「人との見えないつながりを大切にしたい」“月”と“ポッドキャスト”がモチーフに。青山美智子新刊『月の立つ林で』インタビュー
更新日:2023/3/22
2021年には『お探し物は図書室まで』で本屋大賞2位にランクイン。そして2022年には『赤と青とエスキース』でまたしても本屋大賞2位に選ばれた。2年連続で本屋大賞2位に輝いた青山美智子さんは、いま、時代が求める作家のひとりだ。
青山さんが紡ぐ物語は、いつだってやさしい。柔らかい文章表現から広がる世界を堪能しているうちに、読者自身が励まされ、背中を擦られていることに気づくだろう。
現代は決して明るい話題ばかりではない。得体の知れない感染症はいまだ終息せず、また海の向こうでは痛ましい戦争が続いている。だからこそ、青山さんが生み出す物語に、誰もが希望を見出そうとするのかもしれない。
新刊『月の立つ林で』(ポプラ社)も、青山節全開の温かい物語だ。本作のモチーフは「月」と「ポッドキャスト」。一見、不思議な組み合わせだが、青山さんはこれらの小道具を巧みに用いて、市井の人たちのもとに訪れる小さな奇跡を描き出した。
そんな青山さんに、作品に込めた想いについて伺った。
(取材・文=イガラシダイ 撮影=川口宗道)
コロナ禍で感じた「見えないつながり」を書き留めたいと思った
──最新作『月の立つ林で』でも、「人と人とのつながり」を描く青山さんのやさしさが全編を通して感じられます。特にいま、コロナ禍のなかで孤独感に打ちひしがれている人たちには救いになるような一冊だと思います。
青山美智子さん(以下、青山):コロナの影響もあり、いま、なかなか先が見えない閉塞感のようなものが漂っていますよね。ただ、わたしは医療に詳しいわけではないから、直接コロナについて書く自信はなかったんです。それでも、この空気感は残しておきたいと思って。
気軽に人と会えない日々が続いていますが、でもあるとき、「つながり」を感じる瞬間があったんです。たとえば部屋の電灯のスイッチを押すと、パッと明るく点くじゃないですか。それってつまりは、押したスイッチの先にさまざまな人がいて、わたしの部屋を灯してくれているということ。スイッチを介して、どこかの誰かとつながった、ということなんです。
それだけではなく、蛇口をひねれば水が出るし、通販サイトで注文すればすぐに荷物が届く。その裏にはさまざまな立場の人がいて、わたしたちの生活を支えてくれている。そのとき、「わたしたちは見えない人たちに支えられていて、それで日常が成り立っているんだ」と実感したんです。
──たしかに部屋にひとりぼっちでいたとしても、間接的にさまざまな人たちに助けられていますね。それに慣れ切っていると、どうしても忘れてしまいますが。
青山:そうなんです。でもきっと、電気の人も水道の人も通販サイトの人も、自分たちが大層なことをしているなんて思っていないんじゃないかなって。だけど、彼らは確実に誰かを助けてくれている。それってすごく尊いことですよね。そういった見えないつながりの尊さを書き留めておきたい、と思ったのが、本作のスタートでした。
そして「見えないけれど、そこにいる存在」とはなんだろうと考えたときに、「新月」が浮かんだんです。新月って目には映らないけれど、たしかに空に浮かんでいるでしょう? 元々「月」というものが好きだったこともあって、それとリンクさせることで物語が書けるかもしれない、と思いました。
──本作には「月」の他に「ポッドキャスト」も重要なモチーフとして登場しますね。
青山:本作でもうひとつ描きたかったのは、「誰もが好きなことを発信できる時代」についてでした。普段使っているスマホを通して、リアルタイムで世界中に発信できてしまう。ポッドキャストだけでなく、さまざまなSNSやアプリが広がっていて。しかもそれが、コロナ禍の寂しさを救ってくれたと思っているんです。
もちろん、SNSには怖い側面もあります。でもわたしは恩恵を受けることのほうが多かった。これが10年後だったら、また違う新しいサービスが出ているわけですよね。でも、わたしは“いま”を書き留めておきたかったので、ポッドキャストを重要なものとして位置づけました。
近くにいる人のやさしさも、見えなくなってしまうことがある
──本作で描かれるのは市井の人たちですよね。一章「誰かの朔」に登場する怜花さんは医療関係の仕事を辞め、次になにをしようか模索している状態です。
青山:怜花さんは医療関係者へのリスペクトを込めて立ち上がってきたキャラクターです。
彼女が仕事を辞めたきっかけは、あるボタンの掛け違いから起きたことですが、最初はもっとアクの強い人と対峙させるつもりだったんです。でも、全編書き終えてから、編集さんと話し合ってそこをかなり書き直しました。結果、自分なりにしっくり来るストーリーになったと思います。
──二章「レゴリス」、三章「お天道様」では、売れない芸人のポン重太郎や、娘の結婚を控えた気難しい父親・高羽の姿が描かれています。
青山:わたし自身、お笑いが好きで、ステージでやるショーを見るのも楽しいんです。ただポンのなにを描きたかったかというと、芸人の部分よりもアルバイトで入っている宅配便について描きたかったんです。真面目にコツコツ働いているその姿を見てほしくて。
それと、わたしはおじさんを描くのが一番好きで、これまでも編集者から「おじさん上手いですね!」って褒められてきたんです(笑)。だから、わたしのなかにいる“おじさん”を炸裂させて、高羽というキャラクターを生み出しました。一章、二章がややおとなしいトーンのエピソードなので、この高羽で話を温めたいという狙いもありましたね。
──四章の「ウミガメ」では、それまでと一変して、高校生の那智とジンくんが主人公になります。それぞれに暗い感情を抱えていて、だからこそふたりは“仲間”になれた。
青山:この『月の立つ林で』という小説のなかで、那智が出てくる「ウミガメ」の章にすべてが凝縮されているといっても過言ではないくらいです。〈竹は地中で繋がっていて、竹林が一本の樹みたいなものなんです〉というセリフが出てきますが、それこそが本作に込めたメッセージの核かもしれませんね。
──那智はジンくんとの関係を、こう表現します。〈クラスの明るい子たちは、互いの輝きがわかりやすいから、すぐに合図を送り合うことができるのだろう。だけど私たちの灯りはあまりにもほのかで、同志がどこにいるのか見つけるのに時間がかかるのだ〉。
青山:この那智の言葉は、わたしにとっての「願い」でもあります。ほのかな灯りしか発せられなくても、時間はかかるけれど、必ず同志を見つけられるという。もしもいま孤独な人がいたとしたら、彼女たちみたいにゆっくり同志を見つけてもらえたら良いな、とも思います。
──そして五章「針金の先」の主人公は、アクセサリー作家の睦子です。過干渉や義母を疎ましく思い、一方であまりにも鷹揚すぎる夫に張り合いのなさを感じていますね。
青山:この睦子は完全にわたしのことです。出てくるエピソードの6割くらいが実話ですし。
──そうなんですか! では、鷹揚な夫にイライラしていたのも……?
