『銭湯図解』塩谷歩波の、笑えて泣けるエッセイ集!『湯あがりみたいに、ホッとして』――“また「熱いお風呂に入る」みたいなできごとがありそう”

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/19

 設計事務所に勤務したこともある建築の知識を活かし、銭湯を斜め上から見下ろすような図法で描く『銭湯図解』で話題となった画家の塩谷歩波さん。設計事務所のデザイナーから「番頭兼イラストレーター」に転身したその人生の波瀾万丈ぶりは、『情熱大陸』などのドキュメンタリー番組にも取り上げられるほどだ。そんな彼女の最新作は、双葉社の文芸総合サイト「COLORFUL(カラフル)」での連載「40℃のぬるま湯につかって」をまとめたエッセイ集、『湯あがりみたいに、ホッとして』(塩谷歩波/双葉社)。「番頭兼イラストレーター」から、さらに「画家」と肩書きを変えた理由は? どんどん活動の幅を広げていく彼女の、今後の目標は? お話をうかがった。

(取材・文=三田ゆき 撮影=後藤利江)

湯あがりみたいに、ホッとして
湯あがりみたいに、ホッとして
(塩谷歩波/双葉社)

「画家」になったのは、憧れに近づく第一歩

──本サイトの取材でお目にかかるのは三度目です。これまでは「番頭兼イラストレーター」としての塩谷さんにお話をうかがってきましたが、画家として独立されましたね。

塩谷歩波(以下、塩谷) そうですね。「番頭兼イラストレーター」として活動したのは、2017年から2021年までの4年半くらいのあいだで、今は画家、そして文筆家として活動しています。番頭兼イラストレーターになったときは、銭湯が好きで、描いてみた絵がとんとん拍子に広がって、誘われるままに転職して……という感じだったので、気がついたら自分が想像もしていないところに行っているようなものでした。それに比べて、「画家になる」ということは、自分で決めてそうしたので、ある程度、覚悟ができたのかもしれませんね。もちろん、番頭兼イラストレーターとして活動していたときも、番台に座ったり、そこに来てくださる常連さんとのかかわりで癒されたり、そんな暮らしについてメディアでお話をさせていただいたりと、楽しいことがたくさんありました。

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──言葉の上でも、「イラストレーター」と「画家」は違うと思いますが、この言葉選びにも、おそらくお気持ちがこもっているんですよね?

塩谷 「イラストレーター」という肩書きには、書籍の挿画だったり、広告の絵だったり、商業的な絵を描く方というイメージがあります。一方で「画家」は、「絵を売るのが仕事」というか、「実物があってこそ」という雰囲気を感じます。「銭湯図解」を描いていると、居酒屋さんや茶室、カフェなど、さまざまなジャンルの人から「描いてほしい」というご依頼があったんですよ。「依頼されて描く」という点では、たしかにイラストレーターさんっぽくはあるのですが、私は「実物を納める」ところまでやっているので、イラストレーターではないかもしれないなと。「イラストレーター」と紹介していただくと、なんとなく違和感があったんです。自分のこれまでを振り返ってみた結果と、あとは単純に、「画家」に憧れていたからですね。小さいころから、美術館に行って、いろんな画家さんの絵を見る時間をすごく大切に思っていた。あえて肩書きを「画家」にしたのは、その方向に近づくための第一歩だというような気持ちがありましたね。

──『銭湯図解』(中央公論新社)はイラストが印象的でしたが、今回は、文章が主役のエッセイです。イラストがメインのときと文章がメインのときでは、つくりかたに違いがありますか?

塩谷 絵と文章って、やっぱりぜんぜん違います。絵を描くことは、たとえて言えば持久走。「ここがうまく描けた」という主観の気持ちよさもあるし、ものすごく没頭して、集中力を保って、深く掘っていくものです。一方で、エッセイって短距離走なんですよ。瞬発力でどれだけおもしろいことを書けるか、書いている自分の心境も楽しくできるかが勝負です。根を詰めて絵を描いているときって、文章を書くと、頭の切り替えができてすごくいいんですよ。どちらが好きというよりも、どちらもあるからいいという感じです。

