「この作品に『機動戦士ガンダム』の原型を感じた」そして、これからの可能性――『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』監督・安彦良和インタビュー

アニメ

公開日:2022/11/29

安彦良和監督

 2022年6月3日に公開された『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。『機動戦士ガンダム』では、いわくつきのエピソードだった第15話を、当時のアニメーションディレクターでもあった安彦良和監督が劇場版作品として翻案するという試みは、大きな反響と商業的な評価とともに受け入れられた。

 全てを失ったひとりの少年が、初めて出会った土地と人々とふれあい、そしてひとつの決断を下す。少年にとって忘れえぬ日々を描いた本作は、『機動戦士ガンダム』のエピソードの中でも異色のヒューマンドラマとなった。その本作のパッケージ版(Blu-ray&DVD&4K UHD BD)の発売に合わせて、キャストとメインスタッフのみなさんに本作を振り返っていただくことができた。

 名作は永遠に語り継がれる――。本特集の最終回は安彦良和監督にお話を伺った。TVアニメ『機動戦士ガンダム』を監督の視点で描き直した漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を執筆し、その後、アニメ版の制作でアニメ業界に復帰。総監督として6作を制作。その後に、本作『ククルス・ドアンの島』に取り組んだ。はたして監督はこの作品にどんな思いを抱いているのだろうか。公開前後に「『ガンダム』を映像で作るのは最後」といった発言をしていた監督に、現在の心境を語っていただいた。

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『機動戦士ガンダム』から変えたところ、変えなかったところ

――令和4年度文化庁映画賞(映画功労部門)おめでとうございます。『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島(以下、ククルス・ドアンの島)』は公開後大きな反響となりました。その反響をどのように受け止めていらっしゃいますか。

安彦良和さん(以下、安彦):ありがとうございます。長年やっている年の功で賞をいただくことができました。『ククルス・ドアンの島』は公開後に好評をいただけて、ご覧になった方からも好意的なご意見をいただいて、それは大変ありがたいなと思っています。公開後に親戚の幼い子がお手紙をくれたんです。「観たよ」って。そういうことはこれまでの「ガンダム」ではなかったことなんですよ。観てくれとお願いしたわけでもないのに、幼い子まで楽しんでくれた。『機動戦士ガンダム』のころのファンの方から、その孫の世代まで。幅広い方に観ていただいたんだなと思いました。ただ、正直言うと、その反響からすると、興行成績はもうちょっと行ってもよかったかなという気持ちはあります。宣伝もずいぶん力を入れてくださって、NHKまで取材に来てくれたのはとても嬉しかった。でも、そのわりには伸びが落ち着くのは早かったなと正直思ってます。ただし、これは興行の問題ですから、同時期に公開されている作品とか、いろいろな条件が加味されるし、『ククルス・ドアンの島』だけの問題ではないとも思っています。

――作品としての手ごたえはいかがでしょうか。

安彦:客観的に出来はどうなんだっていうのは僕はわからないんですよ。『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(以下、THE ORIGIN)』の映像を作ったあと、『ククルス・ドアンの島』は「そのときの忘れ物を取りに来た」っていう言い方をしているんですけどね。僕は本来アニメーションの仕事を一度辞めていますから。あくまで業界のよそ者なんです。だからアニメーション業界の現状はよくわかっていない。どれくらいできたのかはスタッフを含めた、自分のまわりの人の反応でしかわからないんです。そういう意味でまわりの人を見ると、それほど悪くはないんだなと。僕のところに届く声は好意的なものが多かったですし、みんなそれなりに満足した顔をしている。僕は(アニメの仕事の)現役時代に何本も作品を作ってきて、そのときは苦い思い出や辛いケースがとても多かった。そういうものと比べるとみんな嬉しそうに見えるので、そこがとても嬉しいです。

――今回、あらためて制作を振り返っていただきたいのですが、本作の制作が始まったのは『機動戦士ガンダム THE ORIGIN VI 誕生 赤い彗星』のすぐあと……と考えてよいのですか。

