ヒトとサルの最大の違いとは…? 「国」のなりたち、「お金」の概念をまるっと解説! /東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!④
公開日:2022/10/27
わかっているつもりの経済用語や数字…改めて、自分の暮らしとの関わりから、シンプルに考えてみませんか?
『東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!』は、日本や世界のお金の動きを「100人の島で起きた出来事」としてぎゅっとまとめ、わかりやすく解説しています。
難しい経済の話をシンプルにスケールダウンすることで、全体像から経済の仕組みをひもときます。ユーモラスな動物たちの図解入りだから、大人はもちろん、経済について初めて学ぶ中高生でも楽しく読めて「経済がわかる自分」になれる入門書です。
適切な役割分担と適切な分配を決めるために、人類が発明した「お金」「国」そして――。
※本作品はムギタロー著、井上智洋、望月慎 監修の書籍『東大生が日本を100人の島に例えたら面白いほど経済がわかった!』から一部抜粋・編集しました
「誰が担当するか?」「どう分けるか?」
突然ですが、ヒトとサルとの違いはなんでしょうか。
見た目、知能、身体能力……いろんな違いが挙げられますが、最も大きな違いは「言葉」でしょう。
ヒトは二足歩行によって身体が起き上がり、ノドの構造を変化させ、多様な音を発せられるようになりました。
そして、音のまとまりごとに意味を持つ単語を作り出せるようにもなりました。
その「意味を持つ単語」を組み合わせることで、一度にたくさんの情報を伝えられるようになり、コミュニケーション能力が飛躍的に向上したのです。
「言葉」によって、ヒトは、獲物を取る人、家を整える人、農業をする人、子育てをする人など、それぞれの作業を振り分け、他の動物よりもはるかに効率的に生きてきました。
もちろん、動物の中にも、遺伝子に組み込まれた範囲内で役割分担ができる種はいます。たとえばライオンの狩りは複数のメスが集団で協力して行いますし、ハチやアリなどの昆虫は、働きバチ・女王バチなど役割を分担し、小さな社会を作っています。
しかし、ヒトほど柔軟に役割分担ができる動物はいません。
ヒトは遺伝子によってあらかじめ決められていなくとも、言葉を使って「きみは飲み水をとってきて。わたしは獲物を狩ってくる」など、状況に合わせて「話し合う」ことができます。
たとえば、サル10匹とヒト10人のグループが、どちらも「水と食料が必要」という同じ状況下にあったとします。このときサルは全員「水と食料が必要」だと頭でわかっていたとしても、1匹ずつ自分でなんとかするしかありませんが、ヒトは「きみたち5人は10人分の飲み水を確保してきて。わたしたち5人は10人分の食料を確保してくるから」と役割分担することができます。
さらに言葉によって、過去の経験から得た知恵、たとえば「ナイフの使い方」「イモの育て方」「服の作り方」などを子供たちに伝えられるため、次の世代はさらに効率よく役割分担することができます。
こうしてヒトは、言葉の力を使って、他の動物とは比較にならないほど「圧倒的に複雑な社会」を作るようになりました。
どんどん役割分担をして、どんどん暮らしの効率を高め、どんどん社会を発展させてきたヒト。しかし、やがて大きな問題にぶつかります。
それは、「誰がどうやって“適切な役割分担”と“適切な分配”を決めるのか?」という問題でした。
アリは「誰が兵隊アリをやるか?」「花のミツはどう分けるか?」と悩むことはありません。役割と分配に関する情報は、あらかじめ遺伝子に組み込まれているからです。しかしヒトは「誰がなにを担当するか?」「得たものをどう分けるか?」を話し合いによって決めないといけません。楽な仕事、きつい仕事、安全な仕事、危険な仕事があったとするならば、それぞれの仕事を誰が担当すればいいのか。
