「男らしさ」「女らしさ」の鎖を解き放ち、自分の人生を生きる。心が軽くなる連作短編集『大人は泣かないと思っていた』

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/19

大人は泣かないと思っていた
大人は泣かないと思っていた』(寺地はるな/集英社文庫)

「男は仕事、女は家庭」という価値観は、今や昔のものになりつつある。とはいえ、「泣くな、男の子だろう」「女のくせに気が利かないな」と、男らしさ、女らしさの枠に人を押し込めようとする風潮は今なお廃れていない。ジェンダーに限らず、「お兄ちゃんだから我慢できるよね」「いい年なんだから落ち着かなきゃ」など、人は“らしさ”で他人や自分を縛りたがるもの。寺地はるなさんの『大人は泣かないと思っていた』(集英社文庫)は、そんな“らしさ”の鎖から心を軽やかに解き放ってくれる連作短編集だ。

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 時田翼は、九州の田舎町で大酒呑みの父とふたりで暮らす32歳の農協職員。趣味は菓子作りだが、父はそんな翼に対し「男のくせに」と苛立ちを隠さない。職場に行けば、大差ない田舎者同士で「おまえんちのほうが田舎」とマウンティングが始まり、宴会では上司が女子にお酌を命じるというプチ地獄。翼も、「九州の男が酒も飲めないとは情けない」となじられる始末だ。だが、こうした翼の日常が、夜の庭に現れた“ゆず泥棒”との出会いで動き出し……。

 そんな第1章から始まり、物語は“ゆず泥棒”こと隣家の孫娘・小柳レモン、翼の幼なじみの鉄也、家を出て起業した母、同僚の女性・平野さん、鉄也の父と、視点人物を変えながらそれぞれの胸中を明かしていく。

 母親の再婚相手がいい人だからこそ、逆に距離を置こうとしてしまう小柳レモンの葛藤。結婚を考えているバツイチ年上女性を親戚に会わせたものの、彼女が心ない言葉にさらされた鉄也の怒り。離婚して会社を興したが、胸の奥に染みのように残る翼の母の罪悪感。そんなわだかまりや「こうあるべき」という固定観念を振り払い、新たな一歩を踏み出す彼らの姿にぐっと来る。

 その一方で、なかなか一歩を踏み出せない人たちの逡巡も寺地さんはわかってくれる。世間の風潮に逆らって力強く生きる人もいれば、みんなと歩調を合わせるほうが生きやすい人もいる。旧弊な価値観だとわかっていても、「男たるものかくあるべし」という考えが芯から染みついた人もいる。「つらい時は逃げたっていい」と言われても、その場にとどまることを選択する人もいる。彼らの手を引いて強引に導いたり、「君の生き方も認めるよ!」と熱く肩を抱いたりすることなく、寺地さんは「そういう人もいるよね」と適度な距離を保って隣に腰かけてくれる。「変わらなきゃ」と押しつけるのではなく、自分が変わりたいと思った時に自分のペースで変わればいい。誰のことも否定しないある種のゆるさが、救いのように感じられる。

 翼の視点で始まった物語は、さまざまな人物のドラマを経て、もう一度翼の視点に戻って着地する。当初から“男らしさ”に縛られず、自分をしっかり持っているように見える翼だが、1年後の最終章ではもう一段階成長する。10歳年下の小柳レモンに心惹かれながらも恋心を認めようとせず、誰にも迷惑をかけないよう生きてきた翼もまた、“らしさ”で自分を縛っていたのかもしれない。翼の幸せを祈りたくなる、温かなラストに大きく心を揺さぶられた。

 集英社では11月18日から冬の文庫フェア「ふゆイチ2022」を開催している。『大人は泣かないと思っていた』も対象作品なので、ぜひこの機会に手に取ってほしい。

文=野本由起