プロフィールはたった一言「1991年生まれ。」のみ。謎多き文学の新星・麻布競馬場に迫る!

小説・エッセイ

公開日:2022/10/14

 2022年9月、これまで誰も通ったことのないルートから新たな一般文芸の書き手が現れた。Twitterで小説を書き、厳選20本を収録した単行本『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で本格デビューを果たした、麻布競馬場だ。突然変異種出現に至る、「ウェブ発一般文芸」の系譜を辿る。

(文=吉田大助)

 ウェブの世界から、一般文芸の新しい書き手が現れるようになって久しい。例えば、芥川賞作家の本谷有希子は、自身が主宰する劇団のホームページに掲載していた小説『ほんたにちゃん』(のちに加筆修正して単行本刊行)を読んだ編集者に声をかけられ、短編小説で商業誌デビューした。直木賞作家の米澤穂信は、自身のホームページ「汎夢殿」に発表していた小説の中でも反響の大きかった『氷菓』をライトノベル系の新人賞に応募し、受賞作でデビューしている。住野よるのデビュー作『君の膵臓をたべたい』は、小説投稿サイト「小説家になろう」に発表されていた作品であり、逢坂冬馬のデビュー作にして本屋大賞受賞作『同志少女よ、敵を撃て』は、Web小説サイト「カクヨム」に投稿された作品だった。『へぼ侍』で第26回松本清張賞を受賞した坂上泉は、2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)で「やる夫スレ作家」(やる夫というアスキーアートを主人公にストーリー展開するスレッドの書き手)として活躍していた経歴の持ち主だ。

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 前述した作家たちの共通点は、デビュー前に小説を書き、ウェブ上で発表していたことだ。しかし、2010年代後半に入り、それまでと異なるかたちでウェブ領域から一般文芸に参入する書き手が現れた。新規開拓された沃野は、文字数制限が140文字であることからマイクロブログとも呼ばれるSNS、Twitterだ。たった140字の文章の中にポエジーや物語の可能性を感じさせるつぶやきにより、多くのフォロワーを獲得したアルファツイッタラーが、文芸編集者から依頼を受けて(初めて)長編小説の執筆を試み、単行本出版された本がベストセラーとなったのだ。ここではデビュー作の発表順に、3名を紹介したい。

『ボクたちはみんな大人になれなかった』
『ボクたちはみんな大人になれなかった』
燃え殻
新潮文庫 539円(税込)

 1人目は、2017年6月に『ボクたちはみんな大人になれなかった』でデビューした、燃え殻だ。美術制作の会社で働きながらTwitterを始め、エモさ満点のツイートで注目を浴びた。コンテンツのサブスク配信サイト「cakes」でデビュー作を連載し、数ページで完結する断章形式で、忘れられない過去の恋と現在の自分とのハレーションを表現した。燃え殻のツイートや小説、エッセイにおけるエモさの真髄は、ワンブロックの文章の中に過去と現在、あるいは未来までもが封じ込められた感触にある。その際、「思い出す」というアクションが文中で頻繁に顔を出す。人は他人の「思い出す」姿を目の当たりにすると、こちらも「思い出す」モードに入っていく。時間の厚みに触れる時、人はどうしようもなくエモさを感じる。

『真夜中乙女戦争』
『真夜中乙女戦争』
F 
角川文庫 748円(税込)

 2人目は、2018年4月に『真夜中乙女戦争』でデビューした、Fだ。まずは2017年4月に、特に人気のあった恋愛絡みのツイートを多数収録した初エッセイ集『いつか別れる。でもそれは今日ではない』を刊行しベストセラーに。「次は恋愛小説を」という編集者のオーダーを受けて、デビュー作を執筆した。全てを呪うように生きる大学1年生の青年が、大学4年生のサークルの「先輩」に恋をする。この一行からは到底想像できないような、バカでかスケールのアクション活劇の内側に、自身のツイートに呼応する恋愛や人生にまつわる箴言・格言が異様な膨らみをもって挿入されていくのが特徴だ。著者は2冊目のエッセイ集『20代で得た知見』で、「エモさ」について次のような意見を披露している。〈私の最近の解釈は、「愛おしさとやるせなさの間で、青色に沈澱した記憶」です〉。『真夜中乙女戦争』はまさに、「愛おしさとやるせなさの間」で起きたテロの物語だった。

『明け方の若者たち』
『明け方の若者たち』
カツセマサヒコ 
幻冬舎文庫 605円(税込)

 3人目は、2020年6月に『明け方の若者たち』でデビューした、カツセマサヒコだ。編集プロダクションのライター・編集者として仕事をする一方で、情報拡散ツールとしてのTwitterを重視。フォロワー数獲得のためのマーケティングリサーチをおこなった結果、専売特許と言える恋愛妄想ツイートで一躍人気を博した。デビュー作は、明大前の沖縄料理屋で開かれた飲み会で大学4年生の「僕」が年上の「彼女」と出会う物語。社会人1年目となっても付き合いは続いたものの……。「令和の『イニシエーション・ラブ』」と評したくなる図地反転のサプライズの衝撃は、ミステリーとしても楽しめ(痛めつけられ)る。端正でクールな文章の中に、要所要所で挿入されるエモさ全開の一文には、ツイートを「ポエム」と自称する著者の感性が存分に注ぎ込まれている。

