歩きながら食べるのはNGだけど、「食べ歩き」はOK?――気鋭ライター・武田砂鉄の観察眼がモヤモヤを晴らしてくれる
公開日:2022/11/6
複雑な出来事をたった一言で「そうそう、そう言いたかったんだよ」と感じるようにまとめてくれる人が身近にいれば、きっと生活は豊かになるものと思います。雑誌『暮しの手帖』(暮しの手帖社)で2016年から続いている連載が書籍化した『今日拾った言葉たち』(武田砂鉄/暮しの手帖社)は幅広い話題をカバーしていて、「あぁ、私はずっと前からこう言いたかったんだ」と必ず一度は思わせてくれる一冊です。人気ライターの武田砂鉄氏が、ネットやテレビ、たまたま目にした光景などから言葉を紡ぎあげ、その社会的背景をあぶり出していく批評集となっています。
冒頭に「そうそう、そう言いたかったんだよ」という心の声を例に挙げましたが、それは必ずしも「わかりやすい」というわけではありません。どちらかというと著者は、複雑で「どう言えばいいかわからない」と感じるような出来事や問題に対峙した際に、一歩二歩踏み込んで、あとは自分で考えていける後押しをするぐらいのテイストへ文章をコントロールしているように思えます。Twitterほど文字数は限られていないのですが、基本的に各論考は1ページほどでキレイにまとめあげられています。
たとえば、かつては「空襲」と呼ばれていた出来事が、「空爆」と呼ばれることが大半になった点が指摘されているページがあります。同じ出来事でも呼び方ひとつで「受ける側」目線から「する側」目線にすり替えられてしまう。そして、「受ける側」の目線が忘れられやすくなってしまうという着地点で記事は締めくくられます。冒頭は「平和ぼけ」という言葉で始まります。「平和ぼけ」というのは具体的に言うと一体どういうことなのか、筆者は何度か疑問に思ったことがありますが、そのモヤモヤを晴らしてくれる記事でした。
『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)という書籍も出版している著者は、たとえば雑誌『すばる』(集英社)に掲載されている作家・翻訳者の鼎談「主人公が共感できるから、良い小説だという評価軸」について、こう考えます。
あらゆる文化産業やビジネスが、顧客の「共感」を狙い撃ちしている。それに慣らされてしまうと、出てくる感想が「共感できました」ばかりになる。やがて、共感できなければ評価しなくなる。
本書で紹介されているトピックは様々ですが、連載のときは個別で完結しているものが集合体となったことで、「評価軸をたくさん持つ」ということを促す作用が生まれていると思います。また、2016年から2022年までの記事が掲載されているので、中には批評内容が似ている箇所も出てくるのですが、「同じ内容が繰り返されているな」と読者が感じる点にこそ重要なものが宿ると感じました(「繰り返されている」と感じる箇所も読み手によって全く違うと思います)。大事なことは繰り返し言わなければならないからです。
ここまでの紹介だけ読むと、硬めな印象を受けてしまうかもしれないので、ポップな側面もご紹介します。本書には書籍化に伴って新しく盛り込まれたコラムが随所にはさまっており、その中の一つで「歩きながら食べる」ということについて考察がなされています。
歩きながら食べるのはいけないとは言いつつも、「食べ歩き」という言葉はある。そうモヤモヤし続けている著者は3つの関連事例を紹介してくれます。中でも筆者はこの例が好きでした。
ある昼、使い込んだ自転車に乗っている女性が干し芋を食べていた。干し芋は袋の中でくっ付いている場合が多いので、ひとつだけを片手で取り上げるのは難しい。それでもその人は何食わぬ顔でひとつだけ取り上げていた。だいぶ手慣れている。昨日今日で体得した技術ではないのだろう。とにかく余裕の表情をしていて、他人にどう思われようが私は乗りながら干し芋食べます、という佇まいがカッコ良かった。
コラムのタイトルは「我慢できない」で、著者は「干し芋を食べる女性」を気に入りつつ、でも「歩きながら食べる」ことについては良いとも悪いとも断定していません。このあたりのさじ加減が実に絶妙です。ひとつひとつの論考・コラムが短く読み切りやすく、通勤時のお供などにオススメの一冊です。
文=神保慶政