思いや意図が伝わる1行が書かれているか? 企画書から始まるノンフィクションドラマ

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更新日:2022/10/3

企画書は1行
企画書は1行』(野地秩嘉/光文社)

 思いは人を動かす。書籍『企画書は1行』(野地秩嘉/光文社)を読むと、そう気付かされる。本書は、タイトルこそ企画書の“ハウツー本”のようではあるが、実際は、企画書により世の中の様々なプロジェクトが動き出すまでの過程を追った“ノンフィクション”である。「企画書は1行」の意味は、わずか1行で完結するということではない。著者は「実現に結びつく企画書を見ると、どれもひとつの共通点を持っている。それは企画の意図が一行もしくはひとつの言葉で伝わること」だと述べる。

30歳での転機「オレは一生、屋台を引くのはイヤだ」

 大手企業から個人まで、実際に企画書が人の心を動かした実例を18篇収録した本書。なかでも、身近に想像しやすい事例を取り上げた1篇、【東京・恵比寿「たこ」店主 柳瀬俊之「一生、屋台を引くことはできない」】は、強く心に残った。

 銀座の屋台でたこ焼きを売り歩いていた店主が「恵比寿界隈で名だたる繁盛店」の経営者として成功するまでの背景を追った話だ。なお、内容は2006年6月に本書が出版された当時にもとづく。

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 店主の柳瀬氏は、1960年に山口県宇部市で生まれた。高校卒業後は大阪に住み「ゲイバーやスナックのボーイ、高級クラブのバーテンダーなどの仕事」を渡り歩き、20歳で上京した後は、銀座も有数のクラブでボーイとして働いていた。

 その後、25歳で独立。しかし、店舗を借りられる「貯金」がなかった柳瀬氏は、40万円で買った屋台でたこ焼き屋を開業した。当時の銀座は「五〇メートルおきに、たくさんの屋台がありました」と振り返る柳瀬氏。当初は「夜の六時から午前一時までで、売り上げは二万円くらい」だったが、日本がバブル期へさしかかると、客からは「チップ」が飛び交うようになり、売り上げ以上の稼ぎを手に入れられるようになった。

 ところが、30歳で転機が訪れる。冬の厳しい寒さにもさらされる立ちっ放しの仕事により、柳瀬氏の体は悲鳴を上げていた。そんなある日、友人が開店したお好み焼き屋を手伝った柳瀬氏は、店舗の暖かさにふれたことで「オレは一生、屋台を引くのはイヤだ」と思った。

 ただ、自分には店舗を開業するほどの「貯金」はない。そう考えて、たこ焼き屋の常連に「金を貸してくれませんか」と相談したところ「言葉だけじゃ金は貸せないよ、企画書とか事業計画書とかでもないと、金は貸せない」と返された。

人生を変えた手書きの企画書「金を借りたときは必死だった」

 本書には、柳瀬氏がボールペンで手書きした「A4版で二〇枚」の企画書の一部が、写真で掲載されている。しかし、参考にしたものはなかった。仕事が終わってから、コツコツと企画書をまとめていった柳瀬氏の頭の中にあったのは「ディティール(細部)まで具体的に書く」ことだけだった。

 当時はポピュラーではなかった「ねぎ焼きを主体としたお好み焼き」をメインに、屋台ですでに作っていたたこ焼き以外のメニューは「友達の店」で練習して準備をすすめていった。

 企画書を持ち込んだ相手は、たこ焼き屋の常連だった。「東京に親戚も頼りになる知人もいなかった」と振り返る柳瀬氏は「金を借りるとすれば屋台に来ていた客しかいない」と考えて、「なんとなくウマが合う」と感じていた「不動産屋さん」に「一五〇〇万円」もの開業資金の相談を持ちかけた。

 プレゼン当日。相手から「要するに、お前は赤の他人のオレに一五〇〇万円を貸して欲しいんだな」と言われて「自分自身が恥ずかしくなって、顔が真っ赤になった」と、柳瀬氏は振り返る。しかし、思いは通じた。相手は「失敗したらオレの会社で死ぬまで働け。オレはお前のことが好きで金を貸すわけじゃない。銀座の仲間がお前のたこ焼きをうまいと言った。オレはたこ焼きに金を貸すんだ」と、承諾した。

 当初は「お好み焼きが多く、粉好きが多い」「銀座からも近いため、私の銀座の仲間が仕事帰りに立ち寄りやすい」という理由から門前仲町への出店を考えていたが、物件が見つからず、結果として恵比寿で開業するに至った。

 最初の3カ月間は「一日の売り上げが二〇〇〇円」の日もあったが、4カ月目から、店舗が軌道に乗り始めた。やがて、借金を完済。開店から7年目には客席を広げ、常連だった「銀行の支店長」の手助けもあり銀行の融資も受けられるまでになった。

 当時を振り返る柳瀬氏は、「金を借りたときは必死だった。寒いところで立ちっ放しで働くのだけは嫌だった。だから必死で(企画書を)書いた。必死でやれば分かってくれる人はいます」と語っている。

 現状に不満や危機感を持つのは、人間として自然な感情だ。しかし、誰かがチャンスをくれるわけではない。自分からアクションを起こして、未来を変える。柳瀬氏のエピソードは、その大切さを伝えてくれるものだった。

文=カネコシュウヘイ