会いたいと思ったときには、もういない――生きること、いなくなることを知り始めた少年少女のピュアネスが走る感動作
公開日:2022/10/19
川上未映子氏のモノローグは、美しくも、気持ちが行き来するさまや明るくない感情も含めて、怖いほどリアルだ。自分の感情をなぞられているかのように感じるから、読後は常に、人生に関するひとつの答えを得た気持ちになる。そんな川上氏が、小学4年生と6年生の主人公の語りによって綴った物語『あこがれ』(新潮社)は、子ども時代の繊細な感情を思い起こさせると同時に、少年少女の無垢な目を通じて、かけがえのない今を大切に生きるためのヒントを教えてくれる。
小学4年生の麦彦が語る「ミス・アイスサンドイッチ」と、彼の同級生で、小学6年生になった女の子・ヘガティーが語り手の「苺ジャムから苺をひけば」の2編からなる同作。ふたりは親友で、ヘガティーというあだ名は、彼女のおならから紅茶の匂いがしたエピソードから、麦彦がつけたものだ。
幼い頃に父を亡くした小4の麦彦は、母と祖母と暮らす。ミス・アイスサンドイッチとは、麦彦が、スーパーのサンドイッチ売り場で働く女性に、ブルーのアイシャドーをアイスキャンディーに見立てて密かにつけた名前だ。メイクで強調された大きな目と、トングでサンドイッチをビニール袋にすばやく入れる手さばきに、彼は夢中になる。しかし、スーパーや学校で彼女の見た目を罵る声を聞いて彼は戸惑う。スーパーから足が遠のいていたところ、ヘガティーに背中を押され、彼はミス・アイスサンドイッチを「見つめる」のではなく、初めて「会いに」行く。
ヘガティーは、映画評論家の父とふたり暮らしだ。小6になったある日、インターネットで、父が以前、亡くなった母と違う女性と結婚して一女をもうけていたと知る。それを隠していた父への複雑な思いや、姉に会ってみたいという気持ちに、ヘガティーは悩む。そして、経緯を知った麦彦とともに、父に内緒で、父の以前の結婚相手の娘に会いに行くことを決意する。
どちらの物語でも軸となるのは、ミス・アイスサンドイッチや、半分血のつながった姉、記憶に残っていない父や母に対する思い=あこがれだ。それは恋かもしれないし、孤独感や嫉妬なのかもしれないが、子どもの彼らは、それを一言で片づけられる語彙も経験もない。しかし、整理ができない感情を丁寧に描くからこそ、この物語の表現はとても豊かだ。スピリチュアルに傾倒する母に対する違和感や、自分の心の揺れに対する戸惑いなどの感情を、ふたりがひたむきに自分の言葉を重ねて伝える筆致が切ない。物語の終盤、自分の心と向き合った末にヘガティーが書いた母への手紙には、思わず涙が溢れた。
幼い頃に親を失っているふたりはすでに、人生で一番難しいことは何かを知っている。それは「いなくなってしまった大切な人に会うこと」。ミス・アイスサンドイッチから距離を置いていた麦彦に、ヘガティーは言う。「会いたいときに、会いたい人がいてさ、会えるんだったら、ぜったい会っておいたほうがいいと思うんだよね」。感染症と共生する日々になり久しいが、人との距離が開く今だからこそ、この言葉が重く響く。折り合いをつけることばかり上手くなり、大切なことを見失っている――そんな大人が、手を取り合って一歩を踏み出し、少しだけ強くなった小さなふたつの心から大きな力を得られる物語だ。
文=川辺美希