収穫したイモを、イモを作る係と水汲み係と見張り係と服を作る係と火を起こす係と家を直す係と魚をとる係と子守り係とで分けるとしたら、どうやって分ければいいのか。いずれも話し合いによって決めるのは困難です。
仮にこのとき、イモを作る係が「わたしたちが作ったイモだから、わたしたちはイモをみんなの2倍食べるね」などと言い出せば、他のみんなが「じゃあわたしだってイモを作る係になりたい!」と抵抗するのは目に見えています。
かといって誰かが「イモは全員平等に配りましょう」などと言い出せば、「わたしは誰よりもたくさん魚をとったのに、他の人と同じ量しかイモをもらえないのはおかしい」といった反発をする人も出てくるでしょう。「秋にとれたイモを、冬に魚をとる人にどれくらい渡すべきか?」といった「その人が貢献したタイミングのズレ」もあり、それぞれの担当にはそれぞれの言い分があるはずです。
その複雑な問題をどうするか? まず一番簡単なのは、リーダーが独断で決めること、あるいは各担当のリーダーたちが話し合って決めることです。
現代でも、村単位で暮らす先住民族などはこういう決め方をしていますよね。
ただこの方法が有効なのは、群れにいるヒトの顔を全員把握できる人数までであり、一定以上大きな社会になると話し合いでは解決できなくなります。
私の故郷である福島市の人口は30万人程度ですが、市長の独断や話し合いによって「役割分担」「分配」を決めることは不可能ですし、無理やりそんなことをすれば暴力沙汰に発展するかもしれません。
そこでヒトが考え、発明したものが「お金」と「国」でした。
「冬になったら魚を渡すので、いまお米を分けてほしい」「魚はいらないから、夏の間だけ農業を手伝ってよ」「何日間農業を手伝ったら、お米20キロを分けてもらえる?」など話し合いで決めるのはとても時間がかかるし、仮になんとか結論を出したとしても、時間が経つと「あのとき魚を5匹あげたはず!」「夏は農業を手伝うって約束したよね?」といった“言った言わない問題”も生じます。ましてや1万人、10万人、100万人という都市に住む全員が、すべての約束を記憶し、果たすことなど無理です。
しかしお金と国があると、スムーズにいくのです。
人類が発明した便利なアイテム「お金」
“お金”とは価値を表現し、保存し、媒介する役割を持ちます(一般的に通貨の3機能は、①価値尺度、②蓄蔵、③交換と言われています)。
「お金」を使うことによって、「最近、魚がとれないのです。いまだけお米をわけてくれませんか? 魚がとれたら魚で返しますから」と言っていた漁師は、「貯金でお米を買うか、農業を手伝ってお米を買うか、借金をして米を買おう」などという発想が生まれます。たくさん働いた人は働いた分、お金を得て、それは使いたいときに使えるため、「得たものをどう分けるか?」という話し合いが不要になります。お金は「適切な分配」のために、ヒトが生み出した「発明品」なのです。
さらに「お金」という概念によって、「適切な役割分担」も(ある程度は)自動化できるようになりました。
誰もやりたがらない仕事(きつい・汚い・危険な仕事など)は、誰かがやるまで賃金が上がっていくからです。
たとえばマグロ漁は、いったん海に出たら1年は陸に戻れないと言われ、労働内容も過酷かつ危険だと言われますが、誰もやらなければマグロの値段がどんどん高騰しますので、一定の人はお金のためにマグロ漁を請け負うようになります。
このようにお金はとても便利です。しかしお金は、自然界に元々あったものではなく、ヒトが勝手に作り出したものなので、たくさんの欠陥を抱えています。
「お金」を放っておいたら、一部の人に過剰にお金が集中してしまいます。
また「堤防を作る」「道路を掃除する」「被災した人を助ける」といった「お金にはならないけど、みんなのためになる仕事」をする人がいなくなります。そして、まったくヒトの役に立たないのに、お金をじゃんじゃん稼げてしまうアヤシイ仕事も生まれていきます。