10歳で「女王になる」と覚悟。エリザベス女王の伝記『ザ・クイーン』から知る、英国王室の全容

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/16

ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ一〇〇年

 今年9月8日、エリザベス女王が亡くなった。1952年、25歳のときに女王として即位し、70年の在位期間は世界史上でもっとも長い君主であった。

 女王崩御から遡ること6月にはジャーナリストであるマシュー・デニソンによるエリザベス女王の伝記『ザ・クイーン』(カンゼン)が邦訳され、現在も話題となっている。

 エリザベス女王の長き治世を王室の内部から明らかにする本書の読みどころを、訳者である実川元子さんに聞いた。

(取材・文・撮影=すずきたけし)

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ただの英国王室礼賛本ではない

――実川さんが訳された『ザ・クイーン』が日本で発売になった3か月後にエリザベス女王が崩御したことは、実川さん自身どのように感じましたか?

実川元子氏(以下、実川) いろんな意見があると思いますが、時代が変わったことがはっきりとあらわれるだろうな、その意味で時代のひとつの大きな節目だな、という感じはしました。

――『ザ・クイーン』を訳そうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

実川 Netflixのドラマの『ザ・クラウン』(エリザベス女王を描いたドラマ)に私がハマっていたところに、おなじくハマっていたこの本の編集者の坪井さんからお話をいただいたのがきっかけです(笑)。お話をいただいたときには、こんなに原書がぶ厚いものとは知りませんでした。けれどもプロローグのところから、ただの英国王室礼賛本ではないと惹かれるものがありました。英国が第二次世界大戦前の帝国主義的大国から、多くの植民地が独立して欧州の一国になる歴史の真ん中で生きたひとりの人物として、また家族関係に悩むひとりの女性としてのエリザベス女王の姿が描かれているところが興味深かった。8章以降、フィリップ(エリザベスの夫。エジンバラ公爵)が登場してくるあたりから毎日興奮して訳していました。

――本書が本国のイギリスで発売となった際に反響はあったのですか?

実川 良くも悪くも大きな反響で、著者のマシュー・デニソンが書店のイベントに出ると大勢の人がつめかけたと聞きました。本書が新聞記事やテレビ番組などから拾ったぼう大な逸話をもとに構成し、できるだけ客観的に公平に王室の人々を見ている点が評価されているみたいですね。

「女王になる」という覚悟はすでに10歳のあのときに決まった

――本書のなかで実川さんお気に入りのエピソードをいくつか紹介していただいてもよろしいでしょうか?

実川 はい。1つめは、エリザベスが10歳のころのエピソードです。伯父のエドワード8世が退位すると決まって、その弟でエリザベスのお父さんのジョージ6世が王位に就くことが決まった夜、子ども部屋で妹のマーガレットが「つまりあなたは次の女王にならなくちゃいけないの?」と王位継承順位第一位となった姉のエリザベスに聞くと、彼女は「そう、いつかね」って答えるんです。10歳でこの答えができるってすごいなと思いましたね。即位はまだ先の25歳ですが、彼女自身の「女王になる」という覚悟はすでに10歳のあのときに決まったんだなと思いますね。

ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ一〇〇年
1937年5月12日、父ジョージ6世の戴冠式後、エリザベスとマーガレットは両親と祖母とともにバッキンガム宮殿のバルコニーに立った。(『ザ・クイーン』p.5より)

 2つめは、妹マーガレット王女のことです。1952年お父さんのジョージ6世が崩御したときにアフリカを公式訪問中だったエリザベスは、急遽イギリスに戻ります。アフリカに旅立つときはまだ王女で親しい姉妹だったのが、女王となって喪服をまとって飛行機から降り立った瞬間から姉妹の関係は大きく変わる。それまで緊張感あふれる王室生活で唯一気を許せてすべてを共有できた姉が、遠い存在になってしまったという孤独感から、妹のマーガレットがしだいに壊れていく姿は胸に迫るものがありました。

ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ一〇〇年
1947年春、王室一家は全員で南アフリカを公式訪問し、王室列車で全国をまわった。マーガレットとエリザベスは長い汽車旅の気晴らしに蒸気機関室を見学した。左からマーガレット、エリザベスと南アフリカ運輸大臣のF・C・スタロック。(『ザ・クイーン』p.8より)

