「逃げる場所や喋れる相手がいることを知ってほしい」『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』菊池真理子さんインタビュー
更新日:2022/11/8
これまでに、アルコール依存症の実父と家庭の問題を描いた『酔うと化け物になる父がつらい』や、毒親育ちの人たちの体験談『毒親サバイバル』、自身が常々感じている生きづらさを綴った『生きやすい』、依存症について取材をした『依存症ってなんですか?』など、様々な生きづらさを漫画を通して発信してきた菊池真理子さんが、10月6日に『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』(文藝春秋)を上梓。本書では、自身を含む7人の宗教2世たちが育ってきた家での出来事を描いている。発売前に菊池さんに心境を伺った。
(取材・文=成田全(ナリタタモツ))
これまで世間もマスコミも「宗教2世の問題はなかったこと」にしてきた
──『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』はどんなきっかけで描かれたのでしょう。
菊池真理子さん(以下、菊池):私自身が宗教2世で、大人になってから自分自身の生きづらさには宗教が関わっていたということに気づいて、同じ宗教2世の人と会って話をしていたところ、何かできることがあるんじゃないかと、宗教2世の人が集まって話すトークイベントをやったんです。それを集英社の編集者の方が見ていて、声をかけてくれたのが始まりです。
──漫画は2021年9月から集英社のウェブ媒体「よみタイ」で連載されていましたが、クレームがあり、該当の漫画の公開が中止されました。
菊池:その後、第4話までも非公開になり、編集担当さんと再開するための方向を検討したのですが、「よみタイ」での連載は3月で終了することになりました。
──その後すぐ他社から声がかかりました?
菊池:いろんなところからお声がけはあったんですが、「ウチでできたらいいんですけどね……」ということばかりで(苦笑)。でも文藝春秋からは「ウチなら出せる」と言ってもらえて、4月には単行本化が決まりました。
──では7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件よりずいぶん前に決まっていたのですね?
菊池:そうなんです。あの事件があったから、というのではないんですよ。
──銃撃事件の犯人が宗教2世だったことで問題が急にクローズアップされることになりましたが、その事実を知ったとき、どんなお気持ちでした?
菊池:なんともいえない気持ちでしたね。こんなふうに宗教2世の問題について、注目されたくはなかった……。ただ、事件を起こす前に宗教2世の問題が注目されていれば、こんなことは起こらなかったのかもしれない、と思いました。
──収録されている漫画を拝読すると、宗教2世の皆さんは子ども時代につらい思いをしたり、親へ不信感を抱いたり、どうして私だけがこんな家庭なのか、と深く悩んでいますよね。
菊池:これまで世間もマスコミも「宗教2世の問題はなかったこと」にしてきたから、いくら声を上げても、いつもいつも途中でダメになっていたんです。でもあの連載がもし続いていて、宗教2世の問題が社会へ広がり、みんなで議論する段階になっていれば…と考えることはありました。
「信教の自由」が持つ力を一番知っているのが宗教2世
──これまで宗教2世の問題を取り上げた本は何冊も出版されてきましたが、なかなか大きな問題提起にはつながりませんでした。
菊池:心を痛めて読んでくれた人たちはたくさんいたけれど、表立って取り上げてくれるメディアはなかったですからね……ところで周りに宗教2世の方、いました?
──私が知っている限りでは、知人のひと家族だけですね。でも直接本人から聞いたわけではなくて、あの家は◯◯の信者らしいよ、とこっそり人づてに聞きました。
菊池:そうなんですよ、そうやってヒソヒソ言われる感じですよね? それを本人たちもわかっているから、「そんなにヒソヒソ言わないといけない存在なの?」と思って、余計言えなくなったりするんです。自分のやっている宗教は変なんじゃないかという恥の概念や、差別されるのではないかという怖れもある。なので周りには相当いるはずだけど、言えないだけなんですよ。
──しかし日本国憲法第二十条(※)には、信教の自由が保証されていますし、宗教上の行為や行事に参加することなどを強制されない、とありますよね?
