特撮作品の舞台裏。初代『仮面ライダー』の「2号」登場は起死回生のアイデアだった!

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/6

日本特撮トンデモ事件簿
日本特撮トンデモ事件簿』(桜井顔一、満月照子/鉄人社)

 日本発のコンテンツ“特撮”は、今なお多くの人たちの心を熱くさせている。映画『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』の大ヒットは記憶に新しく、「仮面ライダー」シリーズや「ウルトラマン」シリーズは、生誕から50年以上を超えた今も老若男女を問わず変わらぬ人気を誇っている。

 かくいうこの記事を担当する筆者も、特撮に目がない。直近では、2023年3月公開予定の『シン・仮面ライダー』への期待も膨らむばかりで、Amazon Primeの西島秀俊さん主演作品『仮面ライダーBLACK SUN』を見て、寝不足の毎日を過ごしている。そんな日々で、思わず手に取った書籍が『日本特撮トンデモ事件簿』(桜井顔一、満月照子/鉄人社)だった。

 数々の特撮作品にちなむ“知る人ぞ知る事件”の数々をまとめた、特撮ファンをワクワクさせてくれる本書。その中から、昭和、平成を経て、令和になった今も続く「仮面ライダー」シリーズの元祖、初代『仮面ライダー』の逸話を紹介する。

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スタントシーンでの大事故も…順風満帆ではなかった初代「仮面ライダー」

 バイクレーサーの本郷猛と世界征服を企む敵組織「ショッカー」との戦いを描いた、1971~1973年放送の『仮面ライダー』。特撮の代名詞的な作品だが、「放映開始当初から順風満帆であったわけではない」という。

 当初は低予算で、撮影は「廃屋といった方がいいほどのあばら屋」と表現されるほどのスタジオで行われていた。3K(汚い、危険、厳しい)の環境下でスタッフは働き、スタントシーンの撮影も仮面ライダー1号に変身する本郷猛を演じる藤岡弘(当時)さん本人が「たびたび」担当。そんな「劣悪な環境」では悲劇も起きた。

 放映開始数日前、スタントシーンの撮影で藤岡さんが大事故に見舞われた。バイクで転倒した藤岡さんは「左足大腿骨粉砕骨折で全治6カ月」の怪我を負ったが、それでも撮影を続けねばならず、当時「第一三話までの四話ぶん」(原文ママ)を撮り終えていたため、「撮り終えたフィルムを流用したり、物語の語り部役としてバイクチームのメンバー滝和也(実はFBI)などの新メンバーを登場」させるなどして、ピンチを乗り越えたという。

ヒーローを死なせてはいけない。起死回生のアイデアだった「2号」の登場

 試行錯誤しながらの撮影が続く中、スタッフたちは「緊急会議」を重ねていた。結果、苦肉の策として出たのが劇中で一文字隼人が変身する「仮面ライダー2号が新しい主役として登場する」アイデアだった。しかし、会議では上層部のスタッフから「この際、仮面ライダー1号は殺してしまってもよいのでは」と、思わぬ声も飛び出した。

 物語自体「誰かが殺されるたびにそれが伏線となって新しいドラマが生まれるのが特徴」だったため、アイデア自体に「違和感」があるとは言い切れない。ただ、上層部の意見に対して、プロデューサーが「ヒーローを死なせてはいけない……子どもたちの夢を壊すことになるから」と反対し、「1号を死なせず、2号が登場」という展開が実現した。

 仮面ライダー2号が登場したのは、第14話「魔人サボテグロンの襲来」。斬新な展開も功を奏したのか、放映開始の1971年4月に“8.1%”だった視聴率は、9月で“21.6%”に。初年末の12月には“30.1%”まで跳ね上がり、のちの歴史に繋がる大人気番組となった。

 本書では「仮面ライダー」のみならず、『月光仮面』や『鉄腕アトム』、「ウルトラマン」シリーズ、「戦隊ヒーロー」シリーズなど、特撮作品の裏側をいくつも紹介している。特撮作品はスタッフたちの並々ならぬ努力による“工夫”の賜物でもある。舞台裏の逸話を知れば、愛着ある作品の味わいもまた違ってくることだろう。

文=カネコシュウヘイ