田舎に暮らす覆面作家、『夫のちんぽがはいらない』こだま氏の乾いた詩情がにじむ良質なエッセイ完結編!
公開日:2022/11/13
田舎に暮らしながら、覆面作家として淡々と執筆活動を続けてきたこだま氏。タイトル通りの実体験をもとにした『夫のちんぽがはいらない』は累計23万部を突破し、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。彼女はひっそりと、そして孤独に執筆に打ち込み、毎回良作を届けてくれる。
『ずっと、おしまいの地』(太田出版)は、『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く、“おしまいの地”シリーズ三部作の完結編だ。楽しかったことも辛かったことも、包み隠すことなく書きつけてゆくスタンスはいつも通り。広大な自然に囲まれた自分の居住区を、自虐込みで「何もない田舎」と言うのも相変わらずだ。
数々のエピソードはいずれも情趣に富む。大学生の頃から、自分の誕生日を旦那さんに言い出せなかった話。母親がマルチ商法にひっかかり、こだま氏が必死で止めさせる話。近所の飲食店でのアルバイトで四苦八苦する話。愛情を注ぎ続けた猫が死んでしまう話、近所に住む女性となんとなく会話をするようになった話、等々。
本書を書く上でこだま氏が重視したのは、「何を語るか」よりも「どう語るか」だろう。話の中身ももちろん面白いのだが、それをどのような文体で綴るかが重要だと思える。というか、その語り口の巧みさこそがこだま氏のエッセイの精髄なのだと思う。
親との折り合いがつかなかったり、友達がいないことに悩んだり、鬱病を患って苦しんだり、仕事がうまくいかなかったり。こだま氏の苦悩は延々と続く。こう書くとさぞかし重い本だと思われるかもしれないが、不思議と悲壮感はなく、むしろ身に降りかかる不幸はおもしろおかしく(そして、時にほろ苦く)描かれている。その筆致は軽妙で軽快だ。
特に、ファンキーとしか言いようがない著者の父の奇行は、描写の力もあいまって、奇妙なおかしみを誘う。ヨガ教室で反コロナに目覚めたり、突然除雪車を購入して色を塗ったり、チェーンソーで自宅前の木を切断したり。本に登場する度にアクの強い父だとは思っていたが、こだま氏はそんな父を半ば呆れながら笑いとばしている。
フリーライターの鶴見済氏は、太田出版のWebマガジン『OHTABOOKSTAND』での著者との対談で本書について、「人生の肯定の仕方が詰まっていると思うんです。地元も見方次第で楽しくて素晴らしいところが見えてくる」と述べている。そう、著者が以前なら嫌っていた田舎暮らしも、あらゆる出来事を肯定的に捉えているうちに、そう悪くない居場所に変ってゆく。特に、引っ越し直前に知遇を得た近所の女性と遊んだ話が印象に残った。
そんなこだま氏だが、鬱がきっかけでおもしろおかしい文章を書くことができなかった時期もあったという。そんな時、彼女は、悲しいから悲しいままでいいから、ただ、ありのままを描くことを決心したという。確かに、テンション低めで書かれただろう部分はなんとなく推察できるが、それはそれで、乾いた詩情が滲む名文に仕上がっていると思う。
ハートウォーミングなエッセイ集――彼女の著作についてこんな言葉を使うとは思ってもみなかったが、暗い部屋にうっすらと光が差し込んでくるような文章が並ぶ本書には、そんな形容がしっくりくる。あとは、覆面作家として、いつまで執筆活動を家族に隠し通せるか。余計な心配とは思うが、毎回、これはいつか特定されてしまうのでは? と読んでいるこっちがハラハラしてくるのだ。
文=土佐有明