※日本国憲法 第二十条
第一項 信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第二項 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第三項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
菊池:私は「信教の自由」が持っている力を一番知っているのが宗教2世じゃないかなと思っているんです。それがあるから、親である宗教1世も、教団も責められない。だからこれまでずっと言えずに来たんです。でも自分が大人になって、いろんな人の話を聞いて思い至ったのが「信教の自由と子どもの権利、どっちが重いんですか?」ということ。親は子どもを教育しますけど、すごく小さな子どもを宗教の伝道活動に連れ回したりするのって、子どもにとってそぐわない教育じゃありませんか? もちろん信教の自由を侵害するつもりはないですけど、それによって子どもの人権を蔑ろにしていいって話じゃないし、子どもが健やかに生きていく権利のほうが強いんじゃないかな、と私は思っているんです。
──でも経済的に自立していない子どもは、親元を離れられない。しかも親の愛は自分が宗教を信仰していないと担保されないかもしれない、というディレンマがあるわけですね。
菊池:そうすると「じゃあ大人になって、お金を稼げるようになったら抜け出して自活していきなよ」と言う人もいますけど、子どもの頃から外へ出られないような性格に育てられていたり、ずっと教え込まれてきた教義や、バチが当たるかも、地獄に堕ちるかも、という恐怖心とも戦わないといけない。また信仰には疑問があるけれど、自分のことを大事に育ててくれた親のことを好きな人もいるんです。でも信者をやめたら親や親族一同と絶縁することになったり、教団が運営する学校に通っていた人や、住んでいる地域のコミュニティとしても機能している宗教だと、そこでの人間関係も失ってしまうんです。
──家庭や教団と関係がなくなった上に、一般の社会にもうまく溶け込めない、生きづらさを抱えたまま孤立……宗教と一般社会の両方から弾き出されてしまうわけですか。
菊池:そうなんです。大人になってからの生きづらさは宗教2世に共通しています。今の“自分”という人間は小さな頃から宗教の教義を教え込まれ出来上がった性格なので、本当の自分の性格とは違う気がすると思っていたりするんですね。でも宗教2世でなかった自分というのは「たられば」の話ですから、今となってはわからない。あとは「自分で決めたんじゃないのに」というのはみんな言っていて、「なんで親に宗教を強制されたのか」「自分は生き方を選べなかった」「最初から決められた生き方しかできなかった」ということに対する怒りもあるんです。
宗教2世の問題、ひとりで抱え込まないで!
──「宗教2世の問題と毒親の問題は同じではないか?」という意見もあるようですが。
菊池:共通する部分もたくさんありますね。信仰しないと親の愛情をもらえない、信仰をやめたら愛してもらえないというのと同じように、毒親の場合も「テストで100点取ったら愛してあげる」というのがあったりして。ただ宗教2世は親だけではなく、団体や神仏とも対峙しなくてはいけないところがありますね。それから社会の支援のシステムも、宗教2世にはまだほとんど適用されていません。それが一番大きい違いかな。
──社会に受け皿がないということですか。
菊池:宗教2世が家庭や教団から逃げ出して「助けてください」と誰かに言っても、「信教の自由があるから何もできない、家で解決して」と帰されてしまうんです。でもこれが毒親の場合の虐待や育児放棄であれば児童相談所などがありますけど、そこに宗教が絡んでいるだけで保護してもらえなかったりする場合もあるんですよ。宗教によって傷ついて、そこから逃げ出すのも大変なのに、やっと逃げ出した先でまた傷つけられてしまう……そのことを知ってもらわないといけないですね。
──本書で宗教2世の置かれた立場を知り、「それはおかしいよ」と受け入れる体制を作ることが大事だと。
菊池:子どもが「おかしい」と気づいた時点で、逃げられる場所を作っておくことですよね。逃げ場所がないのはやっぱりおかしい。「親が献金しすぎて、子どもが修学旅行へ行くお金がなくなった」なんて、どう考えてもおかしいですもん。
──しかし菊池さんは本書で「たぶんこの本が出たって社会が劇的に変わることはないだろう」と書かれています。
菊池:劇的に変わるというのは、「児童虐待」の定義の中に「宗教的な虐待」も入るなど、社会の仕組みが変わるということです。とはいっても法律などが変わって対応できるようになるのは、まだだいぶ先かなと思っていて、その意味で書いています。ただ仕組みは劇的に変わらないかもしれないけど、人の気持ちが劇的に変わって、宗教団体からも社会からもはみ出してしまった人に手を差し伸べてくれるような人が社会の側で増えれば、心が楽になる人は増えると思います。
──まずは一人ひとりの意識ですね。では宗教2世の問題で苦しんでいる人は、生きやすさをどう手に入れたらいいでしょう?
菊池:宗教の話、信仰で嫌だったことなどを話せる人や同じ宗教2世と出会うことが大事ですね。宗教の用語などを説明しなくてもわかってもらえる人と話して、「それわかる、あれ嫌だったよね!」と言ってくれる人と、愚痴も含めて言い合えるような場が大事かな。漫画に子どもが罰として親からムチで打たれるシーンが出てきますけど、それがゴムホースだったり、ベルトだったりと時代や家庭によって違うそうなんですよ。痛くて辛いだけの記憶なんだけど、「ウチは革のベルトだった」という話ができると、それを話せたことで心がホッと軽くなる瞬間がある。そうやって同じ苦しみを共有できれば、やがて心が癒やされるんじゃないかな。だから人に会ったり、話したりして、自分の心の内側を出すのは大事。ひとりで抱えると、大変だから!
──本書のメッセージ、誰に届いてほしいですか?
菊池:まず宗教2世の人に届いてほしい。逃げる場所とか、喋れる相手がいるんだな、ということを知ってほしいです。そして宗教と関係なく生きてきた人たちにも読んでいただいて、奇異の目で見られてきた宗教2世が生きづらさを抱えている原因、そして「この人たちのせいではないんだ」ということを知ってもらえればいいなと。そして漫画に出てくる家庭でもし自分が育ったらどうだっただろう……という臨場感も感じていただければと思いますね。