安彦:2019年の4月に、僕が『ククルス・ドアンの島』を劇場版映画化したいとサンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に提案して、会社のトップから企画のOKをいただいたんです。それでシナリオに入ったのが夏かな。プロデューサーの小形(尚弘)さんとライターの根元(歳三)さんと僕の3人というとてもコンパクトなかたちで打ち合わせをしたので、とてもスムーズに進みました。4稿ほど脚本の稿を重ねたところで決定稿になりまして。それがたしか11月くらいだったと思います。そこからスタジオの体制が整うのをしばらく待って。絵コンテにとりかかったのが20年の5月くらい。7月から作画に入るという感じでした。とてもゆったりしたスケジュールで。絵コンテの最終のCパートまで切り終わったのが秋の終わりごろ。僕は現場に迷惑をかけない主義なので、とくにスケジュールに破綻なく終わったと思います。

――じっくりとお作りになった、と。話はそれますが、安彦監督は「現場に迷惑をかけない主義」なんですね。

安彦:それは、過去にね。アニメーターとしていろんな作品に関わっていますから。絵コンテが遅れると現場に負担が増えていくということを体験しているので、アニメーターさんに苦労はかけたくなくて。なのでスケジュールは守ります。

――ありがとうございます。原作となる『機動戦士ガンダム』第15話はテレビ1話分です。それを長編映画にするうえで、どのように膨らませていこうとお考えだったんですか。

安彦:『機動戦士ガンダム』は当時のテレビのフォーマットですから、1話の本編は正味20分ぐらいなんですよね。でも、その第15話には1話分におよそ入らない情報量が無理やり詰め込まれているんです。第15話をあらためて観ると、どこもかしこもキツキツです。でも、物語を見ると、とてもしっかりとした芯棒が一本通っている。だから、その芯棒をしっかり通しておけば尺(上映時間)を長くしても大丈夫だろうと。みんなには、水で薄めて叩いて伸ばして100分にするんだ、って言ってました。もともと(原作)がすごい情報量だから、それでも十分なんです。公開後に第15話の脚本を担当した脚本家の荒木(芳久)さんとようやく対談できたのですが、荒木さんご自身は前・後編にしたかったそうなんです。『機動戦士ガンダム』では前・後編の話もあるからね。でも、それがダメで。結果的に1話分に押し込んだそうなんです。それを聞いて、腑に落ちました。

安彦良和監督

――本作では、ジオン軍から脱走した兵士ククルス・ドアンが20人の子どもたちとともに暮らしている、戦争から隔絶された場所を描いています。『機動戦士ガンダム』の時系列的には、ドアンと子どもたちはあまり長い時間をいっしょにいたわけでもなさそうですが、安彦監督の中では、ドアンと戦争の関係や子どもたちとの距離感をどのように解釈していましたか。

安彦:これはねえ、そもそも誰が決めたのか誰が名づけたのか知らないけれど、いつからか『機動戦士ガンダム』の戦争を「一年戦争」というようになってしまったんですよね。これは『機動戦士ガンダム』のメインスタッフとしてはちょっと戸惑うところなんです。『機動戦士ガンダム』はスペースコロニーのサイド7から始まって、地球に降りて地上戦をして、それから再び宇宙に行くという物語になっているわけですが、この流れは本来1年間では収まりきらないはずなんです。だから、当時の僕らは1年で戦争を描いているつもりはありませんでした。それがいつからか「一年戦争」と呼ばれるようになったけれども、その「一年戦争」という時間に縛られてしまってはどんな物語も描けなくなる。今回でも、ドアンが軍を抜けて、子どもたちを島に集めて、そこで生活をはじめたら、本当はそれなりに時間がかかると思うんですよね。野菜を作ったりしていますし、子どもたちが心を許すための時間も必要ですからね。こちらの気分としては、それなりに時間が経っているんだと考えています。

――その時間軸の調整は『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』でも行われていましたね。

安彦:そうですね。ジャブロー戦(ジオン軍による連邦軍基地ジャブロー攻略戦)とオデッサの決戦の順番もTVアニメ『機動戦士ガンダム』と変えているんですよ。ジャブローで連邦軍とジオン軍の形勢が逆転して、そこから攻勢に出た連邦軍がオデッサに集結していく。その過程に、あの島(本作の舞台となるアレグランサ島)が入ってくる。そういう流れが、あの島の場所を決めるときに大事な前提となりました。

