アンドロイドの「僕」は、とある国の施設に保護され、所有者「Mr.ナルセ」との日々を手紙に書くことに…【島本理生 私だけの所有者】/はじめての①

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/13

二通目の手紙

 おはようございます、先生。

 今日は目覚めたら視界が青くて、空と海が同じ色をしていました。緑色の植物がいっそうの氾濫へと向かっていく初夏の朝です。窓から、海面に波紋を描きながら出航していく白い船が見えました。

 そして僕は机に向かい、この手紙を書き始めたところです。

 先週は、お返事をありがとうございました。自分の周囲の人間たちは想像していたよりも僕の知能が高いことに驚いている、という誉め言葉にはなんだか恥ずかしくなりました。母国では、僕なんかよりもずっと優秀なアンドロイドが生産されていましたから。

 でも人工知能体の開発が進んでいない国では、そもそも本当に僕らが人のように感情を語るだけで、驚かれるかもしれないですね。ちなみに所有者を不快にさせないように、言語力に関しては年齢よりも若干高く設定されていることもあるかもしれません。

 それでは、そろそろ先生たちのご要望通り、僕が母国を逃れて、この国に発見・保護されるまでのことを語りたいと思います。

 

 僕の母国のことは、研究者である先生のほうが詳しいかもしれないですね。

 元々は富裕層向けの観光産業で成り立っていた小国が、二〇〇〇年代後半から研究者や技術者を積極的に呼び寄せることに国家予算を投入し始めたこと。世界でも最高水準を誇る、環境問題も含めた未来予測システムの開発などによって国が以前とは比較にならないほどの経済力を得たことは、僕が今さら説明するまでもないですね。

 とはいえ、新しく生み出されたものは必ず模倣される運命にあることは、母国の偉い人たちも当然知っていたのでしょう。いったん得たら失うことができない、という台詞はいつだったか僕の所有者が口にした言葉でした。

 その結果、僕の母国は他国との共通研究倫理を無視して大胆なアンドロイド開発にかじを切ったわけですが、テクノロジーで成功した国が今度は外の世界とのつながりを断ち切って開発を押し進めるなんて、僕にはなんだか矛盾したことのように思えます。でも、それはきっと僕の理解力が足りないのでしょう。

 そして先進国から一斉に非難を浴びたときには、今から中止するには「大量殺人」をするしかないくらいに母国での人型人工知能の生産は進んでいたのでした。

 僕が生まれたときには、以前の美しいリゾート地の面影はすでになく、要塞のような首都の巨大ビルには大量の人間とアンドロイドとが混在している一方で、経済的に取り残された地区には廃墟がそのまま放置された島となっていました。

 僕は、一般企業ではなく、家庭向けに開発されたアンドロイドでした。

 年齢は子供の愛らしさを残しつつ労働力も備えた十四歳に設定されており、今後成長する仕様ではないため、基本的に高度な思考に至ることはない。主な用途としては、雑用や家事手伝いなどがある。

 所有者に違和感を与えないように表情のバリエーションは一通り備えているが、前向きで献身的という基本性格は一律のものであり、飲食の機能は価格の都合で省かれている。

 一応、アンドロイドをみだりに壊したり暴力をふるってはいけないという法令は制定されているものの、アンドロイドが暴走したときにはそのかぎりではない。

 僕が整備室で目を開けたときに、それが最初に担当者から受けた説明でした。話が終わると、分からないことがあれば訊いていい、と言われたので、僕は質問をしました。「アンドロイドが暴走したから壊していいと判断するのは、誰なんですか?」と。

 担当者は「所有者です」と即答しました。それならアンドロイドは人ではなく物ですか、と続けて質問すると、担当者は首を横に振りました。「きみたちの権利は最低限、保障されている。ただしそれは個人的な人権を尊重するものではなく、社会秩序を保つためのルールです。人であると同時に物である、としか言いようがない。ですが、それがきみたちに与えられた運命です。この世には人間に生まれながらも虐げられている人たちもたくさんいます。それに比べたら、所有者が存在し、必要とされ、飢えや孤独を感じることもないきみたちは幸せです」

 幸せ、という言葉の意味がまだよく理解できなかった僕は、もう少し深く掘り下げて考えようとしました。だけど急に頭がぼうと霞んできたので、仕方なく頷きました。担当者の説明通り、僕はあまり複雑なことを考えられるようには出来ていなかったのです。

 元々備わっている知識や労働の能力に加えて、所有者に対する話し方の講習を一ヶ月ほど受けたのち、僕は発注先の自宅に発送されました。

 そこは首都から二時間ほど移動した、比較的、治安のいい海辺の街でした。経済成長を遂げた都市から逃れて古き良き人間らしい生き方を好む人が主な居住者だと、僕はお喋り好きな配達員に教えてもらいました。

 配達員に付き添われて到着した僕を出迎えたのが、Mr.ナルセでした。

 Mr.ナルセは浅黒い肌をして、目を鋭く見開いた男でした。姿勢のいい佇まいには不思議な迫力がありました。その外見とは不釣り合いなフォーマルなジャケットとシャツを着て、銀色の眼鏡を掛けていました。

