作家なんですが、直木賞って、大衆小説に冠を与える賞なんですよね。、だから「大衆」っていう言葉はすごくしっくりきます。YOASOBIをきっかけに、小説のおもしろさを知ってくださった読者は多いと思うんですが、逆もないといけないと思っていて。きちんと小説の世界を盛り上げていかなければと、編集者として考えています。
小栁:そうですよね。小説もどこかでまた、巨大な革命が起こるような気がしますけどね。そして、YOASOBIのこれからの次の曲も楽しみですね。
山本:いい曲になると思いますよ、たぶん。
篠原:他人事感すごかったですね、今(笑)。
山本:いや、ある意味で、他人事でいないといけないなと思ってもいて。気持ちが入りすぎてしまわないように。
篠原:山本さんは音楽制作、屋代さんは作戦立案やプロモーションを担当していて、役割が明確に分かれていますが、屋代さんが作品に対して、「もっとこういう曲を作ってほしい」と言ったり、山本さんが「こういう戦略でいこう」といったりすることもあるんですか?
屋代:全然ありますよ。そもそもプロモーションに関しては僕だけが考えてるわけではなくて、都度みんなでしゃべりながらやってますね。逆に言うと、僕が作品のことに対しては言わないっていうだけの話かもしれません。言うとしたらそれはまったく別軸で、「このメロディ、なんかの曲に似てない?」みたいなことですね。いろんな人がいろんなことを言ってもそれはそれでまたブレてしまうでしょうし。
山本:僕はほんとに好き勝手に馬鹿みたいなことを言って、彼がまとめるっていう(笑)。
屋代:そこの役割はあるかもしれません。
篠原:そんなふたりが同期っていうのがいいですよね。
小栁:それが最高ですよね。これからもYOASOBIの革命に期待してますし、これからの『はじめての』楽曲も楽しみにしてます。