――舞台となる島の場所はカナリア諸島。その場所は、安彦監督がお決めになったそうですね。

安彦:島を探すときに、実在の島であるということが前提にありました。今の時代は、僕でさえ世界中の島を探すことができますから、「そんな島、現実にはないよ」と言われたら、作品が成り立たなくなる。だから、実在の無人島を探さなきゃいけないなと思っていました。ジャブローとオデッサを結ぶ線上のどこかにあるということで探していくと、あてはまるのはカナリア諸島とエーゲ海しかないんです。しかも、小島である必要がある。見つけるのは苦労するだろうなと思っていたら、あっさりとアレグランサ島が見つかった。しかも、その島を拡大してみると、おあつらえ向きに巨大クレーターもあり、灯台もある。ここを舞台にしようと。ただ、僕はパソコンの扱いが下手なので、せっかく見つけた画像がなかなか出せなくなっちゃったりして(笑)。それで困り果ててスタッフに相談したら、田村(篤)さん(キャラクターデザイン、総作画監督)が、すぐにその島の写真を画面に出してくれた。おまけにストリートビューのようにカメラをグルグルと回転させてくれて見せてくれました。これががっかりするくらい、あちこちが見られる(笑)。おかげで洞窟まであることがわかりました。

――実際に洞窟もあったんですね。

安彦:はい。海から入っていく洞窟があるんです。あんまり便利なので、いやになっちゃう(笑)。そうやって現実と重ね合わせつつ、かつてミサイル基地があった島を作っていきました。

――アレグランサ島の地下にあるミサイル基地については、いろいろな想像の余地がある場所なわけですが、おそらく今回の戦争(連邦軍とジオン軍の戦争)よりも前の時期に作られた基地なんでしょうね。

安彦:『機動戦士ガンダム』の世界では南極条約を結んだことで、おそらくミサイル技術は凍結されているはずなんですよね。あのミサイル基地は、相当やっつけ仕事で作らせた基地なんだろうと思います。そもそも多弾頭ミサイルという技術もローテクですしね。だから、物語的に「恐るべき秘密兵器が隠されていて、それを見つけてあっと驚く」という話にはしていないんです。単にそういうものは使わないという約束を破ってしまう。そういう話ですよね。

――ドアンがあの島で子どもたちを養うことができたのは、あのミサイル基地に資源があったから、ということですか。

安彦:そうですね。実は、あの島は近くの人の住んでいる島にボートで行ける距離ですし、何もないわけじゃないんです。食料に困っているわけじゃない。よく自給自足は無理なんじゃないかと言われるんですが、自給自足をしているわけじゃないんです。しかも、地下の基地には放棄された潜水艦もある。きっとそのあたりから缶詰や機材を灯台の建物に持ち込んでいるんですよね。そうやって彼らの生活を考えていきました。

――この島にある灯台は、かなりシンプルな間取りになっています。この灯台の建物はどのような場所として描こうとお考えでしたか。

安彦:これは実際にアレグランサ島にある建物をもとにしています。パソコンを使えば、灯台の建物の平面図がわかるわけですから。中庭があって、その周りに部屋がある。そこから想像でふくらませていきました。制作がかなり進んだあとに、スタッフが室内の写真を見つけてくれて。さすがにそこまで合わせるのは無理だったので、見なかったことにしようということになりましたが(苦笑)。

――じゃあ、室内などはドラマに合わせた設定になっているわけですね。

安彦:部屋のサイズはわかるので、そこは丁寧に描いているつもりですが、やっぱり室内を描くのは難しいんですよ。広くしないでしっかりと狭いサイズ感を出すのが難しいんです。たとえばホワイトベースのブリッジも昔の『機動戦士ガンダム』を見ると、広く見えるんですよね。実際には、こんなに広いわけがない。だから、漫画の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』でも狭く描いているつもりです。今回の灯台の部屋も相当狭いはずなので、そこはかなり試行錯誤しました。