 リビングのソファーでMr.ナルセと向かい合った午後、僕は教えられた挨拶を口にしました。「はじめまして。Mr.ナルセ。私はあなたの元に来ることができてとても幸運」とそこまで言いかけたとき、彼が強く遮りました。「子供が、私、なんてませた言い方はしないでくれ」と。

 僕が困惑して「それでは、なんと言えばいいですか? あなたの言うとおりに従います」と問い返すと、彼は即答しました。「僕と言いなさい」と。

 承知、と言いかけて、また叱られると思った僕は「分かりました」とすぐに言い換えました。

 彼は続けて言いました。「この家の裏口から出た庭に、子供一人なら住める大きさのガーデンハウスを用意した。同じ屋根の下で暮らすことはしない。出入りするときには台所の裏口を使いなさい。一週間分の着替えもそこに用意しておいた」と。

 僕は、言われたとおりにします、と答えました。それから気になって、Mr.ナルセにまた尋ねました。「この家にはMr.ナルセ以外のご家族は住んでいないのですか?」と。

 彼は一瞬、嫌なことを訊かれたとでも言うように表情をゆがめました。

「もちろん。自分一人だから、なにかと用事を頼むためにおまえを購入したんだ」

 それから彼はそっけなく付け加えました。二年前に他界した妻の荷物がまだ残っているから、掃除のときに埃くらいは払ってやってくれと。

 僕が言われたとおりに裏庭に行くと、まるで宇宙から謎の生命体の卵が落ちてきて、そのまま地面に埋もれてしまったような半円状の白いガーデンハウスが建っていました。

 室内に入ると、ベッドの上に白い服が折り畳まれて置かれていました。僕はさっそく工場で着せられた制服を脱いで、布の切れ目に頭を押し込みました。ふわりと生地がふくらんで、僕の上半身をすっぽりと覆い隠してしまいました。僕はそれとお揃いのズボンを穿くと、彼の手伝いをするためにMr.ナルセの家に戻りました。

 僕に与えられた仕事は、家の中の雑用全般でした。深夜までサーバー上にコードを打ち込む彼の食事の支度や、掃除や税金関係の書類の整理、故障した機器の修理など、細々した仕事はたしかに尽きませんでした。

 最初の晩にMr.ナルセは食事を取りながら、近くに立っていた僕にぼそっと訊きました。

「飲食ができない。極端に水に濡れてはいけない。それ以外に、なにか気をつけることはないのか?」

 僕は少し考えてから、言いました。

「通常の使用の範囲内なら破損の恐れはない、と工場で教えられました。悪意を持って破壊しようと強力な力を加えたり、内部に侵入する者があれば別ですけど」

 所有者がそんなことをするとは思わないので、僕は笑って、冗談です、と付け加えてみせました。すると彼が突然声を張り上げて、

「アンドロイドがそんな冗談を口にするんじゃない!」

 そう怒鳴ったので、僕はびっくりして、すぐに謝りました。ごめんなさい。もう言いません。Mr.ナルセは短く息をつくと、食べかけの皿を残したまま自室に消えました。

 僕は廃棄物を処理機に流し込みながら、「きみは人間よりは耐久性があって羨ましい。もっとも内部への侵入に関しては人よりもデリケートですけどね」という台詞を研修中に薄く笑って口にした担当者を恨みました。

 浴室の清掃まで終えると、僕はガーデンハウスに戻りました。

 海の上に浮かんだ月におやすみを告げるようにして小窓のシェードを下ろし、ベッドに横たわって内部バッテリーを休ませるための眠りに就きました。一応、僕自身は最長で百八十時間の連続稼働が可能ではあるのですが、稼働をくり返せば内部バッテリーへの負担が大きくなるのと、なにより人間との生活にズレが生じるという点から、規則正しい就寝が標準の設定になっていました。

 従順に仕事をこなしているかぎり、Mr.ナルセが僕にそこまで無茶を言うことはありませんでした。ただ、時々、思いもよらないところで彼が怒鳴り出すことがあり、僕にはその理由がいつまで経っても理解できませんでした。なぜならMr.ナルセはあまり言葉を多く使う人ではなかったからです。

 そんなふうに書いたら、先生は僕のことを気の毒に感じるかもしれないですね。だとしたら、そんな心配は無用です。なぜなら彼に仕えることだけが僕がこの世に生まれた意味で、その役目を果たせるかぎり、アンドロイドは「気の毒」ではないからです。

 そういえば、ほかにもMr.ナルセがよく口にしていた言葉がありました。「知ることは、よけいな感情を負うことだ」と。

 僕は今でもそれについて毎日のように考えます。よけいな感情とはどういう形をしているのか。それでも人がよけいな感情を負う意味とはなんなのか。

 今も、考え続けています。

 また夜が来ました。おやすみなさい。

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