青山:実話です(笑)。睦子の夫が、睦子が作ったアクセサリーに関心を持たないように、わたしの夫もわたしの小説をまったく読まないんですよ。先日、新人作家さんの帯を書かせていただいたんですけど、嬉しくてそれを報告したら、「本の帯って、有名な人が書くんじゃないの?」と言われて……。「よかったね」って一緒に喜んでほしかっただけなのに。がっかりしたけれど、上手く言い返せなかった。そういうことが積み重なってちょっとふてくされた気持ちになっていたとき、作中で睦子に起きたのと同じトラブルが私にも起きてしまって、そうしたら彼がすごく心配してずっと側にいてくれたんです。
──なるほど。つまり本作のテーマになっている「見えないつながり」というのは、なにも「遠く離れている顔も名前も知らない人とのこと」だけではないということですよね。
青山:そうなんです! 本作で描きたかったのは、「顔も知らない人とのつながり」ともうひとつ、「近すぎて見えなくなっている人とのつながり」だったんです。睦子のケースで言うと、夫や義母ですよね。睦子はアクセサリー作家として成功して、キラキラした太陽みたいなものに照らされはじめたけれど、その分、太陽の裏に隠れちゃった夫や義母のやさしさが見えなくなっていたんです。
誰かに助けられた人が、誰かを助けることもある
──個人的に非常に感動したのが、助ける人と助けられる人の関係がひっくり返ることもある、という設定です。
青山:助ける、助けられるって一方的な関係じゃないと思うんです。助けられた人が、今度は誰かを助けることもある。それが描きたくて。ただ、まさか自分が誰かを助けているだなんて夢にも思っていないって人のほうが多いんじゃないかな。でもそういう些細なやさしさが、この世の中にはあふれているんだと思います。自分が誰かを助けたことに気づかないまま、日々が通り過ぎていく。その尊さが描きたかったんですよ!
──連作短編になっている本作では、各章の主人公たちを救う存在として「タケトリ・オキナ」という謎のキーパーソンも描かれます。彼は毎晩、ポッドキャストを通して「月」の話をするだけですが、それを聞いた主人公たちの心に変化が生じていく。そして物語後半、このタケトリ・オキナの正体も明かされますね。
青山:彼の設定や目的は最初からきっちり決めていました。わたしはあまり仕掛けを凝らすのが得意ではないんですが、そこは読者に驚いてほしい部分です!
──タケトリ・オキナの放送を聞いた主人公たちが、人生を変えるきっかけを掴んでいく。その構図って、青山さんにも当てはまるような気がします。青山さんが書いた本を読んだ読者たちが、作品から受けた影響によって人生を好転させていくこともあるでしょう。
青山:そうですね、好き勝手に喋っているだけのタケトリ・オキナによって、複数の人物が自分の力で何かを受け取っていく。それって、わたしが小説でやりたいと思っていることに似ているかもしれないし、そうであったら嬉しいです。
わたしは「なにかをしなさい」「こうしたらいいよ」といったメッセージは込めずに、自分が書き留めておきたいことを好きなように書いているだけなんです。読者さんがそれをどんなふうに切り取って、どう解釈するのかはお任せしたいし、好きなように持って帰っていただきたい。
でも、読者さんからの感想を読むと、作品を遥かに超えてくるんです。わたしが意図していた以上のものを感じ取って、自分のものにしてくださっている。そんなとき、小説を書いてよかったな、と思いますね。
──青山さんの小説を読んで元気や勇気をもらう読者がいる一方で、読者からの感想が青山さんの支えになることもあるんですね。それもまた、本書で描かれた「誰かが誰かを助けること、そして助けられること」に通じます。
青山:本当にそう思います! わたしの手から離れた小説が、それぞれの読者さんのもとで独自の物語になっていることを感じると、わたしこそ勇気や元気をもらえます。そういう緩いつながりを大切にしつつ、これからも書き続けていきたいですね。