「理想の自分を演じすぎて息苦しい」理想は一時的な目標に――心落ち着かせる処方箋のような1冊

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更新日:2022/11/24

こころの処方箋
こころの処方箋』(河合隼雄/新潮社)

 綴られている、綺麗ごとではないアドバイスが忘れられない――。『こころの処方箋』(河合隼雄/新潮社)は筆者にとって、そう思える特別な1冊だ。

 高校生の頃、読書感想文の課題図書候補であった本書を軽い気持ちで手に取った時、トゲトゲした心が包み込まれたように感じた。

 著者は2007年に亡くなった、臨床心理学者の河合隼雄氏。箱庭療法を日本に導入し、日本臨床心理士資格認定協会を設立して臨床心理士の資格整備にも貢献した人物だ。

 本書では診療経験や見聞きした話などを交えながら、心に抱えた苦しみを減らす考え方を全55個紹介している。

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理想は「到達点」ではなく、「一時的な目標」に

端的に言えば、ここには「常識」が書いてあるのだ。(中略)しかし、常識というものは「腹の底」でわかっているのだが、言葉にはしにくいのである。人から人へと、言わず語らずのうちに伝わるのが「常識」というものだから、それを「語る」のは、あんがい難しい。

 そう語る著者が言語化した「常識」には、心を楽にする考え方がたくさん詰め込まれている。例えば、職場や家庭で理想の自分を演じるあまり、心が苦しくなってしまった人に響くのが、理想像を灯台に見立てた著者の考え方。

 著者は、妻や周囲の要望に応え、「理想の夫」を演じ続けた結果、会社でささいなミスをしたことを機に心が限界となり、破局してしまった男性を例に挙げ、理想をゴールと思い、無理をしながら接近を試みることの危険性を提唱。自分を追い詰めないよう、理想を到達点にしないことの大切さを訴えかけている。

理想なしで人生を生きるのは、味気なさすぎる、と私は思っている。理想の光で照らすことによって、自分の生き方がよく見えてくる。しかし、理想は人生航路を照らす灯台であるが、それに至るべき到達点ではない。

 無理をしすぎず、理想を追い求められるようになる著者の考え方。目指している自己像がある人は、この助言を心のお守りにしてみてほしい。

「運命」の奏で方は自由

 なぜ、自分は生まれ持った特性や与えられた生育環境など、自分の力ではどうにもできないものによって、納得できない人生を送らねばならないのか…。そんな歯がゆさを抱え、運命を呪いながら日常をこなしている人は少なくないはず。

 そんな人に響くのが、ベートーベンの交響曲「運命」を例に挙げた、運命の捉え方。著者は「運命」が演奏者によって違うものになるように、たとえ運命が決まっていたとしても、人生はその人の生き方によって、まったく別のものになると力説する。

(中略)筆者は、運命はある、と考えるのが好きな方であるが、われわれの人生は、そのような「楽譜」を与えられるにしろ、演奏の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる、と思っている。

運命を嘆いてみたり、何とか変えられないかと無謀なことをしたりするよりは、いかにそれを歌いあげるかを考える方が得策のようである。

 この言葉は、背負わされた運命を呪い続けた人の胸を打つ。変えられないものはたしかにあるけれど、変えられるものも多くあるのではないかという、大切な気づきも得られるだろう。著者のこのアドバイスを胸に刻み、筆者も自分らしく運命を歌いあげていきたい、と思わされた。

 本書は、30年も前に発刊された書籍であるのに古めかしさを感じさせない。それどころか、今の時代だからこそ心に刺さるアドバイスが盛りだくさん。子どもと向き合いたい時に役立つ助言も収録されているので、子育て世代の方にもおすすめだ。

臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐにわかるのではないか、とよく言われる。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。(中略)人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である、などと言ったりする。

 そんな持論があり、人の心の複雑さを知っているからこそ、著者の言葉は心の奥の奥まで響くのかもしれない。

文=古川諭香