本当のつながりより「つながっている感」を求めがち…心の奥の「傷つきたくない」心理を逆から見ると/君は誰と生きるか
公開日:2022/11/16
出会いにお金と時間を使いすぎる前に、
まずはこの存在を使い倒そう
出会ったことのない価値観を目の前にして、人とのつながりについてあれこれ考えている僕に、師匠はこう続けた。
「これはあくまで私の考え方だから、それがすべて正しいとは思ってほしくない。あくまで『こんな考え方もあるんだな』くらいのつもりで聞いてくれな」
「はい。わかりました」
とは言ったが、もうすでに僕の心はその考え方に傾きかけていた。
「さっきも言ったけどね、私は人と会うことに、そんなに価値を見いだしていないんだよ。誰かに会いたくなったら、本を読めばいいと思ってる」
「本も出会いの一つっていうことですか?」
「もちろんだ。本はいいよ。本との出会いが、人との出会い以上に人生に大きな喜びを連れてきてくれることだって往々にしてあり得ることだ。どれだけメディアが進化したって、本は世界最高峰のツールだと、私はそう思ってる。なぜなら本は、その人のエッセンスの集合体と言える。だって、著者はそこに全力を注ぐんだから」
この言葉は、僕自身が著作家として活動している今となってはとてもよくわかる。
この本『君は誰と生きるか』も含め、一冊の本を仕上げるまでにはものすごい労力とエネルギーがかかるものなのだ。
ほとんどの著者は、自分が持っているものはすべて詰め込むつもりで書いていると思ってまず間違いないだろう。
またそれくらいの気合じゃないと、本は生まれない。
「本ってね、当然だけど、読んでくれる人の約に立てることを書くだろ?だからその本を読むと、大概は『この人はすごい』って思うんだよ。
でもその著者だって人間だから、当然ながら波はある。本のとおりにどんなときも立派に生きることなんてできないし、そもそもいつも書いていることを、すべてできているわけじゃないんだよ。だから実際に会ってみると、本に書かれている以上だったなんて人はほとんどいない。そう思っておいたほうが賢明だ」
言われてみると、実際に会った人は、驚くほどみんな普通の人だった。
もちろん例外もある。
「この人は本よりすごかった」という人は、師匠をはじめとしてごくわずかはいた。
しかし、多くの場合において、本を超えるような人は、そんなに多くはなかったように思う。
また、このやりとりを通して、もう一つ気づくことがある。
それは、出会った人の本を読んで会いに行っても、もしくは会った後にその人の本を読んでも、実際にはなしを聞けたのは、その本の「まえがき」くらいの分量しかなかったということだ。
当たり前だ。書いている本の内容を著者が全部話したとしたら、兵器で10時間はかかるだろう。その本の徹底集中セミナーじゃあるまいし、相手だってそんなに内容をごていねいに全部話してくれるほど暇ではない。
師匠の言葉どおり、その人のエッセンスを本気で学ぶことを目的とすれば、話を聞きに行くことより、本を読みこむことのほうが一番深く学びを得ることができる。
その視点で振り返ったとき、当時の僕は学びに行くというより、「会いたい、なんか得したい、あわよくば力を貸してほしい」という下心満載の感情のほうが多かったのだと思う。