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島

20人の子どもたちとアムロとの関係

――灯台の部屋の中で繰り広げられる、20人の子どもたちの食事のシーンは圧巻でした。あのシーンのレイアウトは安彦さんがご担当されたそうですね。

安彦:イム(・ガヒ)さん(副監督)に絵コンテを切ってもらってね。レイアウトは僕がするから、と。20名の子どもたちがいる食事シーンは、絵描きさんが描くのは不得手な部分なので、そこは結構、気を使いましたね。

――20人の子どもたちを出す、というのは本作の大きな挑戦だったのではないかと思います。安彦監督にとってはどんな思いがありましたか。

安彦:原作の第15話を見直す前は、それくらい……子どもが5、6人くらいは出ていたはずだと思い込んでいたんです。でも、あらためて見直したら、子どもが3人しかいない。これしかいなかったのかと拍子抜けしたような気持ちになりました。でも、あの中に年長者がいて、兄弟がいて、幼児がいるとなるとそれなりの人数が必要で。10人は少ないけど、30人は多い。そこで20人と。ちょっとした保育園くらいいるんだ、と言っていましたね。もちろん、20人のキャラクターを新たに作るというのは大変かもしれないなと思ったんですけど、なんといっても、田村さんがあっという間に作っちゃったんですよ。僕が提案したのは3人分くらいで、田村さんがほかの全員を考えてくれた。しかも、その子どもたちがすごく良いんです。じゃあ、これで行こうと。絵コンテの段階で、子どもたちがどこで何をしているかをしっかり描きこんでいて、食事中のときは座席順までわかるようにしていて、アニメーターさんも編集さんもわかるようにしていました。食事中は子どもたちが動くんですよ。仲のいい奴ら同士はくっつくし、兄弟はいっしょにいる。そういうところまで絵コンテでクリアーしていました。声優たちには子役を使うつもりだったので、収録はご苦労をおかけするだろうなと思っていたら、子役さんが達者で。収録も楽しくやれましたし、しんどいなと感じるような苦労はなかったですね。ちょっと驚いたのは、イムさんが「子どもたちを着替えさせる」と言い出したことです。雨が降って濡れているんだから、着替えるんだと。そうなると、倍の物量になりますからね。いや、そんなことをやったら大変だよ、と言ったんだけど、イムさんが「もうやっているから大丈夫です」と言ってくれて。スタジオで何が起きているのかわからないけれど、それで揉めたという話は聞いていないので(笑)。

――スタッフの意欲が、安彦監督の予想を上回っていたんですね。

安彦:こんなのいい加減にしてくださいって言われてもいいのにね(笑)。

――アムロと子どもたちの心の動きがとても印象的でした。安彦監督はこのドラマをどのように見せていこうとお考えでしたか。

安彦:まず、アムロがどれくらいの時間をこの島で過ごすことになるのかを考えたんですね。だいたい3日前後だろうと。その間に「あんなやつどうして助けたの」「どうしてご飯をやるの」「殺しちゃえばいいのに」と子どもたちに言われるところから、手を振って別れるところまで行かないといけない。3日のうちにそこまで馴染むことができるんだろうか。難しいよねという話をしていったんです。このときのこの子はどんな気分なのか。こういうふうに言えるだろうか。そうするとイムさんから「私はそういう気持ちじゃ言えないと思う」と言われたこともあったし、じゃあ、もうちょっとやり取りを変えようかと。とくにマルコスとアムロの関係ですね。そこを丁寧に描いていかないといけない。最初は一番険悪な関係だったけれど、最後は握手をかわして別れるわけで。一番親密な関係にならないといけない。

――アムロと同世代のマルコスの関係こそがポイント、と。

安彦:子どもというものは、ちょっとしたことで変わることができますから。でも、その中でも一番わだかまりが強いのが同年齢のマルコスですよね。彼は自分もモビルスーツに乗って戦いたいとか、そういう複雑なものを抱えているので、すぐには友だちになれない。そういうふうに感じられるように、マルコスの人柄も、運動神経が良いとか喧嘩をすると強いとか、高所恐怖症であるとか、アムロと対比して作り込んでいきました。結果的に上手くいったのかなと思いますけど。

