太宰治作品の16歳主人公が、なんだか他人事とは思えないことについて
公開日:2022/11/18
「若さ故の過ち」という言葉がある。若いときの失敗は損失が少ない。むしろ、失敗から得られることは多いので、若いうちにたくさん失敗しておくべき、という意見もある。本人にとっては若さからとはいえ恥ずかしいことかもしれないが、その“やらかし”や“はじらい”が、他者にはチャーミングさや魅力に映ることもある。コミックやライトノベルでは、「中二病」でちょっとイタイ、やらかしている主人公が人気だったりする。
さて、そんな私も中高・学生時代は相当にやらかしており、自分なりの名言(迷言)などをこっそりと小さなメモ帳にしたためたりしていた。そんな学生時代に出会って大いに共感したのが、太宰治の知られざる名作『正義と微笑』だ。
不吉や不幸、死のイメージをもたれがちな太宰だが、本作はその中でまったく違った顔をもつ佳作だ。まさに中二病でちょっとイタイ系の先駆けともいえる16歳の主人公が、2年間の日々と成長を日記形式で綴っている。日記初日の4月16日、主人公はこのような記述をしている。十分にイタくてチャーミングな魅力が伝わるだろう。
十六になったら、僕という人間は、カタリという音をたてて変ってしまった。他の人には、気が附くまい。謂わば、形而上の変化なのだから。
「微笑もて正義を為せ!」いいモットオが出来た。紙に書いて、壁に張って置こうかしら。ああ、いけねえ。すぐそれだ。「人に顕さんとて、」壁に張ろうとしています。僕は、ひどい偽善者なのかも知れん。よくよく気をつけなければならぬ。
熟語や難解な用語をやたら使ったりするのは、背伸びしたい若者特有の普遍的な気質ではないだろうか。
日記につきものの「三日坊主」だが、本作の主人公は少なくとも2年間は書き続ける。初日、2日目、3日目…6日目までは、初心の熱量で自分の内面を赤裸々に、長文で綴る。しかし、7日目になると突然、失速。わずか1行、
曇。別段、変った事もないから書かぬ。学校、遅刻した。
だけ。それまで一日あたり1500文字から5000文字近くを書いてきた勢いの落差に、思わずくすっと共感を覚えてしまう。その後も短い日記が続き、やがて2日おき、3日おきと日記の間隔が空いていき、
七月十四日。水曜日。
の次は、
一月四日。水曜日。
「一」が一つ抜けた11月ではなく、なんと年をまたいでしまった。この日には受験を控えた主人公にとって大事件が起こり、筆が乗ったようだ。
清廉・高邁なように見せかけて、実は自分に自信がない表れであったり、自分を卑下してみせるものの自分でそんな愚直さや不器用さを自己肯定したい気持ちが透けて見えたりと、そんな主人公の文面に読む側が恥ずかしくなるかもしれない。しかし、部分部分によっては共感したり、応援したくなったりもするはずだ。
太宰治の魅力は、読者一人ひとりが「偏屈な太宰だが、その心理が私だけには理解できる」と思わせるところにある、という意見を聞いたことがある。青春時代を過ごす若者なら、本作の主人公の等身大な姿が理解できるだろうし、年を重ねた人でも、過ちをおかし続けた若いときの自分を思い出してなつかしめると思う。
2年間で主人公はどのように成長するのか、あるいはやっぱり成長しないのか。読者自身で確認してほしい。
文=ルートつつみ
(@root223)