 実は、『銭湯図解』を描いていたころは、「再現しなくちゃ」という気持ちが強く、実物と違いがあったときに怒られるんじゃないかといつもビクビクしていたんですよね(笑)。今は「違ってていいだろう」くらいに思えますし、たしかにまるっきり違っていてはダメだとは思いますが、実物と多少違っていても、その場で感じた美しさや魅力などを、素直に描けたらいいなと思っていて。たとえば、池に射し込む光の反射であったりとか、建物のガラスの向こうに映るものだったりとか、そういう「いいな」と思うものが描けた瞬間が気持ちよくて、そのために描いているという気がします。

 文章を書くときも、「そのときの情景を思い浮かべて、自分の感覚を乗せて書く」という点は変わらないですね。文章だと、自分の見たもの、感じたものを文字にして、それを読んでくれた人にも、一緒に経験してもらう感じでしょうか。絵にする場合は、それが「ひと目でわかる」状態になるので、自分の心に残ったものを、そのまま強く伝えられる。それぞれに、感じてもらいたい部分が違っているんですね。

この先も、「熱いお風呂に入る」みたいなできごとがありそう

──エッセイでは、建築学科に在籍していた学生時代のお話なども楽しく拝読しました。

塩谷 まだ書きたいことがいっぱいあるんですよ! 合宿で酔っ払った翌日、起きたら歯が欠けていて、サメの歯みたいになっていたとか……本当にひどいことばかりでした(笑)。

──ここをふくらませれば、建築学科を舞台にした小説にもなりそうですね。

塩谷 たしかに! 考えたこともありませんでしたが、小説だったら挿絵も自分で描けるしなあ。おもしろいかもしれませんね(笑)。私、中学校、高校と、文芸部に所属していたんですよ。そのときは、絵が描きたかったけれど、絵にコンプレックスがあったから、文章を書いていたんです。それを考えると、絵を描くことも文章を書くことも、どちらもできている今って、ものすごく幸せですね。エッセイで書きたいことも、まだまだたくさんあるんです。連載が終わったあとも、いろんなことがありましたしね。ぜんぶネタになるなと思えるのは、この仕事ならではの、ちょっとお得な感じがあります。

──エッセイで、「以前より銭湯やサウナに行く回数が減った」とおっしゃっていましたが、現在はどのくらいの頻度で銭湯やサウナに行かれていますか?

塩谷 週に一回くらいですね。ただ、以前はほぼ週7日、銭湯やサウナにいましたし、自分も銭湯で働いていたので、銭湯やサウナに対して、ちょっと厳しい目で見ていたような気がするんですよ。お湯に浸かっていても、「あ、湯垢が……」なんて気になったりしてね。でも、今は週に一度の貴重な機会だから、もうどこの銭湯でもサウナでも、すっかり気持ちよくなっちゃって(笑)。以前より、銭湯やサウナを楽しめているかもしれません。

──それって、銭湯やサウナを「俯瞰している」……『銭湯図解』を描くときの視点に似ていませんか?

塩谷 そうですね。「銭湯図解」、もしかしたら今のほうが、よりよく描けるかもしれません。この先、何年か経って、同じ銭湯にもう一度取材するということもありそうですね。

──『銭湯図解』で大ブレイクして、画家さん、そして文筆家さんになって……本作を連載されていた時期だけではなく、塩谷さんの人生、本当に「百度のサウナとゼロ度の水風呂を往復するよう」ですね。

塩谷 これから生きていく上でも、そういう大きな変化を繰り返していくんだろうという感じがします。今も、自分ではまだ、「落ち着いている」というほどではないなと思っていて。やりたいことは増え続けていくし、私はもともと、かなりエネルギーがあるほうだと思うので……同じことをしていると、飽きちゃうんですよねえ……。この先、またなにか「熱いお風呂に入る」みたいなできごとがあるんじゃないかな(笑)。

 今は、依頼を受けて絵を描くという仕事の仕方をしていますが、来年くらいから、それをちょっと控えめにして、自分で描きたいものを描いて販売していくということもやっていきたいですね。たとえば好きな銭湯だったり、純喫茶だったり、実際にあるものを描くのも楽しいけれど、設計をやっていた経験を生かして、「こんな銭湯あったらいいな」「こんな茶室があったらいいな」って、自分で考えたものを描くのもいいかもしれないなと。抽象絵画も好きだし、海外の絵も描きたいし、やりたいことはたくさんあるので、いろいろな方向を模索しながら、「どうしようかな」と考えている状態ですね。やりたいことをぜんぶやるためには、時間がぜんぜん足りないです(笑)。