――あらためて今回『ククルス・ドアンの島』で15歳のアムロを描いてみて、どんな面白さや難しさを感じましたか。

安彦:やはり最後のアムロの決断ですよね。

――「あなたの体に染み付いている戦いの匂いが、戦いを引き寄せるんじゃないでしょうか?」「それを消させてください」という一連のアムロのセリフと行動ですね。

安彦:あそこは第15話からいじらないで、そのままやると決めていました。根元さんにもそうお願いしたし、実際そのままやっているんです。あのアムロのセリフには、たぶんいろんな思いが込められていて。そうせざるを得ないという気持ちもあったんじゃないかと思うんですよね。笑い話になってしまいますけど、ドアンのザクはもうボロボロに壊れていて修理しようがないですから。板金で修理しても、もう直せないでしょう(笑)。そういう状況が、アムロの決断に救いを与えているんじゃないかなと思っていました。

安彦良和監督

『ククルス・ドアンの島』スタッフから安彦良和監督への質問

――今回、『ククルス・ドアンの島』のキャスト、スタッフにお話を伺う中で、安彦監督への質問を募ってまいりました。こちらをぜひ、お答えください。まず、エフェクト作画監督の桝田浩史さんからの質問です。「安彦良和監督にとって、ライバルや影響を受けたアニメーターはいらっしゃいますか。エフェクトやアニメーションの描き方で影響を受けた方がいらっしゃったらぜひお聞かせください」

安彦:いやいや、それはもう見よう見まねなんですよ。僕は虫プロでアニメーターになったんだけど、あそこはね、(エフェクトの)不毛地帯なんですよ。せいぜい背景をパカパカさせる程度で「爆発なんてそんなものでいい」と言われていた。でも、そんなときにタツノコプロは『ガッチャマン』で特効をのせたり、大塚(康生)さん(アニメーター)たちは爆発をアニメーションで描いていたんです。ちゃんとしたタイミングで動かせば、爆発っぽく見えるんだと。タツノコプロの爆発は素晴らしいんだけど、裏技を使っていて、なかなか真似できない。じゃあ、大塚さんの爆発を真似してみようと。当時はビデオも何もないですから、見よう見まねで描いていました。『機動戦士ガンダム』の第1話は僕のレイアウトでしたから、大塚さんたちには及ばないけれど、タイミングとフォルムで何とか近づけられないかと。仕上げ(彩色)も最低限の手間で一応、爆発に見えるようになったのかなと。『機動戦士ガンダム』の劇場版のときは透過光が使えるようになって。そうやって贅沢をしてみたら、やはり一段と見栄えがいい。これは結構行けるかもと思っているときに、板野(一郎)くん(アニメーター)が入ってきて。彼はとても思い切ったことをやってくれる人なので、すぐにツーカーになって。分業化して、僕が「ここを直して」とお願いすると、すぐに板野くんがタイミングやフォルムを描いてくれるようになったんです。劇場版『機動戦士ガンダム』の三部作、そして『クラッシャージョウ』で自分なりにいろいろ試行錯誤してみて、ようやく見られるようなものになったかなと思います。

――桝田さんも安彦監督のエフェクトを踏襲するために、『クラッシャージョウ』などを参考にされていたようです。

安彦:でも、僕がやっているのは古いものなんでね、桝田さんの爆発はフォルムも凝っているし、タイミングも良い。今回、桝田さんが全部をひとりでやってくれていたから、最後にちょっとだけ僕が手伝ったんです。でも、僕がやったところはどうもダメだね。桝田さんの仕事に傷をつけてしまった。足を引っ張ってしまったかなと思ってる。

――桝田さんは安彦さんがエフェクトで参加してくださったことに喜んでいらっしゃいましたよ。次は美術監督を務めた金子雄司さんからの質問です。「監督は漫画をお描きになっていらっしゃいますが、漫画と絵コンテでは描くときの意識は違いますか?」