 3つめは、時代が大きく変わるなかで王室の存在意義をエリザベスが必死に模索する姿です。エリザベス女王は、戦後イギリスを含めて世界が大きく変貌を遂げようとするときに即位しました。英国は立憲君主制をしいているとはいえ、王室の存在意義がことあるごとに問われ続けます。1980年代に有名人がメディアでもてはやされる時代には、自分だけでなくチャールズやアン、アンドリュー、エドワードといった子どもたちがセレブと同列に軽く扱われてしまう。国の経済情勢が悪くなると王室人気を利用して、国への求心力をあげようと政治利用される。

 でも王室存続のためには政府から支給される王室費が必要です。それなのに家族はセレブ気取りで贅沢三昧して王室費を散財し、それがまた王室批判につながる。政府、家族、メディア、そして一般大衆との関係を、時代に合わせてどう構築し、操作していくかに腐心する女王の姿がとても印象的でした。

――エリザベス女王は戦前生まれ(1926年)で、女王に即位したのが25歳のとき(1952年)です。それから崩御される2022年まで在位は70年に及びます。本書は女王が経験してきた長い年月を知ることでその在位の壮大さを感じさせます。なかでも長く王室に仕え、エリザベスに寄り添っていたパトリック・プランケットが亡くなった際にエリザベスが深く悲しんだというエピソードが心に残りました。

実川 エリザベスと一緒におしのびで街の映画館でヒット作を見たりと仲の良かったプランケットは、夫のフィリップが王室に溶け込めず荒れていたときもフィリップ本人に寄り添って悩みを聞いたり、チャールズについて相談にのったりと、エリザベスにとって必要な人物だったのだと思います。でも女王にとっては臣下のひとりで、人との距離を常に考えてしっかり線を引くエリザベスというのもおもしろいですね。

なぜ70年もの長きにわたってエリザベスが女王でいられたのか

実川元子さん

――本書はエリザベスの長い人生を一冊にまとめているためかなり厚い本になっています。これから本書を手に取る人に向けて簡単な本書の読みどころなどを教えていただけますか?

実川 本書の大きなポイントは「なぜ70年もの長きにわたってエリザベスが女王でいられたのか」という点だと思います。もちろんエリザベス自身に優れた資質があり、大病をせずに健康であったこともありますが、夫のフィリップと添い遂げたことはとても大きい。13歳でフィリップにひとめ惚れし、「女王の配偶者」という立場に悩むフィリップをなんとか王室に溶け込ませ、夫婦円満でいられるように家庭内のことは常にフィリップに決定権を持たせるように働きかけるなど、夫婦であり、女王とその夫というふたりの関係の維持が、最長在位を可能にしたことが本書からうかがえます。

 もう1つが教育ですね。エリザベスが幼い頃から祖母のメアリ―皇太后からどのように帝王教育を受けたかというのも興味深いですし、エリザベス自身は息子のチャールズへの教育は失敗してますけど(笑)、孫のウィリアム(チャールズとダイアナの息子)の帝王教育にはエリザベスが深く関わっていることがうかがえます。戦前から戦後にかけての王室の教育の部分は読み応えがあっておもしろいと思います。

――最後に、なぜ英国王室の存在感がこれまで続いてきたか、訳されていて気づいたことなどありましたか?

実川 原書を最初に読んだときに衝撃的だったのが「臣民」という意味の“subject”という言葉が出てくることでした。英国民を意味する言葉ではありますが、人々はみな国王に仕える「臣民」であり、国王は「臣民」に奉仕する存在という意味がその言葉には含まれているように思いました。だから英国では王室は単に親しまれているだけの存在ではないと気づき、「臣民」である国民と王室が今後どのような関係を築いていくのか、興味がわいています。

――次作やそのほかのお仕事など聞かせてください。

実川 11月16日に白水社から『女子サッカー140年史 闘いはピッチとその外にもあり』(スザンヌ・ラック)が出ます。イングランド・サッカー協会は1921年から50年間も女子がサッカー競技をすることを禁止していたし、フランス、ドイツ、スペインやブラジルでも女子がサッカーをすることは法律で禁止されていました。1980年前後から禁止が解除され、半世紀たった現在、各国で女子サッカーのプロ・リーグが誕生されるまで発展しています。その歩みは女性参政権獲得運動に始まるフェミニズム運動と密接に結びついていることを示し、女性たちがいきいきとボールを蹴る未来への提言が書かれている一冊です。

実川元子さん

実川 元子(じつかわ・もとこ)
翻訳家/ライター。上智大学仏語科卒。訳書にサンチェス・ベガラ『ココ・シャネル』、フォーデン『ハウス・オブ・グッチ』、トーマス『堕落する高級ブランド』、リトルトン『PK』、ラック『女子サッカー140年史』他多数。著書に『翻訳というおしごと』など。