レジェンド漫画家・水木しげるが描いたリアルな戦争。従軍経験が妖怪に繋がった?
公開日:2022/11/11
2022年は、水木しげる生誕100年の記念イヤー。「水木しげる記念館」のある鳥取県境港市を中心として、イベントが相次ぐ一年だった。これらイベントの中で最も気軽に、かつ出不精でも、記念イヤーを感じられる機会は、7月末に出版された2冊の漫画集だろう。『漫画で知る「戦争と日本」壮絶!特攻篇』と『漫画で知る「戦争と日本」敗走記篇』(吉田裕、水木しげる/マガジンハウス)だ。
水木しげるといえば妖怪だが、このような戦争漫画も描いているのだ。この2冊は、過去に発表された戦争漫画をピックアップして、一橋大学の吉田裕先生が歴史的な考察を加えたもの。現地の兵(水木)の近距離の視点と、研究者からの遠距離の視点という2点から戦争を眺めているところが編集の上手さだ。本稿では『敗走篇』を紹介したい。
まずは、簡単に水木しげるの略歴を。水木は1922年3月8日生まれ。太平洋戦争に出征し、ラバウル(現パプアニューギニア)で左腕を失っている。戦後は紙芝居作家、貸本漫画家を経て、43歳の時に「別冊少年マガジン」に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞後、人気漫画家に。2015年11月、93歳で亡くなった。
ここで紹介する『敗走篇』は、水木しげる二等兵が1944年、ラバウル ニューブリテン島のジャングルで歩哨に立っているところから始まる。そこに、「ドドドドドド」「ピューン」「ドカーン」と爆撃。絵は曲線中心から直線での荒いタッチになり、コマ割りも大きくなっている。まるで、爆音が読者にも聞こえてくるようだ。
水木の描く戦争の特徴は、勇敢なシーンや、国のために頑張るシーンがないこと。描かれているのは、激戦から生き延びて陣営に帰ったら怒られたこととか、軍刀を無くして戻ったら殴られたとかいったこと。古兵からの理不尽な暴力と、「生きて帰るのは恥」というおかしな空気だ。
現在の私たちから見ればとても合理的な戦い方とは思えない、むしろ変な精神主義だが、当時は「生き恥を晒すべからず」が当たり前であり、これをおかしなことだと感じる水木の方が異端だったのかもしれない。実際、軍隊中の水木は、理不尽な理由で上司に殴られ、全く出世しない。
作品に描かれる熱帯での水木の戦争は、武器を持っての戦闘ではなく、マラリアと空腹との戦いだ。作品には、これらの不条理への怒りが強烈に込められている。戦争そのものへの怒りというより、集団心理によって過度に高められていく精神主義への怒りだ。
また、水木は現地民のことも作品に描いている。部族社会を営む人たちとの交流「地獄と天国」では、水木が隊を勝手に抜け出して、現地の人々と仲良くなったエピソードが描かれる。この行為は当然、上にバレると制裁が科されるものだ。それにもかかわらず、水木は現地民の集落に通うことが止められない。どうしても惹きつけられてしまうのだ。精霊や神と共に暮らす現地民と一緒に居ることは、水木にとって心地良い体験だったようなのだ。こうした現地民との交流は、後に、普通なら目に見えない妖怪という存在を描くきっかけのひとつになっているような気がする。
もうひとつ、妖怪を描くきっかけを推察するなら、たまたま生き残った人とたまたま死んだ人がいるという、この不思議さを経験したことではないか。人知を超えた何かによって、生かされた自分、という思いだ。水木しげるの妖怪漫画の原点は、一般的に、幼い頃の近所のお婆さんから聞いた妖怪話だといわれる。だが、集団に発生するおかしな当たり前への怒りと、生への不思議も、原点に大きく影響していると思うのだ。
本書は、戦争はいけないと一言で片付ける作品ではなく、組織による思想強要・洗脳の恐ろしさと、目には見えない何ものかによって私たちが在る、ということを描いた作品だと言っても良い気がする。幸いなことに、今の日本に、戦争や国民皆兵制度はない。しかし、学校や会社での、組織が“常識”を押し付けてくる恐ろしさは、未だに残っているのではないだろうか。戦争の話なんて……と敬遠する人にも、我が身に寄せて読める作品になっているのだ。歴史の解説もわかりやすい。家の本棚に永久保存図書として鎮座させておきたい。
文=奥みんす