 ベストセラーとなった3人のデビュー作はいずれも、物語を大掴みするならば、東京を舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールだ。そして、エモい。興味深いことに、3作はアニメ化でもマンガ化でもなく、実写映画化されている。このエモさとなまなましさを他メディアへと移し替えるとすれば、実写化以外なかったのだろう。

 さらに時代は進む。2020年代に突入した今、ウェブ発一般文芸の才能がまた違ったルートから現れた。麻布競馬場だ。アカウント名がそのままペンネームとなった著者は、Twitter上で短編小説を執筆している。その作品群はバズりにバズり、40万いいねに達した作品もある。2022年9月、厳選20編が収録された単行本『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』で本格デビューを果たした。

 麻布競馬場は「Twitterでの文章経験を活かして」小説を書いたのではない。「Twitterで」小説を書いたのだ。その選択は、かつてない文学性を獲得することへと繋がった。なぜTwitterだったのか? 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』収録作20編は、どのような発想から生まれたのか。なにはさておき……麻布競馬場とは何者か!?

 

麻布競馬場さん

 単行本巻末のプロフィールに記されているのはたった一言、「1991年生まれ」。謎が多すぎる覆面作家・麻布競馬場に、直撃インタビューを試みた。

(取材・文=吉田大助 写真=川口宗道)

東京に暮らす30歳の自分。今の30歳の人たちを書く

 Twitterで小説を発表するという試み自体には、先駆者がいる。ツイート1本140字以内で完結する超短編小説(マイクロノベル)は密かなブームとなっているし、『ニンジャスレイヤー』など長編小説の分割掲載の場としてTwitterが選ばれることもある。しかし、麻布競馬場の小説はだいぶ様子が違う。もっとも大きな特徴は、1本目のツイートにリプライを繋げるかたちで投稿を行う、「ツリー形式」が採用されていることだ。この形式で執筆・発表される小説はありそうでなかったし、それらが1冊にまとまって物理出版されることなど前代未聞だ。とはいえ形式に関しては本人いわく、ご先祖さまが2人いるそう。

「全宅ツイ(全国宅地建物取引ツイッタラー協会)という宅建業者からなるTwitter集団のグルさんという方が、タワマンで炊いたお米は不味いっていう“タワマン文学”を2021年6月にツリー形式で発表したんです。それを面白がったアルファツイッタラーの窓際三等兵さんが、同じ形式でタマワン文学をツイートしたんですね。窓際三等兵さんのそのツイートを見て、僕もやってみようと思ったのがちょうど1年前ぐらいです」

 タワーマンションは、麻布競馬場の作品にもたびたび顔を出す。ツイートしていると、東京の風景として自然と入り込んでくるのだという。

「嘘交じりの文章を書くようになったきっかけは、友達から毎日新聞の『男の気持ち』という読者投稿欄がめちゃめちゃ面白いって話を聞いたことでした。読んでみたら本当に面白かったし、その欄に僕の文章が載ったら友達が驚くかなぁと思って仮名で書いて投稿したら、一発で掲載されたんです。それが、2019年の年末のことでした。振り返ってみるとその時書いた600字ぐらいの文章は、今書いていることと全然変わらないんですよね。真面目だけどモテない男が大学進学をきっかけに田舎から東京へ出てきて、寂しがりだから友達が欲しかったり女の子と付き合ったりしたいんだけど、他人を下に見ちゃうせいで人間関係がうまくいかなくてずっと孤独に過ごしている。就職後は麻布十番のタワーマンションで毎日一人でビールを飲んで……“全部盛りやな!”と(笑)」

 仮名の人生の中には、己の人生の断片が入り込む。麻布競馬場がTwitterで書く小説の主人公たちの多くは男女を問わず、地方から上京し大学卒業後は東京で会社員となり日々をサバイバルしている。作品をまたいで頻出するキラーフレーズは、「今年で30歳になります」。著者は1991年生まれ、地方出身の会社員だ。

「僕の同級生の中にも起業した人がいっぱいいて、そういう人が港区のばか高いタワマンに住んでいるのを見ると、自分はこれまでいったい何をしてたんだろうって悲しくなるんですよ。東京にいると、トーナメントが永遠に終わらない。別に勝ち続けることが人生でもないけど、この分野ではちょっと勝てたなって思った瞬間があったとしても、次の瞬間に自分よりもっとすごい奴が必ず現れるんです。同じような苦しみは、東京出身の人や地方在住の人の中にもあるんじゃないかなと思います。その苦しみとどう折り合いを付けるか、という考え方がようやくじわじわ出てくるのが30歳前後。自分の人生を受け止めてあげるための心の守り方を試行錯誤し始めた、30歳の自分、そして自分が見ている今の30歳の人たちのことを書きたいという気持ちが全編通してありました。よくネットで“麻布競馬場は同じような話ばかり書いている”と言われるんですけど、登場人物たちの年齢の幅を絞っているからそうなるのは当然というか、狙ってそうしているんです」

