人がきれいさっぱり死ねない時代に、少しでも美しくこの世を去るには? おひとり様の「死に方探し」の旅
公開日:2022/10/3
人がきれいさっぱり死ぬのは、意外と難しい。ひとり暮らしで突然死したら、誰が見つけてくれるのか。葬儀はどうなる? どの墓に入る? 遺品整理は誰がしてくれる?──そう、現代は死をめぐるアレコレが面倒くさい時代。ならば、できる限り生前にカタをつけておこうじゃないか。少しでも悔いなく、美しいフィニッシュを迎えるために。
と、そんな「死に方探し」の旅をつづったのが、門賀美央子さんのエッセイ『死に方がわからない』(双葉社)。そう聞くと「老人向けの終活本?」と思うかもしれないが、さにあらず。そもそも門賀さんは、現役バリバリのアラフィフ。「人生100年時代」で言うと、折り返し地点を迎えたばかりである。独身で兄弟姉妹はいないため、本人いわく「ボッチ不可避」ではあるが、ボッチだろうが家族がいようが、誰しも社会的に孤立する可能性はある。どれだけ親族が多かろうとも、果たして死後まで面倒を見てもらえるのか。だからこそ、早めに「死に方」を考えておくことが重要だと門賀さんは説いている。
死に方を探るうえで、まず門賀さんが思い浮かべたのは自分が一番嫌な死の状況。それを避けるためには何をすべきか、きわめて実践的な対処法が語られていく。
門賀さんが一番避けたいのは、亡くなったあと誰にも気づかれないまま腐乱死体になること。これには賛同する人も多いだろう。ひとりで死ぬのは致し方ないが、できれば早めに気づいてほしい。というか、誰かひとりくらいは自分のことを気にかけていてほしい。多くの人が恐れるのは、誰にも看取られずにひとりで死んでいく「孤独死」ではなく、社会と無縁状態になる「孤立死」なのだ。
孤立死を避けるためには、異変があったらすぐ気づいてもらえるよう社会とのつながりをもつしかない。そう思い至った門賀さんは、友人とLINEを送り合ったり、NPO法人の見守りサービスを利用したり、さらにはポストがいっぱいになったら異変を察してもらえるよう新聞を取ってみたりと、算段を整えていく。私的・公的つながり、デジタル・アナログサービスを併用し、セーフティネットを張り巡らせる慎重さが頼もしく、ぜひ自分も真似したいと思うはずだ。
また、死に際のトラブルを避けるためには、意思決定も重要だと痛感させられる。延命処置は必要か、死後は臓器提供するのか、どの墓に入るのか、財産や遺品はどう処理するのか。次々に直面する「え、これってどうすればいいの?」という案件の多さに、慄く人も多いだろう。ことほどさように、人の死に際は面倒くさい。それは、ボッチであろうと家族がいようとみな同じ。結局、死ぬ時はひとりなのだから。
そんな「死」をめぐるエッセイではあるが、けしてウェットではなく重苦しくもない。時に昭和全開の笑いを交えつつ、どこまでも軽やかに「死に方」に向き合っている。「きれいに死ぬにはコレが必要。それならこういう手を打っておこう」とテキパキ死に支度を整えていく手際の良さに惚れ惚れするとともに、のほほんと構えている自分の愚鈍さにドキッとさせられる。
この先、少子高齢化が進めば、ますます死に方は難しくなっていくだろう。「孤立死」は誰にとっても他人事ではない。「あとは野となれ山となれ」では、遺された人たちが困ってしまう。だからこそ、本書を読んで心の準備はもちろん、事務的な手続きも整えておきたい。門賀姐さんがあなたの尻を、時に優しく、時にビシッと叩いてくれるはずだ。
文=野本由起