アンドロイドの「僕」は、とある国の施設に保護され、所有者「Mr.ナルセ」との日々を手紙に書くことに…【島本理生 私だけの所有者】/はじめての①

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/13

直木賞作家4人と、“小説を音楽にするユニット”YOASOBIがコラボレーション! 島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都による短編小説集『はじめての』をYOASOBIが楽曲化し、「文学」「音楽」そして「映像」から物語世界をつくりあげていく話題のプロジェクト。企画テーマ「はじめて」をモチーフに書かれた珠玉のアンソロジー『はじめての』から、各話の冒頭部分を全4回連載でお届けします。第1回は、“はじめて人を好きになったときに読む物語”、島本理生著「私だけの所有者」をご紹介します。

はじめての

一通目の手紙

 はじめまして。

 そんな言葉を会ったこともない先生に使うのは、なんだか変な感じがしますね。

 そもそも僕は誰かに手紙を書いたことなんて、この国に保護(それとも保管というべきでしょうか)されるまで、一度もありませんでした。だからもし文章が時々おかしなことになっていたら、それは本来の仕様ではなく経験不足によるものだと理解してもらえたら嬉しいです。

 この国に輸送されて、三ヶ月間の保護観察期間が過ぎ、政府からの通達を読み終えた僕はまだ少し戸惑っています。なぜなら僕自身も未だに起きたことのすべてを正確に把握できているとは言えないからです。

 だから手紙を書くにあたって、できるだけ正確に起きたことを書き記せよ、という要請に応えられるかはまだ分からないけれど、最善を尽くしたいとは思っています。

 とはいえ政府の要求は多すぎるのです。どんなに努力したところで僕はせいぜいIQ110程度までしか上がらないように設定されているのですから。

 いきなりこんな愚痴や悪口のようなことを言ってしまったら、罰則の対象になるでしょうか? でも、きっと大丈夫ですよね。自分の不利益になると分かっていても、時に主張や表明をせざるを得ないのは、人間らしさというものの一つでもあるのですから。

 なにが書きたいのか、分からなくなってきました。それというのも先週、政府からの通達を受けて、ほとんど情報も与えられぬままにこの手紙を書き始めたので、先生がどんなことを知りたいのか、正直、僕にもまだよく分かっていないのです。

 とはいえ、僕に不必要に情報を与えたらなにをするか分からない、という心配は理解できますし、適切な対応だとも納得しています。情報とはすべての可能性の入口ですからね。

 今のところは僕への情報と干渉を必要最小限に留めて、最終的な指針が定まるまでは保護観察期間を延長する。その決定に異存はありません。

 一応、僕が先生について知っていることをお伝えしておきます。

 コミュニケーションや言語感覚のズレが、世代間のギャップによって余計に生じないように、若手の女性研究者が選ばれたということ。しかも先生の専門は人工人間理論で、僕が生まれた国の研究事業にも精通していることから、これ以上の適任者はいないということ。直接の対面は双方(僕にも権利があるという前提に驚きました)に禁じられており、今後もその決定は覆らないが、その分、手紙ならばある程度は自由に意思疎通をしていい、ということ。

 これだけテクノロジーが発展しても、情報の厳守や監視を徹底しようとすると、最もアナログな手紙という手法にたどり着くのは面白いですね。

 先生が想像しやすいように、こちらの様子について、少し触れます。

 この島の保護施設は、原生林を抜けた突端の切り立った崖の上に建っています。

 朝起きて窓を開けると、新品の鉄格子の向こうには母国と同様に海が広がっています。伸び放題の草木の間から飛びだしたウサギや鹿が、時折、テラスに迷い込んできたりとにぎやかです。

 室内には一人用のベッドと机に内部バッテリー用のポータブル電源、お風呂とトイレがあります。もっとも最後の二つは僕には必要のない物ですが。

 長く書いているうちに就寝機能が働き始めたので、今日はここまでにします。

 目が覚めたときにすべての決定がひっくり返って、僕が焼却されていませんように。

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