下書きなしの一発勝負で主人公になりきって書く

 一見すると「同じような話ばかり」に感じられるとしても、目を凝らせば中身はまったく違う。ひとりひとりの、人生が違う。

「自分の人生に置かれたでっかい石をわざわざ引っ繰り返して、ちっちゃな虫がわさわさ出てくるのを見ている20人の話だなと思っています。それは情けなさだしダサさであって、愛らしさでもある」

 一人称の主人公による告白=独白文体は、『地下室の手記』のドストエフスキーか、あるいは中村文則の小説かと見紛うばかりの緊迫感がある。実際のところ、どんな小説から影響を受けたのだろうか。

「フォーマットの素地の部分で一番影響を受けているのは、山内マリコさんです。大学3年生の時かな、2012年に出版されたデビュー作『ここは退屈迎えに来て』を、単行本が出てすぐに読んで衝撃だったんですよ。地方から東京に出てきた苦しみや、東京から地方に出戻った苦しみが、物語の題材になるものなんだ、と。イヤらしい観察だったり他人の内面に対する踏み込みだったりは、大江健三郎から影響を受けたと思います。特に初期の短編は、見せたくない自分とか、見たくない他人がどんどん出てくる。ここまでやっていいんだ、という想像力のリミッターの外し方を教えられた気がします」

 麻布競馬場が小説を書くうえで重視しているのはストーリーではなく、主人公像だ。主人公像がしっかり固まっていれば、ストーリーは勝手に動き出す。

「友達も多いほうだと思うし、いろいろな人とTinder(マッチングアプリ)で仲良くなったり、飲み屋さんでもよく話しかけられるタイプなので、男女問わず人と話す機会が多いんですよね。普段会っている人とかこれまで会ってきた人とか、SNSで見かけた人たちの情報の断片が頭の中にいろいろと入っていて、それがある時パッと一つの形になって、主人公ができる。あとは、その人になりきって書く、という感じです」

 ここで、今回のインタビューにおいて最大の衝撃発言が飛び出した。麻布競馬場の小説特有の緊迫感には、スマホのTwitter画面で下書きなしの一発勝負、という執筆形式による「取り返しのつかなさ」が作用していた。

「結末を決めず、最初のツイートはこうしようというイメージが固まったら書き始めるんです。1個ツイートしたら3、4分以内に次のツイートを考えて書く、考えて書く、の繰り返しですね。1個3分で20個くらいで終わらせれば、お昼ご飯を食べている間にちょうど書けますし。僕の性格的に下書きをすると、これは恥ずかしいから書かないでおこうとか、この表現はもう少し練り直したいなとかグズグズしちゃって、たぶん言葉に勢いが出ない。それに、このやり方だから僕という余計なフィルターを通さず、主人公になりきって書けるのかなと思うんです」

ハッピーでいるための一番大事な手法

 本のために厳選された20編は、表記こそ縦書きの通常の小説フォーマットに変換されている。が、読者をフェティッシュな気持ちにさせる(大量の!)固有名詞に一部調整をかけた以外は、Twitterに発表した文章がそのまま掲載されている。

「出版前のゲラを読んでいる時に、この本の中で劇的な出来事って何一つ起きてないなぁと思ったりしました。せいぜい転勤したとか、転職したとか、結婚したとか。140文字の中に何かしらの事件を仕掛けるのはかなり難しくて、日常的な出来事を装飾がない簡素な文章で書くことしかできないんです。でも、そうやって書いていった140文字の積み重ねが小説になって、10数万人にバズったりする。みんな自分の人生にドラマなんて起きていないと思っているけど、“本当にそうかな?”と言いたい気持ちもちょっとあります」

 自虐と他責、ブラックな笑いを交え触れるものみな傷付ける、というノリの攻撃的な作品もある。しかし、その奥には必ず人間愛が潜んでいる。

「人間が好きなんですよ。自分のことよりも他人のほうが好きなんです。ただ、“全部お前が悪い!”みたいな極端な気持ちになる時もあります(苦笑)。その攻撃性を薄めるために、いろんな人になりきって小説を書いているのかもしれません。みんながハッピーでいるための一番大事な手法って、“誰だってつらい時があるよね”とみんなが思えるようになることじゃないですか。今の自分が感じているつらさを抱きしめたいし、誰かのつらさを抱きしめてあげたい。それを表現するうえで一番適していた方法が、僕にとってはTwitterで小説を書くことだったんです」

 

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』11月号からの転載になります。