安彦:漫画の場合は、省略という手があるんですね。簡単に言うと、背景が何もないコマでも成立するんです。でも、絵コンテはそういうことが許されないですよね。イメージ背景であったとしても、かならずどんな背景を使うのかを指示を出さないといけない。絵コンテは、漫画よりも嘘が許されないなと。そこは違いますよね。ただ『アリオン』という漫画を描いたときに、絵コンテの延長線上で良いんだなと感じることがあって。漫画と絵コンテに境界線はないなと思っている。

――映像のほうが、漫画よりも表現のルールが厳密ということですね。

安彦:そう。昔アニメの仕事をしているときは、先輩によく「イマジナリーラインが間違っている」と注意されていたんです。『宇宙戦艦ヤマト』をやっているときも、よく言われた。そういう部分はあるなと思います。

――テクニカルな問題はあれど、描くときの気持ちとしては変わらないということですね。

安彦:余談になりますが『漫勉』というTV番組がありましてね。ちょっと前に出演させてもらったんです(『浦沢直樹の漫勉neo』第9回/初回放送日: 2021年6月9日)。それが文化庁のメディア芸術祭で受賞したらしくて(文化庁メディア芸術祭第25回 エンターテインメント部門 大賞)。番組そのものが受賞したのかと思ったんだけど、僕が出た回が受賞したそうなんですね。いまだにあれは浦沢直樹さんがやっているんだから、浦沢さんが受賞すべきだと思っているんだけど……。それで、あの番組の撮影は僕の机の周りにたくさんカメラをつけて、ディレクターが別の部屋で操作をするというものだったんです。それで僕が漫画を描いている姿をずっと撮っている。あまりにも静かなので、本当に撮っているのかなと思って。ディレクターさんに「退屈でしょ」って聞いたら、「すごく面白い」と。「いきなり部屋の構図を描き出していったのに驚きました」って言うんです。「いや、普通にそうやるでしょ」って言っていたんだけど。そのあとトークショーに出たんだけど(安彦良和のマンガ描き方トークショー「浦沢直樹の漫勉neo 〜文化庁メディア芸術祭ver~」2022年9月13日実施)、そのときも浦沢さんやスタッフの方々が最も驚いたのが、僕が白紙から描きおこしていくときだって言っていたんですね。でもね、アニメだったら当たり前のことじゃないか?って思っているんです。普段から絵コンテを描いている演出家ならみんなやっている、絵コンテ作業のときは、みんなそういうことを当たり前にやっているだろうと思うんだけどね。

――『ククルス・ドアンの島』で金子さんは、『機動戦士ガンダム』の雰囲気を受け継いだ美術を描かれていました。

安彦:金子さんは多忙な方で、たくさんの仕事を進めつつも、今回の美術に臨まれていたので、最後はとくに大変だったと思うんだけど、手描きで良い味の美術を描ける数少ない方ですから。金子さんが手描きの背景で、田村さんがキャラクターの素朴な線を描いてくれて、なおかつ3DCGが線画の雰囲気でメカを描いてくれて。僕はあとから知ったんだけど、3DCGがかなりそこを意識してくれていたそうなんですね。おかげで、観る人が観たら昔懐かしい感じのフィルムになったんじゃないかなと思います。

――続いて、色彩設計の安部なぎささんからの質問です。「安彦さんは新しい表現、新しい技術に常に興味を持たれ、貪欲にご自身と作品に取り入れようとされています。今回も『機動戦士ガンダム』と同じ色にしようとしたら、新しいものにしようとおっしゃっていた。そのお気持ちとは、どんなところから生まれているものだと言えるのでしょうか」

安彦:だって、当時の現場はひどいもんでしたから。色にしたって、その色しかないから仕方なく塗ることがあって、情けない配色になる。たとえば、ガンペリーの色なんて、苦し紛れにできた色なんですよ。だから、本当なら根本的に全部直してしまっても良いと思う。でも、変えられないんですよ。ファンの思いが入っちゃっているから、色を変えると違うものになってしまうんですよね。それこそ、ファンの方は、ククルス・ドアンが乗るザクの鼻は長くないといけない、とまで言ってくるわけです(笑)。

――第15話では作画の乱れによってゆがんでしまったザクの顔を、今回はカトキハジメさん(メカニックデザイン)のアイデアで、異形のザクだったという解釈にして、鼻が長いザクを登場させているわけですよね。

安彦:あれは単なる作画の崩れだ、って言っても、今のスタッフは誰も聞いてくれないわけです(笑)。そういうこともあって、僕はなんとか新しいものにしたいと思っているんです。

そして、次なる「安彦ガンダム」の可能性

――ありがとうございます。そして最後の質問は、アムロ・レイ役の古谷徹さんから。「収録したときはこれが最後の15歳のアムロになると思っていたのですが、『ククルス・ドアンの島』を観て、安彦監督の『ガンダム』をもっと演じたいという思いが芽生えました。いろいろなご事情があるかと思いますが、現在の心境をお聞かせください」

安彦:アフレコのときに古谷さんが「これが多分最後ですね」とおっしゃっていたんですよ。ところが舞台挨拶のときに、突然「もっとやりたい」と言われてね。それはもう、感動ものだったんですよ。そんなことを言われるとはね……。古谷さんはたくさんの持ち役があって、それも主役クラスの役ばかりじゃないですか。しかも、観客動員数数百万人みたいな方が「『ガンダム』をもっとやりたい」と言ってくれるのは本当にありがたいなと思いました。

――安彦監督は『ククルス・ドアン』の公開前後に、いろいろなインタビューで「『ガンダム』を映像で作るのは最後」と発言されていましたが、この古谷さんの申し出を聞いてどんなお気持ちですか。

安彦:僕のこだわりはファーストガンダム、最初の『機動戦士ガンダム』にしかないんですね。このエピソードは何とかしなきゃいけない、このまま放ってはおけないという部分を今回手を付けさせてもらったという感じなんです。『機動戦士ガンダム』にはそういう部分が第15話以外、もうほかにないんですよね。古谷さんがもっとやりたいというのは、まだ『機動戦士ガンダム』に引っかかっているところがあるのかな。古谷さんからそういう場所を教えてもらえたら、もしかしたら……。今の心は揺れていますね。

――今回のインタビューで安彦監督は最初に「忘れ物を取りに来た」とおっしゃっていました。今回『ククルス・ドアンの島』という題材は、『機動戦士ガンダム』のころからの「忘れ物」でもあったわけですね。

安彦:今回の『ククルス・ドアンの島』で、自分として良いなと思うことは、『機動戦士ガンダム』を知らない人でも見ることができるんですね。独立したエピソードだし、『機動戦士ガンダム』の原点のようなものが入っているんです。小さなものが大きな状況に翻弄される、そこにドラマがあり、感動があり、悲劇もあるっていうね。僕は『ククルス・ドアンの島』に『機動戦士ガンダム』の原型を感じたんです。だから、まだまだ『機動戦士ガンダム』にそういうものがあればと思うんだけど、今はまだちょっとそれが見つからない。

――じゃあ、もしその題材が見つかれば、安彦監督のアニメ「ガンダム」が見られるかもしれない。

安彦:あとはもう僕の年齢とか体力とかね、最後は会社の偉い人が決めることなんで(笑)。

――ぜひ、その日が来ることを楽しみにしております!

取材・文=志田英邦

▼プロフィール
安彦良和(やすひこ・よしかず)
1947年12月9日生まれ、北海道出身。弘前大学中退後、虫プロ養成所に入りアニメーターとなる。フリーのアニメーターとして『宇宙戦艦ヤマト』『勇者ライディーン』『無敵超人ザンボット3』等に参加。アニメーションディレクターを勤めた『機動戦士ガンダム』が大ヒットを記録した。1990年以降、漫画家として活動。第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『王道の狗』)などを受賞した。2001年より『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を連載。総監督として同作のアニメ制作に参加し、約25年ぶりにアニメ制作の現場に返り咲いた。